7話 泣き虫と喧嘩
突如泣き出したマリスさんを前に慌てていると「大丈夫ですから」と気丈に振舞われ、そのまま一階に降りるよう促されてしまう。
「これからのことを話しあわなければなりませんし、三人でお茶に致しましょ」
この笑顔にこれ以上謝罪しても、さらに気を遣わすだけだ。
そう思いなおして素直に彼女の後を追う。
コウドー様はお座りに__言葉の途中で立ち止まってしまったマリスさんの肩越し、覗き込んだダイニングに居たのはリエルだった。
「まあお嬢様!どうしてそんな所に伏せっておいでで?」
「__なんでもありませんっ……少し眠いだけです!」
中には真っ白なテーブルクロスに顔を押し付け、両腕で頭を囲むようにして座るリエルの姿。そのくぐもった声は、どこか震えているような気がする。
「なんでもないことありますか! 御気分が優れませんか? もしやお腹でも痛いとか?」
あくまで顔を上げないリエルの様子にどうしましょうすぐにお薬を!などと、今しがたの俺みたいに狼狽しているその背中に声をかける。
「落ち着いてくださいマリスさん。ついさっきまで元気だったんだし、自分で着替えだって__」
見慣れた騎士の格好ではなく、落ち着いた紺のワンピースに身を包んだ彼女を指し示す。
「__ですがっ」
髪の隙間から覗く耳も赤らんでいるし、これは。
「……なあ、泣くなら自分の部屋で泣けばよかったのに、なんでここに居んの?」
「誰が泣いてますかだれがっ!」
ガバッと上体を起き上がらせたリエルは、その目も頬も真っ赤に染まっている。
「確かに涙目だが泣いてはないな……」
「___ッ謀りましたね!コウドウッ!」
半分は勘だしちょっとカマかけただけで謀るとか大仰な「盗み聞きなんてしてません!」と自白しながら、未だにやんややんやと騒いでいる泣き虫女騎士の顔を正面から見つめる。
「鎧でも着てたら音で分かったけど……どこから聞いてたのか知らないが俺は手伝いしかできない。__だから、今お前がすべきなのは顔を上げて家族と話すことだ」
自然と出てくるモノを引っ込めろなんて言わない。だけど二人とも泣くくらいなら正面切って会話しゃいいだろう。新参者を挟んでやるこっちゃない。
泣いてくれる誰かが居るだけましだろ。
いらないことを思い出しそうになっていると、焚き付けたリエルでなくマリスさんが先に口を開いた。
「お嬢様__」
「____どうして。……そんなに思い詰めていたならどうして言ってくれなかったの?」
間髪入れず被された言葉に、マリスさんは肩を震わせ一歩リエルへと踏み込んだ。
「思い詰めて、お独りで抱え込んでいるのはお嬢様の方でございます。あの日からずっと…立派な、ご両親に誇れる騎士であろうとする御志はきっと尊いものでしょう。ですが、それ以外に目を向けておいでですか?」
「わたしは、わたしの信じる道を進んでいるだけです。婆やこそ! 彼は国王の命で預かることになっただけなのですよ? この国にも来たばかりでこちらの事情を何でも__」
「___だからこそです! 異国の方なのは存じておりますが、例え国王様がお相手であろうと、わたくしの大切なお嬢様を傷つけるような人間なら、己が身をもって従士など辞めさせるよう請願するつもりでございましたっ! そもそもこういう事柄は最初が肝心なのです! 」
「それとこれとは__」
ああ、この色んな意味での置いてけぼり感。
確かに腹を割って話し合う場を作れたらなとは考えた、考えたが……喧嘩して欲しい訳じゃない。
………こういう女同士の言い争いでも臆せず諌めるメノは凄かったんだな。
__真剣に帰りたい。
「ですから婆やが!___」
「___お嬢様もそうです!」
第三騎士団の役割は治安維持らしいから、俺の従士任命後の初仕事はおばあちゃんと孫の諍いを仲裁することなのかもしれん。
二人の涙は俺を試す嘘なのかもだとか、逃げそうになる意識を叱咤する。手伝うとか言っちゃったし、説き伏せる力はないので話題を逸らそうと重い口を開く。
「そういえば! さっきから婆や婆やって言ってるけど普段はマリスって呼び捨てなんじゃねぇの?」
「なっ!」目を見張るリエルの方からクルリと首をこちらに向けマリスさんがまくし立てる。
「よくお気づきで! 小さい頃からそれはもうばーやばーやと、べったり甘えてばかりでしたのよ。コウドー様の前ですと気取って『マリス』なんて呼び捨てにして」
「はぁ、以外と可愛い? 所もあるんですね?」
満面の笑みなマリスさん…昔は余程愛らしかったのだろう。イメージが可愛いゴリラに進化したリエルは、首もとまでその白い肌を赤らめる。笑うことは少ないかもしらんが、表情や顔色だけならすげぇ分かりやすいけどなコイツ。
「だから! わたしの内情を勝手に喋らないでって言ってるのに、そそれにかっ、……可愛いとか!! 」
「__いや、可愛らしいんじゃね? 何というかお嬢様って感じがする」
今んとこお前のお嬢様要素、屋敷とばあやしかないし。
リエルはこれ以上ないくらい顔を紅潮させると、今度は直接襲いかかって来た。
「わたしの従士の癖に! こんな物があるからいけないんです!」
そう言って首元に掴みかかったかと思うと、支給されたタグを力任せに引き千切ってしまう。
「いってぇな、馬鹿かこいつっ」思わず漏れた声とともにこちらもヒートアップしてしまい、その腕を掴みかえした。
[その翻訳のタグ結構高いんだろうがっ下賜されたもんだから大事にしろって言ったのお前だろ! ]
[これがあるから!これがあるからあなたも婆やもわたしに対して可愛いだのとっ]
[__それは今関係ないだろ!?]
