第16話_夜桜様の登場
第16話_夜桜様の登場
一目惚れしたから結婚して、といきなり言ってきた女の子。
最初は可愛いな、程度だったのに、どんどん利美先輩の存在感は大きくなった。それは先輩が変わったんじゃない。僕の気持ちが変わっていたのだ。はっきりと言える。僕は利美先輩のことが好きだ。今まで、誰にも感じたことが無いくらい大好きだ。
僕のことを正面から真っ直ぐに見つめてくれる利美先輩と一緒に居たい。それなのに――気付くのが遅すぎた。僕は、何をしていたのだろう。なぜ、この気持ちを行動で伝えられなかったのだろう?
利美先輩がいなくなってしまうかもしれないと分かっていたのに。
◇
気が付くと、若宮さんに頬を叩かれていた。
「広郷、しっかりしろ。利美のために泣くのは今じゃないっ!」
嬉しそうな笑い声をラーミアがあげる。
「うふふっ、想像した以上に、そそられる反応ですね。さて、どうします? 若宮さんの百鬼夜行は我が吸収しますし、広郷さんの刃は我を倒すにはひ弱すぎる。もう、何も手が残っていませんよ?」
勝ち誇ったようなラーミアの言葉。でも、若宮さんが鼻で笑う。
「あたい達に何も手段が残っていないだと? はっ、笑わせるな。それなら何で、さっきお前は広郷の突きを避けたんだ? 切られるのは鱗で弾くから大丈夫でも、刺されるのは効くんじゃないのか?」
「そんなこと、ありませんよ?」
若干、ラーミアの口調が固くなったのを僕も若宮さんも見逃さなかった。
「広郷、早く決着をつけろ!」
「いや、でも、利美先輩が――」
「利美のことは、今は考えるなっ! 呪いの元凶を断てば、まだ利美は助かるかもしれないんだぞ!? 手遅れにするつもりか?」
利美先輩が助かる? それなら、迷ってなんていられない。
霊剣を構えて前に出る。突きを繰り出すと、ラーミアが右手で振り払うように太刀の勢いを受け流す。そのままの勢いで僕に近付いてきたかと思うと、髪の毛が蛇に変わって襲いかかってくる。
「――っ」
霊剣でなぎ払いながら後ろに跳んで距離をとる。安易に相手の間合いに踏み込めば、蛇の餌食になるのが分かってしまった。でも、同時に突きが有効だと理解する。
ラーミアが嬉しそうに笑う。
「あははっ、我の弱点をすぐに見つけるなんて、なかなか面白いたたり神。でも――こんなに弱体化していたら、無理も効かないでしょうに♪」
下半身をくねらせて僕から距離を取ったかと思うと、その躯体に似合わない素早さでラーミアが若宮さんに接近した。
視界の端に見えた若宮さんは、驚いた表情のまま固まっている。蛇に睨まれた蛙のように、動けていない。
「我の『邪眼』に掛かるなんて、たたり神と呼ばれる呼び名に、貴女の妖力は釣り合っていないですよ?」
ラーミアの声が洞窟に響いた次の瞬間、ラーミアの右腕が巨大な大蛇に変わって、若宮さんを飲み込んだ。
無抵抗で、一瞬のうちに、若宮さんが白い闇に消えた。
「ほら、隙だらけ♪」
勝ち誇るように、ラーミアが笑いながら僕を見つめてくる。
若宮さんが――吸収された?
まさか?
目の前の信じられない光景に、時間が止まったような気がした。
若宮さんがあんなにあっさりやられるわけがない。強気な若宮さんが無抵抗で飲み込まれるような訳がない。こんなこと、ありえない。それなのに――若宮さんからの妖力補給は途中で止まってしまった。
足が震える。右手に持っていた霊剣も、元の日傘に戻っている。若宮さんからの妖力補給が途切れた今――自分が普通の人間に戻っていることを悟ってしまった。
「さぁ、これで残ったのは広郷さん、貴方一人だけですよ。どうします? 命乞いでもしてみますか?」
悪戯っぽい表情を浮かべるラーミア。
命乞いは嫌だった。利美先輩や若宮さんが殺されているのに、松やすすきが倒れて気を失っているのに、自分一人だけがのうのうと助かるなんて想像も出来ない。小さな傷一つで良いから、ラーミアに一矢報いたい。
日傘を構える。
今更ながら細い持ち手は想像以上に持ちにくくて、下手に力を入れたら折れそうだ。両手が震えている。恐怖でじゃない、若宮さんを殺された怒りで震えている。そう自分に言い聞かせる。
でも、目の前のラーミアは、嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。
ラーミアは言葉を発しない。辺りを包んでいた禍々しい魔力が薄らいでいく。
「なぜ、僕をすぐに殺さないんです?」
「あら、まだ気付いていないんですか? 広郷様は」
ラーミアの言葉に覚えた違和感。
さっきまで漂っていた重い雰囲気が、一切無くなっている。
「僕が、気付いていない?」
慎重に言葉を選ぶ。僕は、何に気付いていないのだろう?
