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イグニション前の速度より  作者: 紀
【夏の章】
52/82

打ち上げ一夕話 Bパート

 8歳のセイは7歳のミフィを連れて休日や夜の間、村の近辺を散策した。山に川に池に野原に。だが術印のモチーフは何も見つからないまま、さらに数日が経過した。


 しかし、あるとき、セイは当時の指導役から、とある野良猫の話しを耳にした。曰く、野良猫は妊娠していて、最近、村の空き家で子供を生んだらしい、と。


 セイは修練の後、一人でその野良猫がねぐらにしている空き家へ向かった。


 扉を潜ると同時に親猫ははなからセイを睨んでいた。セイを見てわずかに唸る。だが、セイは子猫を見た瞬間から、可愛らしさに心を奪われて夢中になっていたので、親猫があからさまに出している敵意に気がつかなかった。セイは子猫の前に立つ不動の守護者を気にもせず、子猫に触ろうと思い、接近した。当時のセイは親の役目を果たしている生物の危険性などは知りもしない。目を輝かせて歩を進めた。


 だが、次ぎの瞬間、親猫はセイの顔を目掛けて飛び掛ってきた。まだ幼く体重の軽いセイの身体は、速度を乗せて突進するように飛び掛ってきた猫に、容易く押し倒され尻餅を付いた。最悪の所、セイは後頭部を打つ事も無く、顔を腕で覆って猫の攻撃を防ぐ事には成功したが、防いだ腕は執拗に引っかかれた。

 

 セイはパニック状態に陥ったが、何とか親猫がいるであろうところに腕を振るって押しのけて座ったまま後ずさった。


 親猫とセイとの距離は一度離れた。親猫は子猫を背にして最初と変わらぬ鋭い眼光をセイに向けている。


 セイは落胆した。セイは少しだけ後でミーミー鳴いているかわいい子猫に触りたかっただけだった。連れ去れるつもりも傷つけるつもりもない。でも、親猫はセイの事などこれっぽちも信用していない素振りであった。


『なんだよ。その目は……』


 セイはおぼろげな親猫と自分との関係を理解して、裏切れた気持ちになって、空き家から出て行った。


 その日、セイが孤児院に帰って保護役と顔を合わせると、保護役は直ぐにセイの傷を手当てした。


 一通り事情を把握した保護役は

「自業自得だ」

と最後にセイに伝えた。


 その日の晩。


 孤児院の庭にて、セイはいつもどおり庭に出ていた。ただ、引っかかれた腕が痛かったので、セイは石造りのベンチに座るだけだった。


 ミフィが後を追いかけて孤児院から出てくる。


「だいじょうぶ」

「うん」


 ミフィはセイの傷に手を伸ばしかけて、触ったところで痛いと思い、その手を引っ込めた。幼さいミフィには語りかける言葉が無かったのが、唯一持っている目的にかこつけて、彼女は恐る恐る口を動かした。


「今日のモチーフ探しは、お休みにする?」

「どっちでもいいよ」


 術印のモチーフ探しなど、その時のミフィにはどうでも良かった。痛ましい姿のセイがミフィの心を不安や悲しみで覆い尽くしていた。ただ、セイの口を動かして、セイの意識を確認して、傷があろうともセイが今だセイである事を確かめたかった。セイの生気をなによりも感じたかったのだろう。


 セイのほうは、やはり親猫にコテンパンにされて気が滅入っていたし、傷も痛かった。ただ側にミフィがいなくなるのは嫌なのか、その場を離れようとはしなかった。

 

 二人は口数少なく、しばらく庭の石造りのベンチに横並びで座っていた。


「誰がやったの?」

「猫だよ」

「……」

「……」


 春の夜。わずかに虫の音が響き渡る。


『あいつ……』


 セイは猫の事を思い出した。ヒリヒリと痛む傷と同様に、張り付いていたと言ってもいいかもしれない。やられた瞬間、セイは裏切られた気持ちであったが、親猫の拒絶の理由をどことなく理解し始めていた。そして、親猫がそこまでして触れさせない子猫の事は、やはり代えの聞かない大切な存在なのだと感じていた。


