第21話_一人じゃない
第21話_一人じゃない
気が付くと、利美先輩が心配そうに僕を見ていた。後頭部にあるのは、柔らかい先輩の太ももの感触。何だか、とても温かく感じた。
「良かった。気が付いて、本当に良かった……」
ぽろぽろと涙が落ちてきた。それを止めたくて、利美先輩の顔に両手を伸ばす。無くなったはずの腕が生えていた。夜桜様が再生してくれたのだろう。両腕に痛みは感じない。
「利美先輩、泣かないで下さい」
「だって……だって……広郷君まで死んじゃうかと思ったんだもんっ!」
「大丈夫です。何とか生きているみたいですから。……僕は、どのくらい気を失っていたんですか?」
言葉を詰まらせた利美先輩の代わりに、ぽつりと松が呟いた。
「五分も経っていないと思う。」
そしてぶっきらぼうに言葉を続ける。
「夜桜様に感謝しろよ。普通なら、霊力で崩れた身体は元に戻せないのを、一生懸命再生してくれたんだからなっ!」
「にぃにぃは、顔まで腐れかけていたの」
松とすすきの言葉に、利美先輩の涙がまた降ってきた。
「本当に気が付いてくれて、良かったよぉ……」
◇
夜桜様が祝詞を唱えている。その後ろで松とすすきが神楽を舞っていた。
祝詞の内容はよく聞き取れなかったけれど、洞窟の中に満ちていた邪気と妖気と魔力がだんだん消えていくのは僕にも分かった。
そのまましばらく夜桜様の後ろで利美先輩と静かにしていると、夜桜様が僕らを振り返った。松とすすきも動きを止めて、深々と頭を下げる。
「これで、今度こそ、この土地に溜まった穢れを祓うことができたわ。白髪鬼に捕まっていた妖し達も、もうすぐ目を覚ますだろうし――」
満足げな様子で夜桜様が微笑んだ。そして言葉を続ける。
「広郷さんも利美さんもお疲れさま。今回は白髪鬼とラーミアを倒すことに協力してくれて、本当にありがとう。土地神としてお礼を言うわ」
夜桜様が深々と頭を下げる。
瞬間的に、何かが、まずいと感じた。
「夜桜様っ、頭を上げて下さい」「あのっ、恐れ多いですっ!」
僕と利美先輩の声が重なった。くすりと笑いながら、夜桜様が顔を上げる。
「本当に、ありがとう。後日、きちんとしたお礼もさせてもらうから。それじゃ、まだまだ二人とは一緒に居たいのだけど――松、すすき、利美さんと広郷さんを家に送り届けてもらえるかしら?」
「はい、夜桜様」「様っ」
松とすすきの言葉の直後、利美先輩が両手を振った。
「あ、ごめんなさい。ちょっと待って下さい、夜桜様。私、服がぼろぼろになっちゃったから、生物部の部室で着替えてから、女子寮に帰ろうと思うんです」
「そう言われれば、僕の服もぼろぼろだ」
利美先輩とお互いの姿を見比べる。
先輩は泥まみれ。淡いピンクのシャツには不規則なストライプやドットが入っていて、緑色のロングスカートは前衛的な感じに破れている。辛うじて無事なのは、今日のお昼に一緒に選んだ利美先輩のお気に入りの帽子だけ。
夜桜様が僕らの様子を見て、小さく微笑んだ。
「ああ、そういうことなら私に任せて。私の力で、すぐに直せるから♪」
そう言うと、夜桜様が何かの祝詞を短くあげた。
次の瞬間、僕と利美先輩が淡い黄色の光に包まれる。植物の枝が伸びるように、破れた服が繋ぎ合わされていく。泥で汚れた部分も、パラパラと土が落ちて綺麗になった。
「すごいです、ありがとうございます」「ありがとうございます」
頭を下げた利美先輩と僕を見て、小さく夜桜様が笑った。
「ううん、私は事務屋だから、こういうことしか出来なくて。――さてと、それじゃ、松、すすき、お二人を送ってあげてちょうだ――」
夜桜様の言葉を、利美先輩が再び遮る。
「あのっ。私、広郷君に話があるので、やっぱり学校の前まで送ってもらっても良いですか? 家に帰る前に話しておきたいことがあって……」
夜桜様が怪訝そうな表情で、松とすすきを見る。
「松は良いよ? 学校の前まで送れば良いんでしょ?」
「すすきも良いよ?」
利美先輩が僕の方を見る。何か言いたいことがあるような、少し意味ありげな目をしていた。何となく、ここでは言いにくいことなのだろうと察しがつく。
「僕も、利美先輩が話があるってことなら、学校で大丈夫です」
「ありがとう、広郷君。それじゃ、松ちゃん、すすきちゃん、学校まで送って」
