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イグニション前の速度より  作者: 紀
【夏の章】
55/82

グリモア・パスト・デイズ Dパート

◆ ◆ ◆


 孤児院の図書室にて。


 15歳のセイは喋り続けていたが、正面がやけに静かである事に気がつき視線をアキットに合わせると、アキットは瞼を閉じて機械的にコクリコクリと頷いていた。


 セイは肩の力をぬいて静かに微笑んだ。

『やっぱり、あまり眠れてなかったのか……』


 セイは海洋生物図録を閉じて立ち上がり、そっと歩いてアキットの横に腰掛けた。黙ったままアキットの両肩を掴んでゆっくりと自分のほうに体重を傾けて、その頭を膝の上に乗せた。音も無く天井の術印から青色の光が消えて、図書室が静まる。


 セイはアキットの髪をまとめているバレッタを外して、机の上に置いた。少しカールのかかった髪がふわりと彼女の頬の上で広がる。セイはアキットが涎で汚さないように少し首筋の方に髪の毛をかわしてやった。


 しばらくアキットの寝顔を見てから、セイは一人で話の続き思い出した。


◆ ◆ ◆


 強がったのものの、セイはミフィの言い分に理屈は通っていると思っていた。公国の子供達は16歳にして防衛線に赴く運命にあるが、ただそれに際悩まされて生きて行く事が愚かであろうと思ってはいた。事実、ミフィとよく話すようになってセイの日常は充実したものになっていった。


 ただ、そういった事とは少し別に、人生の上で、孤独と共生を渡り歩いたのはセイだった。セイはミフィが7歳になるまで、一人で夜の庭で一年間剣を振り続けていた。今は石造りのベンチの上にはミフィがいる。居心地を良くするために、毛皮のラグまで敷いている。過去の自分との違いは明らかだった。


 そして、その差を感じずに孤児院の年下の者たちは大きくなって行く。自分とは違う者達が、自分を兄と呼ぶ。セイは違和感から話を組み立てたが、ミフィが話を別の方向にもって行くから話しはズレて行く。ズレてはいるが繋がっていない事もない。


 しかし、セイにとって、ミフィが側にいることは偶然の産物で、不自然な事には違いない。少しの幸運で手に入れたものが結末を迎えるという事は、もろい壁に寄りかかっているような気もして来る。苦労の結実としての実感があれば、また違ったのかもしれないが、セイがミフィと共に修練を始める前の一年間、一人で夜の庭で剣を振り続けたのはミフィのためではない。


 セイはミフィのために数週間、モチーフを探しただけ。セイはそう思っているし、それが大それたものだとは思えなかった。なお、親猫にコテンパンにのされた事は、ミフィの危機と紙一重であったので、モチーフの発見という業績は少し思い出さないようにしていた。


 セイは、8歳から良き友として関係性を深めたミフィが、三年もの間、中睦まじく側に居座り続けたという事が、大した事には思えなかったのだ。数ヶ月後に破局を描いた〝薄い恋愛小説〟を読むまで。


 ただ、二人がいがみ合う事無く暮してきたのは、ミフィのおかげでもあるから、やはり一様にセイの功績というものを見つけるのは難しいのかもしれない。セイにはひっかかって詰まる部分が残っている。残っているが逃さない手もない。些細な強がりも捨てよう。


 セイは落ち着いた声で話し始めた。


「なにもかもが……って感じだな」

「私がお兄ちゃんとペアリング出来ない事は、もうずっと昔に分かっていた事だよ」

「筋書き通り……って事か?」

「ううん。私はお兄ちゃんがお兄ちゃんとして此処にいてほしいって思った。たったそれだけの事だよ」

「そうか……」

「そんなにダメだった?」

「いや。これは、別の、ちょっとした考え事だ」

「何? ちゃんとした告白? やる気でてきた?」


 ポケッとした顔でミフィは尋ねたが、セイは妹の先読み渋い顔をした。


「だからそうやって追い詰めるなよ……」

「詰めるよ。猫も振り向く恋心を囁いて?」

「無茶苦茶だな」

「答が決まってるからね」


 ね、とミフィは笑った。未来が見えるなら笑みも漏れる。ミフィはそう感じさせる笑顔をセイに向けた。


「……。そうだな。例えば、明日が晴れの日だったらミフィと一緒に散歩したいって思うよ。それから、雨の日だったら部屋の中で本を読みたいって思うよ」


 セイの散漫した視線が、地面とミフィを行き来する。ミフィはパチリとまばたきして、ああ!、と閃いてから合いの手を返した。

 

「じゃあくもりの日は?」

「そのときはキスでもしてから考えないか?」


 息苦しさを覚えたセイは顔を僅かに横に逃がした。でもミフィをチラリと見ている。

 

 インターバル。ミフィはセイの様子をつぶさに見てから立ち上がった。石造りのベンチからセイの側までトコトコと歩いて、真近くでセイを見上げる。

 

「でもお兄ちゃん。今はまだほっぺだけだよ?」

「こういうのは例えばの話で、あとは雰囲気だろ?」

「そうなの?」

「それくらいでいいんだよ」


 ミフィは光を消して、セイの背中に手を回した。二人の姿が夜の庭にいくらか溶け込む。ミフィの両手が自身の背中に回り、セイもミフィを抱きしめた。


 セイはミフィの髪に一度顔を埋めて、それから夜空を見上た。きらめく星々が夜空に敷き詰められている。天空サイドが全力で今はNOノーだと叫んでいた。


 見下ろせばミフィが、少し意地の悪そうな顔で笑っている。

「うそつき」


◆ ◆ ◆


 孤児院の図書室にて。

 

 15歳のセイは膝の上から伝わる9歳のアキットの規則正しい寝息に、いつしか同調していた。

 

 意識が途切れる直前にセイは心に刻み込んだ。

『あいつは……。だけど、これは確かめないといけないことだ……』


 数刻して図書室の扉が一度開く。扉を開けたのはミフィだった。ソファの上でセイとアキットが寝息を立てている。ミフィはそっと扉を閉めた。


 ミフィは廊下の窓から空を見上げた。公国の夏は晴天が続く。その気候の周期は夜の間も維持されている。


『今日は二人ともたくさん歩いたからね』


 ミフィは窓から月明かりに照らされた廊下を静かに歩いて、女子年長組の部屋へ戻りベッドで眠りに付いた。


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