「ミフィは猫は見た事あるよな」

「うん。図鑑にも載ってるし、村にもいるよ」

「子猫は? ちっさい猫だ」

「無い」

「かわいいと思う」

「そうなの?」

「術印のモチーフになるんじゃないか?」

「……」

「俺も行くから。一緒に行こう。近づかなかった大丈夫だから」

「うん」


 ミフィはまだ光術を扱えないから、必然的に二人の側には夜の闇があった。それゆえセイは食堂へと向かった。コンロに火を入れる手順で、藁に火をつけた。暗闇に包まれた厨房のコンロに一瞬だけ火が灯り、二人の顔がオレンジ色に照らし出される。


 セイは直ぐに燃え尽きる燃料が失われないうちに、藁の火をロウソクに移して、ランタンに収め、それをミフィに持たせた。


「気をつけろよ」

「うん」


 注意を促したセイは真剣だったが、ランタンの光を手にしたミフィは心なしか微笑んでいた。光術の申し子は幼いながらに光源に心惹かれていたのかもしれない。


 二人は男子年長組の部屋に行き、今度はセイがその手に木剣を握り締めた。セイの心には仕返しをしようとうい心積もりはない。あくまで万が一だ。


『あの牙と爪が、こっちにきたら……』

 

 セイはミフィの方をわずかに見た。何のために武器を持って行くか、セイは確かに心に誓った。ミフィの術印のモチーフを探して、数週間。二人は共に夜を歩き回った。セイにとってミフィは大切な存在に変ろうとしていた。


 危険なのだから、あの猫の親子に近づかなければ良いのかもしれない。加えて親猫からしたら迷惑極まりない。だが、術印のモチーフが見つからないという事はミフィにとっては大問題である。多少のリスクは背負う必要がある。光術ができないということは、公国において死に直結しているからだ。ひょんな事に防衛線を破られれば、ヒトのみならず猫もガルフの脅威にさらされるかもしれないのが、数奇な運命であろうか。


 そのような巨大な運命の事はどは二人は知らない。二人は小さな村の小さな空き家へ、術印のモチーフを求めて歩き出した。


 途中で幾人かの村人が温泉に向っていたが、彼らは気にも止めなかった。二人がここ数日、術印のモチーフを探して夜中歩き回っている事情は知っていた。少年がもっている木剣も物騒なものには見えず、テイカー気取りのどこか微笑ましいものとして彼らの目には映っていた。


 二人はすぐに猫の親子が暮す空き家の前まで来た。木造建築で木枠の窓にはガラスもはめ込まれている。壁際には50センチ程度の壺が二つほど並び、庭の木々はやや手入れ不足であるが、雑草などは蔓延はびこってはいない。玄関の戸の下には猫用の出入り口が特殊な蝶番で付いている。


 小さな村であるが、その入り口に立つ二人はさらに小さく見える。


「いいか。この家にいる。でも子猫には絶対近づくな。俺の後にいろ」

「分かった」

「かわいいからって近づいたらダメだからな」

「うん」

「あと、いざとなったら直ぐに逃げろ。ミフィじゃ勝てない」

「うん」

「静かにしろ。もしかしたら寝てるかもしれないから」

「うん。分かった」


 二人は息を飲んで空き家の扉を開けた。先にセイが入り後からミフィが後から続いた。


 ミフィがそっと扉を閉めようとするとセイが遮った。

「開けとけ」


 セイにとっては避難経路の確保であった。ミフィは言わるがままに指示に従った。

 改めてミフィが手にしているランタンの明りが部屋の中を照らす。


 暗がりから、ぬっと親猫が立ち上がった。親猫は子猫の前に先んじてゆったりとした足取りで、子猫の前に立ち塞がった。この先へは一歩も通さんと言わんばかりの眼光は、低い位置からセイとミフィを睨み上げている。瞳孔は縦に細長く収縮し、その隙間からは殺気が溢れていた。


 が側を離れたためであろうか。室内には今だに瞳を閉ざした子猫たちのミーミーという泣き声がこだましていた。


 セイ達は、親猫の後にいる子猫達が見える様に、弧を描く様にわずかに立ち位置をずらした。子猫たちは木製の棚の最下段で身を寄せ合っていた。


 もはや親猫は臨戦態勢で、それはセイとて同じである。親猫とセイは睨み合った。互いが互いの出方を伺っている。両者一歩も引かぬまま牙をむき出しにして睨んでいる。猫は前脚を地面にベッタリとつけて尻を突き出し尻尾を頂点に向けて伸ばしている。セイは剣を八双に構えて前のめり。切尖を天井にむけて真っすぐに伸ばしている。一方は4匹の子供を背に、もう一方は少女を背にして、その場を譲らない。

