グリモア・パスト・デイズ Aパート
遠征後の深夜……。
セイは皆が寝静まってからベッドから抜け出し、庭に出てきた。あたりを見ても家屋から光はもれていない。
セイの足はそのまま倉庫へと向かった。ロフトを登り、二重本棚を動かす。奥の本棚には〝薄い恋愛小説〟が詰まっている。セイは一冊手に取りロフトのスペースを移動して、月明かりが差し込む窓辺に座った。
だが本をめくる前にセイは心で呟く。
『多分、ミフィは俺の所に来ない……』
海への遠征は皆にそれぞれの思いを残していた。アキットにとっては将来であったり、キユキにとっては思い出であったり、ロックやギーにとっては、やり遂げた満足感などだ。
そしてセイが持ち帰ったものは、ミフィに対する疑惑であった。
セイとミフィは春に将来ペアリングをする事を約束していた。しかし今のセイは、ミフィがその約束を破るのではないかと感じている。海での一連の出来事が、セイそう感じさせたのだ。
ミフィとのペアリングは、〝新制度〟が絡んでいるから、セイは遠征の帰り道で、この懸念事項については考えないことにしていた。考えれば顔に出て、ミフィを除く他の弟や妹達に勘付かれる恐れがあるからだ。
新制度は秘匿すべき。
セイはかつて自身が下した決断を忠実に守った。
そして海への遠征が終わり、セイは一人きりになれる時間を確保した。今を好機として、セイは自身とミフィとの将来のペアリングについて考え始めた。
ミフィが約束を破ってまで、将来、何を画策しようとしているのか……。セイには予想が立っている。恋人であるセイは見逃さない。
だが、事は簡単には終わりそうに無い。〝ミフィの計画〟についてミフィ本人は何一つ直接口に出していない。つまりは隠蔽だ。ミフィは誰にも明かしていない〝ミフィの計画〟を胸に秘めいている。
『普通に言っても……無駄だよな……』
隠蔽したものに実体があるなら話はいくらか進むだろうが、これは心の内に秘めたものだ。それゆえ、セイはミフィを問いただす事が下策だと感じている。状況証拠は証拠となりえない。証拠不在の隠蔽はシラを切られると、何を言っても無駄に終わるからだ。
虚無感とともに立ち止まるわけにはいかない。セイは思考をシフトする必要性を感じている。セイは〝ミフィの計画〟を止めるための説得材料を探し求めて、孤児院の倉庫にまで来たのだ。
セイは先ほど二重本棚から引き抜いた薄い恋愛小説の表紙を眺めた。
〝術印を刻んでライフ・ハック 不感症の彼に刻んじゃおぅ〟
タイトルの下には、翼を授かった万年筆を高々と掲げ、得意げな表情をした美少女のイラストが描かれている。ミフィ愛読の一冊だ。端々(はしばし)が擦り切れている。セイは〝ミフィの計画〟破るための説得の材料を見い出すため、藁にもすがる思いで手にした薄い恋愛小説をパラパラとめくった。
『この辺に何か手かがりは……ないよな……』
もとより期待はしていない。そんな冷めた目でセイは紙面を見つめていた。そしてセイの冷めた目は少し寄り道を始めた。
『ミフィのやつ、なんでこんなのが良いんだ?』
セイが手にしている〝薄い恋愛小説〟は〝術印物〟と呼ばれるジャンルだ。女子が男子に術印を刻む事で、男子の心が女子にときめき始める、というのが鉄板のストーリーになる。
隣町の書店から持ち帰ったのはセイであるが、セイはこの内容にまったく理解が及んでいない。あるいは気に入らないと言ったほうがいいのかもしれない。セイは見透かしているのだ。その鉄板ストーリーが孕んでいる心の闇を。
露骨に非難を浴びせれば、その鉄板ストーリーの根底にあるのは支配欲だ。恋心は術印から。男子側には自主性の欠片もない。セイはそこが気に入らないのだ。
ただ、ヒトというものはいくらか歪んでいる。〝メイド物〟を愛読している自分とてその例にもれないだろう。セイはそう感じているから、ミフィの趣向にケチをつけるつもりはない。害がなければ心は自由。自由は公国で尊ばれる風潮がある。防衛線での〝滞在期間〟が義務付けられている公国の反動形成だ。
