第一話
皆さんは地球大気の構造をご存知でしょうか。
地球大気は温度変化を基準にして、幾つかの層に分けられています。地表から近い順に、対流圏、成層圏、中間圏、熱圏、外気圏。もちろん、人類が勝手に設けた分類です。外気圏の高さは1万キロにも及び、外気圏より上を宇宙空間といいます。
ちなみに国際宇宙ステーションは約400キロ上空の熱圏を、静止衛星は約35700キロの宇宙空間を周回しています。
一方で、国際航空連盟は海抜高度100キロに仮想のラインを引いて、このラインを超えた先を宇宙空間と定義しています。
国際航空連盟が定義したその約100キロ上空の宇宙空間に、UFOが静止していました。未確認飛行物体という本来的な意味ではなく、所謂、ひらがなで言い直せば、いわゆる、ユー・エフ・オーです。形状もユー・エフ・オーと言うに相応しい円盤型で、かつ、それらしく淡く発光していました。
乗っているのは、言うまでもなく宇宙人です。
脳の詰まった大きな頭があり、二つの目があり、鼻も口も耳もあります。二本の腕の先には手がありましたが、地球人とは異なり小指の外側にもう一本親指と同じような太い6本目の指がありました。
そう言うとまるでパンダみたいですね。しかし、パンダと違って、地球人の感覚では、とてもとても醜い外見を彼らはしていました。
他にも様々な違いはあったものの、生命活動に酸素を必要とする、ヒューマノイドと分類しても問題のない宇宙人です。
乗員は4名。
1名はパイロット、1名は軍人、残りの2名は科学者です。
目的は、とある実験。地球が選ばれたのは、適度な陸と海があったからです。人類の存在はまったく無視、これっぽっちも考慮されませんでした。
科学者2名がUFOに搭載した実験機器の準備が完了したことを軍人に伝え、軍人は通信機器で上司に報告を行い、何段階もの承認が行われた後、実験の許可が下りました。やはり人類以下、地球の生物の意向はこれっぽちも問題にされませんでした。
軍人が6本の指のうちのひとつで、おもむろにコンソールのボタンを押しました。ポチッと。
UFOから、一筋の細い光線が地球に向かって放たれました。
もちろん、そのことに気づいた地球人は一人もいませんでした。事が起こり、人類のほとんどが死滅しても、尚。
その日、ハーブ--この物語の主人公--が大深度有人潜水調査船に研究員として乗り込んでいた理由は、いささか複雑な、偶然の積み重ねによるものでした。目的は海洋調査よりも広報が目的で、乗るべき教授や准教授が急病になったりして、ふと気がつくと、海洋とはまったく関係のない学部に所属していたハーブが、なぜか広報担当者に選ばれていたのです。
退屈だったので大学のキャンパスに伸びていた列に何の列なのかも知らずに並び、何やら抽選に当たったのです。
彼が何の抽選に当たったのか理解したのは、随分後になってからのことでした。
その偶然の積み重ねが彼を地球の救世主に押し上げましたが、それは決して彼が望んだことではなく、かつ、望んだカタチでもなく、むしろ、とても不本意なカタチで実現しました。合掌。
オランダ人の父と日本人の母の間に生まれ、両親が早くに離婚した後はずっと日本で暮らしてきたため、ハーブという名ではあったものの彼は日本語以外は話せませんでした。外見的な特徴としてはやはりオランダ人の血を引いていることもあって日本人としてはかなりの長身でした。
髪の色は黒。
瞳はグレーで彫りの深い顔立ちをしていました。肌の色は母親の血の方が勝っており、そのアンバランスさが彼のコンプレックスとなっていました。
ハーブが乗り込んだ大深度有人潜水調査船の定員は3名でした。
パイロットが2名、研究員が1名、つまり、パイロットが2名とハーブです。
事が起こったときのハーブの年齢は19歳。大深度有人潜水調査船の狭いコックピットに体を縮めて潜り込んでいた時に、それは起こりました。
いきなり下から突き上げられ、ハーブはわっと声を上げました。
「なんだ!?」とパイロットのひとりが叫んだ時には、天地がひっくり返っていました。頭を酷く打ちつけ、目の前に星が飛び、視界が薄れていく中、ハーブは、船体が激しく揺すぶられ、揺すぶられながら上へ上へと持ち上げられるのを感じました。
そして、彼の意識はそこでプツンッと、電源を切るように途切れました。
ハーブが意識を取り戻した時、ハーブは、自分がどれぐらい長く意識を失っていたのか判りませんでした。腕時計を身に着けてはいたものの、どこかに酷くぶつけたのか、それは壊れて動かなくなっていたからです。
パイロットはと見ると、彼らは二人ともとても描写することが出来ない状態で、既に息をしていないことは間違いありませんでした。
ハーブは吐き気を抑えながら船体の上部にあるハッチに向かいました。
意識を失う前に天地が逆さまになるのを感じましたが、どうやら今は正常に戻っているようです。
しかし、どう押しても引いても、ハッチはビクともしません。
「この。開きやがれ!」
小さく呟いて、やけくそ気味にハッチを叩くと、ボンッと音がして、ハッチが天高く舞い上がっていきました。
「へっ?」
ハッチは遥か高く青空に消えていき、見えなくなってしまいました。
様々な疑問がハーブの脳裏に浮かびます。
しかし、何かがおかしいと思いながらも、何がおかしいのか、ハーブには判りませんでした。彼が、何がおかしいのかきちんと理解したのは、ハッチを這い出し、辺りを見回してからのことでした。
ハーブは呆然と眼前に広がる光景を見つめていました。
彼の背後には、今、這い出してきたばかりの大深度有人潜水調査船が無残に横たわっています。天を貫くほどの高さの山脈の、中腹にです。
深海にいたはずでした。
しかし、彼の眼前には急峻な山肌が続いており、更にその先には、果ても判らない大平原が広がっていました。
雲が幾つか、視線よりも下を流れています。
つまりそれほど、高地にいるということです。
彼が潜っていたはずの海は、見渡す限りどこにもありません。
「ど、どうなってんの」
呆然と彼が呟いたのも当然でしょう。
もちろん、彼が答えを求めて呟いた訳ではありません。しかし、その声に答える者がいました。
「教えてやろうか?」
「えっ」
声は、まるで彼のすぐ耳元で響いたかのようで、どこから聞こえたのか、方向も距離も判りませんでした。
「誰だ?」
ハーブは辺りを見回し、彼の背後にいた声の主に気づいて、またまたぽかんと口を開きました。
「おいおい、そんなにジロジロ見るなよ。恥ずかしくなっちまうじゃねえか」
彼は--結局は彼でした--そう言いました。
しかし、あまり恥ずかしがっているようには見えません。むしろ、どこか笑っているようにハーブには見えました。
ハーブが見たのは、葉巻を咥え、空中に浮かんだ一頭のイルカだったのです。