 

「これ以上近づくな」

「う、うん」

「見えるか」

「うん……」

「あの子猫は術印のモチーフにはならないか?」

「分からない」

「だったら帰ろう。このでかい奴がヤバイんだ」

「ちょっと待って」

「何だよ。早くしろ。こいつは牙も爪も危ないんだよ」

「うん……」


 ミフィは親猫とセイを交互に見た。そして奥にいる子猫を見た。


――猫。セイ。子猫。猫。セイ。子猫。猫。セイ。子猫。……。私は?――


 ミフィは守られている自分と子猫が同じ立場である事を理解した。そして、セイの言葉から、爪と牙が剣と同じ武器であることを理解した。互いの武器が守護に基づき相手に向けられている事を知る。親猫が一声鳴く。ビャーオとも聞こえそうな低い海鳴りのような声が響く。セイは荒い呼吸を繰り返して背中のミフィを守る。一人と一匹が、その魂から恐れを捨て去り、互いが傷つくより速く、怒りをもって相手を退けようとしている事を、ミフィは悟った。


「帰ろう?」

「いいのか」

「うん」

「俺に合わせてゆっくり動け。こいつは油断するとすぐ飛び掛ってくる」

「わかった」


 やっとこの場から離れる事が出来る。セイは少し安堵してすり足を始めた。あわせてミフィもじわじわと後ずさるように空き家の出入り口の方へと移動した。


 ここで、セイにとって予想だにしない事態が発生する。トッ……、トッ……、トッ……、と親猫の脚はゆっくり動き出した。親猫は後ずさる二人をゆっくり追いかけてきたのだ。


 付かず離れず追いかけてくる親猫の姿は、セイに最高の恐怖を与え、セイは最大限に張り巡らした緊張の糸でそれを防いだ。二人に速度はない。すり足である。もちろん一匹の四肢のいずれかは地面についおり、速度は無い。しかし親猫の浮いている脚は二人を逃さぬように確かに動かされていた。


 圧倒的な機動力が前にある。そいつが力を温存して近づいて来る。セイは自身の領域が既に犯されていると感じた。そして詰め寄ろうと思えば直ぐにできる脚力が温存されている理由が脳内に響いた。


『直ぐに来ない……。これは……まずい』


 ヒトの生存本能に基づく警報装置が、確かにセイに戦慄を伝えたのだ。親猫は二人を撃退するつもりだ。そのためにギリギリまで力を温存しているのだ、と。


 しかしセイは警報装置は誤作動だったのかもしれない。二人は親猫と衝突する事無く、なんとか空き家の出入り口までは無事にたどり着いたのだ。セイは親猫から目を離さずにミフィに早口で伝えた。


「ミフィから表に出ろ。俺がその後だ」

「うん。分かった」

 

 ミフィはそう言って猫の住処となっている空き家の玄関をくぐった。パタン、と行儀よく扉を閉めての退出だ。


『閉めんなよ!』


 振り向いたセイの目には、無常にも閉ざされた扉だけが映った。セイの退路は断たれていた。室内も闇に包まれる。一瞬の内にセイの胸中に不安が膨れ上がった。その動揺が終焉であったのかもしれない。鋭敏な野生の本能は、扉に向いて、自身に背中を見せたセイの隙を見逃さなかった。この親猫は視線を外したセイに向けて、トトトッ……、と数歩の助走をつけて一気に飛び掛った。


 事の顛末から言えば、セイと親猫の第2ラウンドも当然、親猫の圧勝だった。


 迫り来る親猫の気配を感じて振り返ったセイの目の前には、すでに空中に飛び上がり伸びきった親猫の両脚があった。木剣を振る暇さえ無い。セイはすぐに扉へと座り込むように押し倒されて引っ掛かれた。生じた衝撃や痛みで木剣も手から弾かれた。セイは顔を守るように両腕を十字に構えて、猫はその爪でセイの腕を引っかき、セイの腕にガブリと噛み付いた。


 気が動転した中で、セイは押しのけるように親猫を空中に放り投げる。猫は華麗に着地して、セイも即座に立ち上がる。セイは木剣を捨て去り命からがらという呈で、ドアノブに手をかけて空き家から脱出した。