「うん、分かった、利美姉」
「にぃにぃ、行こう♪」
夜桜様に軽く会釈をして、妖し道に入る。背後から夜桜様の声が聞こえてきた。
「二人とも、また明日の夕方にでも神社の方に遊びに来て。今日は、私は、地主さんを集めて、今回の件を報告しないといけないから」
◇
妖し道を歩きながら、僕は考えていた。
考えたくもなかったけれど、考えずにはいられなかった。
まさか、夜桜様以下、全ての地主が若宮さんを消滅させるためにラーミアに関わっていたかと思うと……正直、複雑な気持ちになってしまう。
でも、それを夜桜様の前で口にすることは、僕には出来なかった。瀕死の僕を助けてくれた夜桜様は悪い人ではないと理解しているから。「たたり神」の恐ろしさは、僕も身を持って知っているから。少数派や異端の存在は、怖がられて、虐げられると僕は知っているから。
若宮さんも、僕自身も、そしてラーミアも少数派。
だからラーミアはこの世界を変えたいと願ったのかもしれない。少数派の自分が生きていても良い世界を作りたかったのかもしれない。そのために、理想のために、力を欲することは「正義」だと言えるのかも――
「広郷君、さっきからずっと無口だけれど、何か考え事?」
僕の思考は利美先輩の言葉で遮られた。
どこか心配そうな表情を利美先輩が浮かべている。これ以上、心配を掛けさせたくないから、考えるのを止めて笑顔を作ることにした。
「いえ、利美先輩、何でもないですよ? ちょっと色々あったなぁって思って」
「そうだね。若宮さんの事も含めて、色々有りすぎたよ。でも……もうすぐ出口みたいだから、足下に気を付けてね?」
◇
正門で松やすすきと別れた後、利美先輩に促されるまま、生物部の部室に到着する。
部室には僕ら以外には誰もいない。かちゃりと響く金属音で、利美先輩がドアの鍵を閉めたのが僕にも分かった。
時計の針は午後の一六時過ぎ。ゴールデンウィーク中だから、校内には自習に来ている生徒と一部の教職員以外誰もいない。当然、生物室の中は静かだった。
「広郷君、お茶を持って来るから、少し座っていてね?」
利美先輩に言われるままに、大人しく教壇の前にあるテーブルに着く。
周りを見渡すと――人体模型やホルマリン漬け。ビーカーやアルコールランプ。何かの薬品や機材が入った棚の数々。部屋の窓際には大きな水槽が並べられていて、カラフルな熱帯魚が水草の間を気持ちよさそうに泳いでいた。
「ごめんね、お待たせしました♪」
利美先輩がペットボトルのお茶と、小さなお菓子を持ってきてくれた。僕の向かいに座るのかなと思っていたら、僕の隣に先輩が座って来た。
「この教室のテーブル、広過ぎるから、横に座った方が落ちつくんだよ」
ちょっと早口の利美先輩。そして部屋の中から、音が無くなった。
こほんと小さく利美先輩が咳払いをする。
「広郷君、今日は、いっぱい、おつかれさまでした」
どこか気を使ってくれている利美先輩の言葉。
「利美先輩の方こそ、お疲れさまです。呪いの件とか、修行の時とか――」
言葉が続かなかった。声が出なかった。口が固まった。
「……若宮さん、いなくなっちゃったね」
ぽつりと――気まずそうに――利美先輩が呟いた。
「はい。僕は一人になっちゃいました」
「一人だなんて、私もいるよっ!」
利美先輩が叫ぶように言った。そして、気まずそうに表情を歪めると、僕の腕を引っ張る。
「驚かせてごめん……」
か細く聞こえた利美先輩の声。小さな沈黙が訪れた。
利美先輩が何かを言いたげな顔をしている。深呼吸をして、利美先輩が僕の顔を見つめてきた。それはとても真剣な瞳で、目を逸らすことは出来なかった。
「ねぇ、私じゃ……ダメかな? 私が、若宮さんの代わりになれない……かな? 私、広郷君のことが好き。今日の昼間にも言ったけれど、私、広郷君じゃないと嫌なの」
そっと利美先輩が抱き付いてくる。震えている肩。とても振り払うことは出来ない。「好き」と誰かに言われることは、気持ちがくすぐったくなる。
若宮さんにとり憑かれてからは、ずっと畏怖の対象として人の世の中では浮いていた。なかには怖い雰囲気を持つ僕のことが好みだと言ってくれた女の子が何人かいたけれど、とても長くは続かなかった。だけど――妖しの視える利美先輩になら、僕のことを理解してもらえるかもしれない。
