9.『ごめんなさい』
PM8:44
小雨は十海安全施設3階の自分の部屋に篭っていた。
「私のせいで……」
あの時の悪夢が小雨の脳裏に蘇る。
PM5:25
小雨がトラックの荷台を降りると、赤目のコウモリが甲高い鳴き声を放った。すると暗闇の中から蜘蛛のカスタマーが三体姿を現した。
小雨はペンライトの僅かな光を頼りに出口に走る。
ガサガサガサガサガサガサガサガサ
蜘蛛が近くに迫ってくるのがわかる。
それでも逃げるしかない。
出口から階段を駆け上がってる途中で大きな音がした。小雨がさっきまでいた地下駐車場からだ。天井が崩れたような音だった。
すると小雨に迫っていた三体の蜘蛛が動きを止めた。このチャンスを逃してはならないと小雨は必死に走った。逃げている途中、悲鳴が聞こえた。小雨は足を止めずにショッピングモールの出口に向かった。
(あと少しだ……)
本来茜たちと落ち合うはずだった一階の広場まで来た。出口が見えた。あそこから出れば、この悪夢から覚めるはずだ。
小雨は残っている力を振り絞り、光に向かって走る。
(えっ?)
何かに足を絡み取られて小雨は転んだ。何かは蜘蛛の糸だった。
ゆっくりと、足が引っ張られる。
出口からどんどん遠ざかる。
明らかに有害であろう液体を口から滴らせながら糸を引き寄せる蜘蛛は歪んだ笑みを浮かべているように感じた。
このままでは、間違いなく死ぬ。
「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
小雨は必死で抵抗した。足に力を込めて立ち上がろうとした。
床に爪を立てた。
しかしそのどれもが無駄だった。
蜘蛛の毒牙に身体が引き寄せられて行く。
螺旋があればこんなやつ切り刻めるのに。
時雨があればこんなやつ穴だらけにしてやれるのに。
「来い……!」
「出て来い! ブランド!」
次の瞬間、小雨は抜き身の螺旋を握っていた。
「使えるっ!」
小雨な足に絡みつく糸を切った。
その様子を見た蜘蛛が飛びかかってくる。
見える――――
蜘蛛の次の動きがわかる。
ああ、随分久しぶりな気がする。
たった数分間使えなかっただけなのに。
小雨は時雨を展開すると同時に後方へ倒れこむ。そして、蜘蛛が小雨の真上に来た時に、引き金を絞った。
蜘蛛の最も中身が詰まってる部分を撃ち抜いた。
戦闘中のアドレナリン分泌により、ある意味興奮状態だった小雨は緑の血液と蜘蛛の中身を浴びたことで頭が「冷めた」
「……逃げなきゃ」
その後の記憶は曖昧だ。
走って帰ったような気もするし歩いて帰ったような気もする。
ムジルシを殺した気もするし、逃げていた気もする。
気づいたら十海施設に帰ってきていた。
もう何もしたくない
何も考えたくない
どれだけ時間が経ったのか。
小雨は時間に意識を向けていない。
ベッドの上で壁にもたれかかり体操座りをしたまま動かなかった。
(……?)
部屋の外から音がする。
小雨は水を大量に吸った衣服のように重い身体を起こして部屋を出た。
「ダイイチゲートニセイタイハンノウアリ! ダイイチゲートにセイタイハンノウアリ! カクニンシテクダサイ!」
音の主は人間ではなく機械だった。主に避難所に設置されている自活ちゃんの機能が生存者を告げていた。
(まさか……)
小雨は早足で自活ちゃんに近づき、少し前のめりな状態でモニターを操作した。画面がカメラの映像に切り替わる。
「あれは……」
画面に映っていたのは薙刀を杖代わりにしてゆっくりと歩いてくる少女の姿だった。
「宮子ちゃん!」
その姿を確認するや否や小雨は走り出した。宮子が一人だけだったのが気になったが、大切な仲間が帰ってきたことがただ嬉しかった。
宮子に近づくに連れ、小雨は宮子の変化に気付いていく。
服がボロボロだ。
所々怪我をしている。
見るからに疲れていて生気がない。
「宮子……ちゃん……?」
小雨は嬉しさのあまり宮子に抱きつかんとするほどの勢いだったが、宮子の様子を確認するにつれてその勢いは無くなっていた。
ゆっくりと顔をあげた宮子の顔には涙の跡が伺えた。
「せんぱい……」
宮子のブランド、撫子が消える。
張り詰めていた糸が切れたように宮子は倒れた。
「宮子ちゃん……?」
「宮子ちゃん!」
小雨は宮子の胸元に耳を押し付け、心音を確認する。
トクン……トクン……
弱々しい音だったが、生きている。
どうやら気を失っただけのようだ。
「……っ」
小雨はあることに気付いた。
気を失って倒れた宮子の顔は、とても苦しそうなのだ。
小雨は宮子が歩いてきた方向を見る。そこにあるのは夜の闇だけ。ヒトの気配はしない。
とある予感が小雨の頭をよぎる。
目を逸らしてた一つの可能性。
もしそれが真実だったならば……
違う、絶対に違う。
否定すればするほどにその予感は真実味を増してくる。
冷静になればなるほど、事実を客観的に捉えれば捉えるほど、その予感は強まる。
「……違う」
小雨は宮子をおぶって『家』に向かって歩いた。一歩一歩、体にまとわりついて離れない泥を落としていくように。
「ん……」
宮子は自分の部屋のベッドで目覚めた。倒れてから十二時間後のことだった。
「宮子ちゃん……よかった……」
疲れた顔の小雨に安堵が浮かぶ。ベッドの横に椅子をおいて座り、宮子の様子を見守っていたのだ。
「……」
宮子は複雑な表情をしている。
涙をこらえているようにも、怒っているようにも見える。
お水とか持ってこようか
お腹空いてない?