 親猫は逃げ出したセイをそれ以上は追いかけなかった。親猫は守るべき存在の近くから離れる事ができず、そして自分より大型なヒトを簡単に仕留められない事を理解しているのかもしれない。しかし勝者の余裕か。親猫は4匹の子猫の元に帰り、少しふてぶてしい面構えでクテンと横たわって瞳を閉じた。小さな4匹は親猫の腹に身を沈めて鳴き止んだ。5匹には平和な夜が戻って来た。


 空き家から出てきたセイはすぐにミフィを見つけた。

 生傷を増やして苦痛に顔を歪めるセイにミフィは尋ねた。


「だ、だいじょうぶ!?」

「なんで扉を閉めたんだよ!」

「……」


 セイの罵声にミフィは怯んだ。瞼の縁に涙を溜めた。まだ120センチにも満たないその身長だと、体の全体が雫のようにも見える。


「くっ……」


 セイは瞳を閉じて視線を逸らし、声を荒げた事を後悔した。


「悪い」

「閉めないと……、保護役が怒る」

「……。いいよ。それでいい」

「ごめん……」

「それでいい」

「……」


 セイは一度、その場に座り込んだ。息も荒い。

 しかし、ミフィが直ぐにセイの服の肩のあたりをつまみクイッとひっぱった。


「消毒……。消毒しないと」

「あ、ああ」


 セイとミフィは孤児院に帰った。まず、外に備え付けられている井戸水で傷口をすすぎ、すぐに靴を履き替えて保健室へと向かった。


「私がやる」

「できるのかよ」

「うん」


 ミフィは綿と消毒液を金属製のトレーに乗せて、机の上に置いた。セイと向かい合うように座る。ミフィはセイの手を取り、消毒液を含ませた綿でセイの傷口を不器用に撫でた。


「痛っ」

「ごめん」

「……」

「……」

「いいよ。ミフィは悪くない」


 セイは口を閉ざしてミフィに支えられている手を見つめて、その温もりの出所を感じた。


 保護役は就寝前にミフィの所在を確認しようと孤児院内を歩きまわっていた。何の事はない、保護役はすぐに保健室にてセイとミフィを見つけた。その保護役は新たに生傷を増やしていたセイを見て、事情を聞きだして結論を述べた。


「二度も同じ事をして。お前は馬鹿か?」

「馬鹿じゃない!」

 

 怒声を返したのはミフィだった。イスから立ち上がり敵意を剥き出しにして保護役を睨み上げて肩を持ち上げている。金色の瞳にはランタンの炎の光が怒りと共に反射して保護役を貫いている。


 セイは強く握られた手のひらの傷が痛んで、少し顔をゆがめた。しかし、意識を痛みから外して小さな声でミフィを制止した。


「止めろ。ミフィ」

「だって……」


 セイのほうを見たミフィの顔には憐憫の情が滲んでいた。

 保護役は見下したような笑みと共に、ふっ、と息を漏らした。

 

「チビが言うようになったじゃないか。お前はモチーフを見つけたのか?」

「ある。もう術印もできてるもん!」


 ミフィは保護役に対して再び敵意を込める。

 だが、7歳の少女に動じるような防衛線上がりの女性はいないのだろう。保護役は特に動じる事無くミフィに告げた。


「ほう。ならばそこで待っていろ」


 保護役は一度、保健室から出て行き、紙と万年筆をもって帰って来た。ランタンでは心元無かろうと思い、保護役は50秒程度で天井の術印を淡い黄緑色に点灯する。それから保健室の机の上でミフィに筆記用具を渡して術印を描くように指示を出した。


 ミフィは淀みなく正円を描き、その中には牙を剥き出しにし、丸い手足から僅かに爪を伸ばし、尻を高く持ち上げ睨みつけてくる猫の術印を完成させた。


 ミフィの腕がそれ以上動かない事を境目にして、当時の保護役は思った。

『点灯に有利な一筆書き。描画距離も短い。悪くない。……。しかし猫なのなに何故セイを見ながら書いたんだ?』


「お前、これはいつ作った?」

「今!」

「そうか……」

「うぅぅ」

「お前は知っているな? お前はセイとペアリングできない」


 先までの反抗的な態度とは一転して、ミフィの目じりは力を失い視線が床に落ちた。保護役の問いにも答えない。

 

