第五話
集落に辿り着くまでにもう一度襲われました。しかし、すでに要領は判っています。
10匹ほどの群れを一蹴と言っていい感じで突破して、ハーブはキャンを連れて集落に入りました。
かつて海底にあったという集落は、立派な石造りの建物が並び、たくさんの人魚が彼らを出迎えてくれました。
ここでハーブは、ようやく他の人間と出会うことができました。
けっこう物騒な武器を手にしていて、聞くと、某国の原子力潜水艦の乗員ということでした。ひと騒動あるかとひやりとしましたが、口ひげをたくわえたダンディーな艦長はとても紳士的で礼儀正しく、部下をしっかりと掌握し、人魚やイルカたちと協力してサメたちを撃退していたとのことでした。
「我が国はほとんど水没したようだ。ひょっとするとハワイは助かったかも知れんが、まだ確認できとらん」
艦長は流暢な日本語でそう言いました。
「気の毒だけど、君の国はほとんどアウトみたいだよ」
「小太郎の言ったことはホントだったんですね」
「ここ以外にもいくつかコミュニティは存在しているようだ。たまに無線で呼びかけてきているからね。しかし、ま、人類文明は、壊滅したと考えて良さそうだな」
意外なほどの軽さで、艦長が言います。
「原因はなんなんですか?」
「不明だ。ただ、人魚たちが、ちょうど君がいた辺りに空から光が落ちてきたと言っている。ホントかどうかは判らんがね」
「光ですか」
「それが原因かもしれん。君が限定的とは言え、エスパーになったのも」
ハーブ以外の人間は誰も、少なくともここにいる人たちは、特別な力を持っていなかったのです。
「UFOを見たっていう情報があるのが、やはり気になるな。現在の状況からすると、宇宙人の攻撃と考えても無茶ではないしな」
「これからどうするんですか?」
「しばらくはここにいようと考えている。
他のコミュニティと連絡を取りたいとも思うけどね。大概そういう場合には、双方で争いが起こるというのがお決まりだから。
誰もが私みたいに正しい判断が出来るとは限らないからね」
ハーブの活躍もあって、人魚の集落の周辺からは、敵対的な魚類はほとんど駆逐されています。
軍人たちは、彼らの乗っていた原子力潜水艦から様々な物資を運んできており、更に海底に座礁した他の多くの船からも様々な物資を入手済みで、数年は生活の不安はなく、急いで他のコミュニティと連絡を取る必要はありませんでした。加えて現在は、海底を耕して農作物を作れないか試している最中だったのです。
なんと集落には、自家発電装置まで据えられていました。
流石はDIYの国。某国軍人、恐るべしです。
集落が襲われたのは、それからしばらくしてからのことです。
ただし、襲ってきたのは宇宙人ではありません。
集落に巨大な影が落ちていました。
ハーブも人魚も軍人も、誰もが驚くよりもむしろ呆れて、その巨体を見上げていました。
それは、巨大なマッコウクジラでした。本来は20mに足らないはずの体長が、そのクジラは100mほどの大きさがあったのです。外見からして、普通のクジラでないことは明らかです。
敵か味方かと判断しかねているうちにクジラはどんどん近づいて来て、いきなり集落の小屋のひとつに体当たりして壊してしまいました。ボェーとクジラが吼え、重機関銃が火を噴きました。
しかし、音速を超える弾丸を受けてもクジラはびくともしません。
いや、クジラ本体に当たる前に、弾丸が空中で次第に速度を緩め、静止し、下に落ちていたのです。
となると、ハーブの出番です。
「頼むぞ、若者」
「はいはい」
仕方なさそうにハーブは呟きました。
ゴチン。
クジラの巨体がよろめきます。
小さな小さなクジラの瞳が、集落の外に立つハーブを認めました。
「こっちだ、デカブツ!」
クジラは集落から出てハーブと相対し、ハーブは目に見えない何かが自分に叩きつけられるのを感じました。これまで感じたことのない衝撃です。
「ののののの」
変な声を発しながらハーブは踏ん張り、自分に叩きつけられた何かを両手で掴んで、放り投げました。空に浮かんでいた雲が、ボフンと消し飛びます。
「ウンニャロお!」
ハーブは拳を固め、全力でクジラめがけて打ち込みました。
ガツンと鈍い手応え。
クジラに受け止められたのです。
「ぐぎぎぎぎ」
左手も前方に突き出し、がっぷり四つに組み合います。
クジラの身体がブルブルと震えています。
向こうは向こうで懸命にハーブを押しつぶそうとしています。
「頑張れ、ハーブ!」
小太郎のテレパシーがハーブの耳元に響きます。
「ソイツをやっつけたらキャンが」
以下略。
「どおうりゃあ!!」
俄然ヤル気を出したハーブは一気にクジラを押し返しました。身体の奥底から次から次へと力が湧いて来ます。そして彼は、クジラの巨体を持ち上げると、ぶんぶんと乱暴に振り回し、空高く放り投げました。
「ボェー」
クジラの咆哮が、ドップラー効果の影響を受けながら遠ざかり、クジラの姿そのものもはるか彼方、山脈の向こうまで消えました。
「どうだ」
ハーブはぜいぜいと息を乱しながら言いました。
「流石だねえ」
小太郎が紫煙を吐きながら、ぷかぷかとハーブに近づいてきます。
「やっぱり、パパになる男は違うね」
「当たり前だ……って、誰がパパだ」
「お前に決まっているじゃないか」
ハーブは嗤いました。
「身に覚えがないぜ」
「キス、したろ。キャンと。濃厚なヤツ」
「ああ。それがどうかしたか?」
「やっぱり知らなかったか。あのな、人魚はキスをすることによって遺伝情報を交換するんだ。精神感応を使ってな。キャンに確認したぜ。10月10日後には、お前はパパだよ」
「……」
「おーい。生きてるか?」
「……そ」
「ん?」
「……そんな、馬鹿なぁぁぁ!!」
集落の外れでハーブは一人、頭を抱えていました。
艦長や他の軍人は温かく彼を祝福してくれました。ただし、皆が皆、ニヤニヤと笑いながらですが。
「ウチの連中もそれで何人かパパなんだよ。ま、かく言う私もそうなんだがね。だからくよくよすんな。若者。結婚することさえ難しい昨今だ、こんな状況でもパパになれることを喜べ」
「そ、そんなことを言われてもなぁ」
泣くように呟いたハーブに誰かが声をかけました。
「おい」
驚いて顔を上げると、昼間にぶっ飛ばしたクジラが、背後の星を隠して空中に浮いていました。慌てて立ち上がりましたが、どうも昼間とは様子が違います。
「そうだ。戦うつもりはない。昼間はお前の力を試したんだ。すまなかったな」
「試した?何の為に」
「この地球を宇宙人の魔の手から守るためだ」
聞くだけで恥ずかしくなりそうなセリフを、クジラは穏やかに言いました。