起きないから不安だったよ~
体調はどう?
……違う。
そんなことじゃない。
私はやらなきゃいけないことがある。
部屋は静寂、あるいは沈黙。
音を足すのは私の責務。
たぶん、宮子は待っている。
――私の質問を。
「……何が」
聞かなきゃ
「……何があったか」
聞きたくない
「…………教えてくれる?」
「……はい」
宮子はゆっくりと話し始めた。湧き出ようとする感情に蓋をして。
「先輩からの連絡があってから私たちは地下に向かいました」
「地下一階で千聖がショートカットと言ってブランドで床を壊して地下駐車場に着きました」
「私たちは先輩たちを探しました。……そこで、奴に出会いました」
「人間大のコウモリのような奴でした。天井に逆さまに張り付き赤い目でこちらを見ているそいつを見つけた瞬間に私と千聖に第六感が発動しました。あいつは危険だ、と」
「……私たちは駐車場を離れようとしました。でも、それはできませんでした」
「逃げた先に巨大な蜘蛛のカスタマーがいたからです」
「先陣を切ったのはいつものように千聖でした。でも……」
「ブランドが出ない、と千聖はいいました……」
「……」
「…………二人は」
「………………私をかばって」
「……………………私、は」
「ひとり、で、逃げて……」
「私は……」
「私は…………っ!」
宮子は爪が肉に食い込むほど強く拳を握り、眉間にシワをよせて表情を歪ませていた。そこにあるのは悲しみよりも怒りだった。逃げた自分への怒り、そして自責の念に宮子は苛まれていた。
待ってよ
それって
私のせいじゃん
私があの時に救援要請を出したから、みんなが来た。
私が報告も入れずにただ逃げたから先生と千聖は
「ブランドが使えなくなります」
「逃げてください」
「来ないでください」
なんでもいい、私が何か言えばきっと変わっていた。
今、宮子が目の前で苦しんでいるのも私のせいだ
「あ……」
「あはは」
「あはははははは」
小雨は笑っていた。
小雨は泣いていた。
「先輩……?」
宮子は困惑する。とめどなく涙をこぼしながら笑い続ける小雨、その理由がわからない。
「あはは、はは、ははは……」
「ははははははは…………」
「は……」
「……ふざけるなっ!!」
小雨は強く地面を殴った。拳からは血が滴る。まるで涙のようだった。
「ごめんなさい……宮子ちゃん……私があなたたちを呼んだから……」
「私が……逃げたから……」
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい…………!」
「せん……ぱい……」
小雨の謝罪がきっかけとなり、堰を切ったように宮子の目にも涙が溢れた。
「う……」
「うわあああああああん!!」
宮子は小雨の胸で泣き続けた。堪えていた思いを涙と共に吐き出した。
「ごめんなさい……宮子ちゃん……」
「ごめんなさい……先生……」
「ごめんなさい……千聖……」
「ごめん……ごめんね……ごめんなさい…………ゆきちゃん…………っ!」
宮子を抱きとめつつ、小雨は謝り続けた。耳元で聞こえる小雨の謝罪に宮子の悲しみは増幅した。
宮子は、どうしようもない、本当にどうしようもない怒りと悲しみを、嘆きに乗せて吐き出した。
「ごめん……なさい……ごめん…………なさい………………」
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、小雨は謝り続けた。