ただ、何かしらミフィと議論する余地はあるかもしれない。かつてのセイはそのようにも思っていた。
公国において術印は光術の根源要素。云わば国防の要。何をもってこのフィクションは術印を傀儡恋愛の道具としたのか……と。
セイは12歳の時分にコソ泥ミフィの犯行に気が付き、その意識を持った。しかし、言おう言おうと思えども、話す機会を失い続けて、15歳。
ひた隠しにするミフィの姿が功を奏したのだろう。彼女が隠したプチ秘密を暴いてまで論争を引き起こすほど、セイは議論が好きではない。だが、今はそのつけが、あるいは回ってきたのかもしれないと感じている。
そんな事を考えるほど、セイは今、〝ミフィの計画〟を阻止するために思考を回している。だが、そんな事にしか行きつかないほどに手詰まりなのだ。しらみ潰し。セイはミフィを説得するにあたって、何一つ決定的な楔を打ち込む事ができないと感じているのだ。
『もう少し見てみるか……』
セイは立ち上がって本棚に向かい、別の一冊を手にとった。
〝クールにしててもチョロいよね。術印さえ刻めば。でもでも……どうやって刻もぅ……〟
タイトルの下には宝石でデコられた万年筆を握った美少女が困った顔で前のめり。助けを求めるイラストの瞳とはバッチリ視線が合う。
『……。いや。ないな。分かりきって事だけど……』
セイはため息をついて〝薄い恋愛小説〟を本棚に戻した。セイの淡い期待は霞と消えた。すがった藁は海へと沈み、何一つ名案を浮かび上がらせる事はなかった。予想通りすぎて、セイの表情も沈んだりはしていない。
セイは、結局メイド物を読み漁って、倉庫から出て庭に出た。地面を見つめていたが、ふと視線を持ち上げると、孤児院の中から光りが漏れている。場所は図書室に面している廊下の窓からで、青色点灯。四女のアキットのものだ。
セイは孤児院の中に入ると足音を殺して図書室に近づいた。廊下から図書室は、扉をひらけば当然のように室内を見る事ができる。だが廊下に面した窓もある。中を知るには二者択一。セイはそっと窓から室内を覗いた。
読書に適したソファーつきのロー・テーブル。こちらにヒトはいなかった。学問にもにも取り組みやすいワーキング・チェアが6脚ほど差し込まれた大きなテーブル。こちらにの1客にアキットが座っていた。本を5,6冊積み上げて、その一冊と向かい合い、栗色の瞳を左右に動かしている。
セイはそっと扉を押して静かに声を出した。
「アキット、いるのか?」
「あ、セイお兄ちゃん。どうしたの?」
『〝どうした〟はこっちのセリフなんだけどな……』
9歳の少女の常軌を逸した深夜帯の行動に、セイは深くまばたきをしたが、セイはアキットの調子に合わせた。
「俺はたまたま起きただけだけど。アキットは何か調べものか?」
「うん」
セイは詰みあがった本の背表紙からタイトルを確認した。
『生命の誕生。優性論と多様性。動植物の生存戦略。乳牛の肥育技術。公国公用語辞典。あとは……〝海洋生物図録〟。付録のバインダー付き……』
「夕飯は食べたのか? 食堂に残りがあったはずだけど」
「ううん。食べてない」
「そうか」
そこまで言うとセイは退室。アキットも直ぐに本に視線を戻す。孤児院の建物は、音が響くような柔な作りではないが、二人はまず静かに短く会話を終わらせた。
セイは図書室から今度は食堂に向かい、ラタトゥイユを暖め直した。砂肝は食べてしまったので、代わりに鳥のモモ肉も炒めてスパイスで味付けする。セイはそれらを器に盛り、水などもトレーに乗せて図書室に運んだ。
「食べてないと頭が回らないだろ? 一杯でも回らないけど。少しは食べたほうがいい」
「うん。ありがとう」
本を汚さないためにセイはソファーの前のロー・テーブルに食事を置いた。アキットはストンとワーキングチェアから降りてソファに移動し、鶏肉を見つめてから食事に手を付け始めた。