 保護役は重ねて尋ねた。


「この術印でいいんだな?」

「いい……」

 ミフィは静かに、速く答えた。 


『稀にいる。7歳で異性に行為を寄せて術印にする奴は。……。この手の術印は将来、後悔する可能性もある』


 保護役は少し考えたのちに、セイとミフィをちらりと見た。


『いや、こいつの好きにやらせるか。どうせ私は時期に死ぬ』


 投げ槍な結論に行き着くのも、この国が抱えた一つの病であろうか。 少年少女達の真なる成果は未来にある。それより先に大人である保護役の寿命は先に来る。未来で繋がる事が無い者同士の関係性としてはある意味当然であったのかもしれない。


 結果的にミフィの術印はモチーフの選定から、線画の構成まで一息でたどり着いた。


「バランスが取れている術印だ。これで問題ない。これをお前の術印にしろ」

「……」

「返事くらいしたらどうだ?」

「……はい」


 保護役が保健室から出て行ってから、ミフィはシュンとして丸イスに座った。

 セイは向かい合っているミフィに声をかけた。


「猫とか本に載ってなかったのか?」

「載ってたけど……」

「じゃあ、何でいまさらデカイほうがモチーフになるんだよ?」

「これは猫だけど猫じゃないの」

「じゃあ何だよ」

「分からない……」


 ミフィはしょぼくれたままなので、セイは目を背けるように、机上に残されたミフィが描いた術印を見た。ささやかな成果を使って、話題を変えた。


「こいつ怒ってるよな?」

「うん。そう」

「小さい方がかわいいだろ? なんでこいつなんだよ」

「こっちの方がかわいいから」

「どこがかわいいんだよ。イカレてるんじゃないか?」

「イカレてないもん!」

「イカレてるよ。どうみても小さい奴のがかわいいよ」

「イカレてない。この猫は……この猫は……」

「凶暴な猫だった」


 セイは深いため息を吐いた。幼いセイにとっては初めてのため息かもしれない。

 その深みを感じたのか。ミフィは、うぅぅ、と呻ってから反抗した。


「ちがうもん! この猫は……」

「……」

「この猫は、世界で一番優しい猫なんだもん!」


◆ ◆ ◆


「だもん! って感じね」

「それでも俺は子猫の方が、可愛かったし、そっちの方がいいだろって思ってたんですけど」


 セイとミフィの話しが終わって、キユキが総括的に尋ねた。


「そっか。ということはミフィちゃんの術印は猫っていうより母がモチーフって事かしら?」

「そうね。猫は猫で好きだけど」



 『セイ君を見ながら描いたのはセイ君に刻むためね。それで初めてセイ君と親猫は一つになる……っていう所かしら』

 キユキは事の真相に近い意見は心に留めた。


 カウンターのヒースから意見が飛ぶ。 

「なんだグリとモワールからの引用じゃなかったんだな」

 カリナから補足が入る。

「ヒースは小さかったから覚えてないのかもね。兄さん血だらけ猫まんだらけ事件。グリモワに確かにクォーサイドタウンの孤児院史上では重要な書籍だけど、兄さんが兄さんとし機能する事になった決定的な出来事はこっちね」


 キユキが振り返って疑問を持ち込む。

「あら、でもそれがお兄ちゃんの起源だと、少し変な話になるわね」


 セイとミフィが最後に完結に説明した。


「そうですよね。この話は、母親と兄の同一視から来るものなんですけど、俺達は母も兄も知らないわけですから」

「どっちも似たようなものなんじゃない? 違うの?」


 当然、ミフィは母も兄も、父も姉も知らない。ミフィは率直にキユキに尋ねていた。


「私にもちょっと分からないわね」

キユキは少しボンヤリとした表情で答えた。彼女にも存命中の母はおらず、兄は元から居ない。


 ヒースがキユキに向けて口を開く。

「兄は概念なんだよなぁ。実際都会の孤児院ではどうだったんすか? 兄弟って?」


 ヒースは少し話題を誘導した。それは母についての話を逸らすものだった。つまりはキユキの子供についての話題でもある。


 クォーサイドタウンの村人にも当然、子供はいる。しかし、籍はクォーサイドタウンの孤児院に置いていない。将来、防衛線でのペアリングの事を考慮すると置くわけにいかいのだ。ヒースは自身の指導役である男性の村人アランドに子供について尋ねたときに彼が申し訳無さそうに答えた事から、この話題は大人にとって都合の悪い事だと理解した。


 素知らぬ顔で、事態の沈静化を測ったヒースにセイと二人の姉は、実のところ少し感謝していた。キユキの子供の話には出口がない事を四人は理解していたのだ。


 仮にキユキに子供がいたとしてたら、話題はクォーサイドタウンの孤児院に来ない理由のほうに転ぶ可能性がある。そこでの答は当然、田舎の孤児院で育つ事で、子供が格差の煽りを受けるという事が答えになる。


