6.月と、雨と、雪。
とある夜、小雨は寝付けなかったので屋上で星でも眺めようと思った。
水鏡雪は月の光を浴びてそこに立っていた。
人の気配を感じたのか、彼女は振り向き、小雨と目が合う。
彼女は同性でもおもわずドキリとしてしまうような艶が……ありきたりな言葉になってしまうが、色気があった。
見ると、彼女は目の下を腫らしていた。月の光だけでもわかるほどに。
彼女は月に向き直り、誰に言うでもなく夜の静寂を震わせる。
「……私、姉がいるんです」
うん。
この前聞こえちゃったから、知ってるよ。
「姉は、無口な人でした。私も人付き合いが得意な方じゃないですけど、姉は私以上にそうだったんじゃないかな、と思います」
「でも……私は姉が好きでした」
「……優しい、人だったんです」
ここからだと、彼女がどんな表情をしているのかわからない。物寂しげな……触れると消えてしまいそうなその背中は、震えていた。
「……姉は、エイリアン・ゾンビに殺されました」
ここで彼女は一旦言葉を止めた。
私の言葉を待っているのかもしれない、と思ったが、かける言葉を考えてる間に彼女は再び話始めた。
「大量のエイリアン・ゾンビに囲まれていたそうです。そんな時、姉が自ら囮を買って出た、と」
「姉らしいと、思いました」
「結果的に姉は死に、その仲間たちは生き残りました」
「最初は憎みました。エイリアン・ゾンビを。姉を見捨てた人たちを」
「憎しみは段々とゆらいできました。姉が自ら望んでしたことなんだ、と。だったら私は姉の望んだことを尊重するべきなんじゃないか、って」
「自分の無力さにも苛立ちました」
「そして、わからなくなりました」
「わからなく……?」
「はい。姉のことも、自分のことも、怒りも悲しみも憎しみも抱えていたもの全てがわからなくなりました」
話をきいていて、わかったことがある。
彼女は本当に姉を慕っていた、ということだ。
彼女は胸に空いた穴を最初はあらゆる手段で埋めようとした。理屈で埋めて、感情で埋めて、埋めて埋めて埋めて埋めて、それでも埋まらなかった穴に、彼女はいつのまにかスコップを手放してしまったのだ。
「今もわからないんです」
「わからないのに慣れちゃいました。このままじゃダメだってわかってるはずなのに」
「からっぽです。私なんてものは、昔の私と……姉の、欠片のよせあつめです」
小雨は雪を後ろから抱きしめた。
「よせあつめでも、それは悪いことじゃないと思う。それだって雪ちゃんだから」
ああもう言葉が出てこない。
言葉で伝えられないから抱きしめた。手段としては下の下だ。
たとえ雪ちゃんがからっぽだったとしても、私は好きなんだ、とそんな気持ちだったと思う。
伝われ
伝われ
抱きしめる腕に力が入る。
今にも消え入りそうな火が、消えてしまうのを見たくなかった。
「……あの」
雪の声のトーンが戻った。
「あっ」
咄嗟に離れる小雨。
再び夜の静寂が二人を包む。
月明かりだけが、黙って二人を見守る。
「……ごめんなさい。普段の私だったら、こんなこと話さなかったのに」
「……今日は寝ます」
雪は足早に屋上入り口に向かい、ドアノブに手をかける。
「待って!」
呼びとめたのが自分だと、一瞬気づかなかった。
雪は振り向く。
月に雲がかかる。
雪の表情はわからない。
「えっと……おやすみ」
「……おやすみなさい」
雪はドアを開けて去っていった。
ドサッ、と小雨はその場に腰をおろした。
月が再び姿を現す。
お酒の飲めない私たちはきっと、月の光に酔っていた。
私の場合は、雪ちゃんの涙にも酔っていたのかもしれない。
普段は飲み込んでいた言葉、胸の奥の、さらに奥の方にしまっていて、取り出すことのなかった思い。
酔いに任せて零れてしまったのだ。私も、雪ちゃんも。
目を閉じる。まだ雪の声が耳に残っている。
あの時彼女は、どんな顔をしていたのだろう。
護りたい。
そう、強く思った。