[い・い・え! こんな物を持たせるから、あなたはその口でポンポンと世辞が飛ばせるようになったのでしょう?!]
[世話になったからこれからもなるんだからそれに報いたいって、当たり前のことだろっ?]
[わたしは当然のことをしただけです! それより先程の可愛いという発言を__]
__まだそこなのかよやっぱバカだこいつ。
_プツンッとそのとき何かが切れた。
[あーもう、うざってぇなあお前は! かわいいかわいいかわいいかわいい!これでいーかバーカァッ!! ]
見かけだけわなぁ!と思いつつあまりのわからず屋についぶちぎれて、小学生みたいな嫌がらせをしてしまった。もう声に出してるんだか心の中で叫んでるんだかわけが分からなくなっていると、急にピタッと、リエルが動かなくなってしまう。
[おいっ?]
電池が切れたみたいに反応を示さない彼女の両手から、黒い刻印のされた鉄製タグを恐るおそる取り上げる__なんかちょっと曲がってるんですけど、このゴリラまじに捻じ切ろうとしたのかよ………。
そうこうしていると、彼女は壊れかけのロボットみたいにギギギギと身体を動かし座り直す。そしてまたもうつ伏せになり、それ以降ピクリとも反応しなくなってしまった。
突っ伏したままの彼女を放置し、何事も無かったように話を続けることにする。
「___マリスさんはこれで満足しました?」
「……目の前の光景が衝撃的過ぎて、全て吹き飛んでしまいまして…」
ドン引きした様子のマリスさん。
多分翻訳されてはいないはずだが、あの口論は傍から見ても酷かったかもな…。
「ですが………ひさしぶりにあの子のあんな顔を見ました__いつも黙り込んでいて、夜中に突然出掛けていったり……お仕事のことも全然話して貰えませんでしたのに。今日はあなたを口実に初めて喧嘩までして…」
最後にうふふ、と上品に笑っているけど。俺をだしにしたって言ってますよねそれ?
演技で涙まで流して見せたならとんだ女優だ、どこの世界もばあさんは一筋縄じゃいかないらしい。まぁどこの馬の骨とも分からぬ男を家に上げるのだ、それぐらいかましてくる程度で済んで良かったレベルだろう。
マリスさんはどこまでも優しげな笑顔でこちらに語りかける。
「まだ初日なのにこんなはしたない所をお見せして申し訳ありません……それと、ありがとうございます」
心のこもった感謝の言葉にゆっくりと頷く。
「はい。……あの、せっかくお茶に誘って頂いたんですか部屋に戻っていいですか? こいつもこんな状態ですし」
今もなおテーブルの上で篭城している白い山を見ながら言う。本当にごめんなさいねと謝るマリスさんにいいえと伝え、手早く宛がわれた部屋に退散した。
*
「__疲れた」
吐き出すように出た言葉と一緒にベッドへダイブする。
何も考えず飛び込んだがベッドが思いの外柔らかい。白いシーツの感触も心地良くて、そういえば結構なお屋敷であることを思い出す。
独房とは違う体が沈みこむくらいのマットレスでいいのか?が何の素材でできているのかに思考を巡らせようとしたが、どうしても一階で起こしたやらかしに意識が行く。
「あーなんか、何やってるんだろうなほんとに」
ぶつぶつ呟き仰向けになると、もう手袋を着けていない左手を見つめ、つい痒くもない頭をかく。
昔ほど他者に触れる嫌悪感はない。それでも自分から腕を掴みに行くような、人との関わりに積極的な人間だったろうか?
まぁ、キレっぱやい所は反省すべきかもだが。
「そういや初めて会ったときも……」
これ以上考えてしまうのは止めようと決めて、目を閉じた。
初めにガツンと行くタイプのおばあちゃん。流したいときに涙をながせる女性は強いですよねきっと。