 セイもミフィもカリナもヒースも、四人とも今の孤児院を愛している。クォーサイドタウンの孤児院は都会と較べると確かに格差はあるが、育ったこの地に不満などはない。


 だが、格差の答えに、クォーサイドタウンの孤児院の良さを述べると、今度はキユキを遠まわしに攻め立てる事になる可能性がある。なぜ、自身の子供を連れてこなかったのか、と。意識が無くとも、そう響く恐れはある。


 他にも理由はある。ヒトの寿命は30歳である。避けがたい親子の愛別離苦が直ぐそばにある。キユキが何を感じているのか。そこまでは4人は感知できない。実際に話してみれば、何の事も無いかもしれないし、そうではないかもしれない。


 だとしたら、それは結局、話題に挙げるほどの事なのだろうか。今の四人には分からない事だった。キユキの子供についての話題は、キユキから出てくるまで待つというのが一様の結論であった。実の所、今をもってしても、4人はキユキに子供がいるのかいないのかは知らない。


 そしてキユキがクォーサイドタウンに就任した当初、ミフィが自身の術印のモチーフの話題を避けた理由はここにある。親について語れば、子の話が必然的に付いて来て、日も浅い新任の保護役の心に土足で踏み入る事になりかねないからだ。もちろん気恥ずかしさも無きにしもあらずだが。

 

 そういったクォーサイドタウンの孤児院の中にちりばめられている、いくつかの気遣いにキユキも勘付き始めている。だが、ここはヒースの質問に素直に答えた。


「そうね。中のいい子がほとんどだったかなぁ。私には兄弟がいる仲のいい友達が居なかったから、一緒に話している所をコソコソっと見るだけだったんだけど、でも似たような顔が側で話している所を見ると、なんかいいなぁって良く思ってたかな。それで不思議なんだけど、大抵年上の子のほうがフワフワしてるっていうか、ほわんとしてて、年下の子の方がしっかりものなの」


「ふーん。私達と違うね? ね?」

「だな」

 ミフィは深い笑みでセイに尋ねて、セイは少しキリッと表情を整えて答えた。


 キユキは兄弟の話しを続ける。


「でも、しっかりしている年下の子の方が実は抜けている所があって、年上の子の方が、なんていうかな、どっしり構えていて落ち着いて、着実って言うのかしら。そういう所があったわね」

 

「ミフィが抜けてるとは言い難いな」

「でしょ?」

 互いに庇い合い、セイとミフィは目を合わせ少し微笑んだ。

 

 セイとミフィの様子に、キユキはいつものように、ふふふ、と微笑んだ。


 ご意見番の如く、カウンターのヒースから意見が飛んできて、ミフィが打ち返す。

「はは。二人もそこは認めないと。兄妹っぽくないってことだぞ?」

「なんでよ。兄弟の形も一つじゃないはずよ。いいの。私達は私達で。そう。新しいものを作ってるって思えば解決ね。つまりファンタジー。未来系ね」

「伝統を飛ばすのも良くないだろ。ノスタルジーは無視できない」


 二人目のコメンテーターのようにカリナもアドバイスを提示する。

「兄さんがもっとほわんとしたら。そうしたら本物っぽくなるかもしれないよ?」

「なるほど」

 

 セイは表情をとぼけたものに変えて、カリナを見つめた。

 カリナはピクリとも表情を変えずに、視線を逸らした。

 

「カリナ。頼むから突っ込んでくれよ……」


 セイが苦言を呈してから皆は失笑した。


 そこからはいくらか、下らない話しをして、夜は更けて行き、四人は談笑を止めた。皆、寝ている弟や妹をベッドへと運んで打ち上げのような夜は終わったかに見えた。

 

 キユキもミフィもヒースも直ぐに寝た。


 しかし、親しき友であり、誰よりも近くに居る妹であるカリナはミフィの異変に感づいていた。


『姉さんが夕飯を間違えた。二年間もそう。海の後はいつよ様子が変。……。うん。寝よ』


 カリナはテントの出入り口に、セイとアキットの靴が並んでいるのを発見していた。だが、基本的にミフィの事はセイに任せる方針であるから直ぐに寝た。


 残り一人。徹夜明けであるが、眠れぬ夜を過ごすのは長男のセイだった。 


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