ぎこちなくしか動かない腕が煩わしい。ゆっくり細い肩に腕を回すと、ぴくんと利美先輩が反応した。少しずるいと思ったけれど、僕は一人になるのが怖かった。利美先輩がいなくなってしまうのが怖かった。ここで手放してしまうことが怖かった。でも――
改めて利美先輩を抱きしめる腕に力を入れる。利美先輩が軽く吐息を漏らした。
「利美先輩。……。残念ですが、利美先輩は僕の中で、若宮さんの代わりにはなれません。いえ、代わりにしてはいけません」
小さな沈黙と僕の覚悟。
利美先輩の身体が僅かに震えた。
「でも、僕は利美先輩が好きです。利美先輩のことを、もっと知りたいです」
利美先輩が、無言で僕の両腕をゆっくりと振り払って、右手を目元にあてる。赤いアンダーリムのメガネを外して胸ポケットに収めると、堰を切ったように利美先輩は泣き出した。
「ぐしゅっ、うぇぇぇっ、広郷君のいじわる。うえぇっ、断られたかと思ったよぉ……」
利美先輩が強く抱き付いてくる。その温かさに、このままうやむやにしておくことも考えたけれど、正直に思っていることを口に出すことに決めた。
「利美先輩、僕は一人になるのが怖いです。若宮さんがいなくなったから、今度は利美先輩にすがろうと一瞬考えてしまいました。僕には両親がいません。親戚にも本当の家族と呼べる人はいません。だから、一人になることがとても怖いんです。でも――誰かに依存するままじゃいけないと思うんです。……。こんな僕でも本当に良いんですか?」
利美先輩の身体が強張ったのが分かった。小さな沈黙が僕らを包む。そして、ゆっくりと利美先輩が、僕に抱き付いた腕に力を込めた。
「……うん、良いよ。私も一人は嫌なんだよ。一人は怖いんだよ。一人は寒いんだよ」
利美先輩の身体が熱くなる。言葉を重ねる度に、どんどん火照っていくのが僕にも分かった。
「私は、妖しが視えることで一人の寂しさは嫌と言うほど知っている。だから、温かさが欲しい。受け止めて欲しい。むしろ私の方が、我儘いっぱいで依存したい。神社の跡取り娘なんて放り出したい。だけど、広郷君と一緒なら、私も頑張れるから――頑張るから――一緒にいさせて欲しいの」
僕の腕の中で再び泣き出した利美先輩。
しばらく泣いた後に利美先輩が顔を上げた。そして小さくため息をついたかと思うと、軽く身体を突き飛ばすようにして、急に僕から離れる。
「利美先輩?」
いきなりのことで驚いたけれど、少し目元を腫らした利美先輩と視線がぶつかって、拒絶されている訳ではないと、すぐに理解できた。
戸惑う僕の瞳を覗きこむようにして、利美先輩が悪戯っぽい笑顔を作る。
「広郷君はずるい。私の方がお姉さんなのに、今日は一杯いっぱい泣かされちゃったの。――だから、お詫びに一つだけ、私の言うこと聞いて欲しいな」
唐突なおねだり。年上を自分でアピールしているのに、視線が泳いでいて、どこかぎこちない利美先輩の表情が可愛らしく感じた。だから少し意地悪をしたくなる。
「内容、聞くだけは聞きますよ?」
「あっ、それは酷い言い方だよ。――でも、広郷君は、きっと断らないと思うの♪」
はにかむような笑顔で利美先輩が笑う。やっぱり可愛かった。
「そうですか? それじゃ、僕が何をすれば良いのか、教えて下さい」
本当は、何となく分かっていた。
ほんのりと利美先輩の顔が、赤くなっていたから。
「えっとね、私にキスして欲しいの。昼間は邪魔が入って出来なかったから」
利美先輩が目を閉じて、顔を斜めに上げていた。
緊張しているのか、ふるふるとまつげが震えている。そっと顔を近づけて、顔を斜めにして優しく触れる。人体模型とホルマリン漬けに見守られる中でキスするなんて、雰囲気も何もないけれど――人ならざるモノを視てしまう僕らには、ちょうど良いのかもしれない。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。
名残惜しいけれど、そっと唇を離していく。
目を開けると、ぼうっとした表情の可愛い利美先輩と視線がぶつかった。恥ずかしそうに、すぐに目線を外されてしまった。
「今日から、私と広郷君は恋人同士だよ。いつも一人じゃないこと、忘れないでね?」
(最終話_再会へ続く)