アキットが積み上げていた本にセイが近づく。
「これ、見てもいいか?」
「うん」
セイはバインダーを開く。中にはアキットが描いた海ガメの絵が入っている。一枚、二枚とめくって表われてくるのは、精密にデッサンされた海ガメの絵であった。そして、最後の一枚は、セイと大人の女性が、砂浜から海を眺めている後ろ姿が描かれている。立ち姿の二人の距離は近く、女性の身長はセイと耳元まで迫っており、後ろ髪はバレッタで止めてある。
『……』
セイはバインダーを閉じて海洋生物図録を手に取った。索引に目を通す。
『海……、海……、あった。海ガメ』
セイはすぐに海ガメのページを開く。
『多分、俺の予感に間違いがないなら絶対書いてある』
セイは海洋生物図録の紙面を黙読した。
【【海ガメ。生体の体長:約1.5メートル。 生体の体重:計測不能。 生殖方法:不明。 棲息域、海および砂浜 (ただし海洋内にて発見した者はいない)。食性:不明】】
『ここじゃない』
【【夜に産卵する事が……】】
『違う』
【【産卵中は涙を……】】
『ここでもない』
【【干潟では確認されていない……】】
『ここ、は……。少し引っかかるけど……』
【【特に夏季においてしか観察できないと思われる】】
『……』
セイは最後の部分を二回読み、沈黙のともに本を閉じた。食事を終えたアキットもフォークをトレーに戻す。
「セイお兄ちゃん、来年いないんだね」
「あ、ああ、そうだな」
「出兵は怖い?」
「怖さはあるけど、そこまでじゃないよ。この国の平和とか、でか過ぎる事は俺には分からないけど、でもこの孤児院を守るためなら、俺はそれでいい気がしている。俺一人でどうなるんだって思うけど、そう思えば、ためらうような事はないなって」
「……」
「まあでも、逆にいえば運が良かったのかもしれない。考えようによっては、笑えるくらいの人数が、今も防衛線でこの孤児院を守るために戦っているわけだからな」
最後に少し調子を上げて、セイは話を〆た。
「セイお兄ちゃんは、本当はミフィお姉ちゃんのお兄ちゃんじゃないんだよね?」
「ああ……、まあそうだな」
「だったら二人とも同じ年だったら良かったのにね……」
『慰められているのか?』
セイが目をしばたかせてアキットを見ると、アキットもパチパチとまばたきをしてセイを見返した。
「アキットは、いつ知ったんだ? 俺達が偽者だって?」
「ずっと前。ヒースお兄ちゃんから教えてもらった」
『うん。仕方ない』
セイは的を得ない抽象的な時間表現は気にしない事にした。
「ヒースは何て言ってた?」
「ええっとねぇ。あの二人は兄と姉であって兄と姉じゃない。だから兄と姉と思っていいって言ってた」
「禅問答だな……。まるで。意味は分かったのか? アキットは」
「うん。なんとなく」
「そっか。ちなみにカリナは何か言ってたか?」
「あの二人は兄さんと姉さんだって。アキットにとっては永遠にそうかもしれないけど、私はそう思ってる、って」
「そっか。それも大げさな感じがするな」
「……」
「ねえ。どうして、セイお兄ちゃんもミフィお姉ちゃんも、お兄ちゃんとお姉ちゃんになったの?」
『今日はこの話題ばっかだな』
「アキットはグリとモワールを読んだ事あるか?」
「うん」
「ミフィがそれの真似をして、俺が兄になったんだよ」
「ふぅぅん。じゃあ、二人はどうやって恋人になったの?」
『つまり普通に聞いてるのか、子供の話の手前を聞きに来たか? どっちだ?……』
子供の話とは子作りの話。再び聞かれても、セイははぐらかすつもりだった。
「えっとだな。普通に答えていいか?」
「? うん」
「照れくさい話になるな」
「なんで?」
「はは。まあいいか」
「?」
きょとんとしてソファーに座っているアキット。
アキットは普通に二人の馴れ初めを聞いているのだ……。セイはそう感じて、ミフィと恋人となった時の、少し手前から話し始めた。ぶっしつけで語るには、少し恥ずかしかったからだ。