意外そうな表情をラーミアが浮かべる。そして嬉しそうな表情で言葉を発した。
「今までのは全部――嘘。我は広郷様の味方なんですよ?」
ラーミアの声が洞窟の中に響いた。
信じられない言葉だった。
「ああ、愛おしい人っ♪ やっと二人きりになれましたねっ!」
言葉と同時に、鞭のようにしなやかな尻尾をくねらせて、ラーミアが僕に抱き付いてきた。
僕が手に持っていた日傘は一瞬でラーミアの尻尾に、ぱさりと打ち落されていた。妖力補給無しじゃラーミアに敵わないことを悟る。ラーミアの下半身にぐるぐると巻き付かれてしまったせいで身動きも取れない。
「うふふっ♪ 驚いている広郷様の顔も、素敵ですね」
「――っ、何をしているんですか? 殺すなら、ひと思いに殺して下さいっ!」
「そんなに怒らないで下さいよ? 我はずっとずっと広郷様を待っていたのですから」
困ったような表情を浮かべるラーミア。その顔からは、邪気は一切感じられなかった。でも、僕はラーミアを許すことはできない。
「貴女は、若宮さんを殺しました。利美先輩を殺しました。松やすすきを傷付けて、黒神島地区の妖しをたくさん殺しました。それなのに――怒らないでいられる訳がありませんっ!」
僕の言葉に、ラーミアが両手を交差させて慌てたように口を開く。
「ちょっ、それは広郷様の誤解ですっ。『たたり神』の若宮さんには消えてもらいましたが、利美さんは殺していません、仮死状態で眠らせているだけです。松やすすきという門守も同じ。黒神島地区の妖し達も、別の結界で眠ってもらっています。全ては、広郷様を若宮さんから解放するための芝居なんです」
「解放? 芝居? 何を言っているんですか!?」
「そんなに怒らないで下さいよ。全ては、広郷様のお祖母様が発案者です。約三〇〇年続くたたり神の呪いを解くために、たたり神を吸収する能力を持つ我に、若宮さん討伐の話がやって来たんです」
「でも――そんなっ――うちの婆ちゃんが――」
「本当の話です。妖しの妖気を吸収できる我は、若宮さんを討伐し、広郷様を守る新しい使い魔になるためにヨーロッパからやって来ました。いえ、少数派の白化個体として虐げられていた我を海外旅行中に拾って、式神に育ててくれたのが広郷様のお祖母様です。ずっと姿を隠しておりましたが、何度かお祖母様の家ですれ違ったことを覚えていませんか?」
ラーミアに言われて――婆ちゃんの家に銀髪の蛇の式神がいたことを思い出した。婆ちゃんは厳格な人だから、その式神と話をしたことなんて全然無いけれど、綺麗な銀髪の印象だけは記憶に残っている。
おまけに、婆ちゃんが若宮さんのことを快く思っていないのは僕も知っている。一族の外から嫁いできた婆ちゃんにとって、死んだ祖父ちゃんの正妻的な立場だった若宮さんを好きになれというのは、酷な話だから。嫉妬しない方がどうかしている。
「その表情、我を思い出して頂けたみたいですね。嬉しいです。ずっとずっとお慕いしておりましたから」
ラーミアがうっとりとした視線を僕に向けて、そっと顔を近づけてくる。
邪眼に魅入られてしまったせいか、身体の力が入らない。いや、そもそもラーミアの下半身に巻き付けられているから逃げることができなかった。吐息のかかる近い距離。そして唇が――
「ダメです。僕は、ラーミアさんを信じられません」
僕の言葉に、びくりっと動きを止めて、ラーミアが困ったような表情を浮かべた。
「どうすれば、信じて頂けますか?」
「ラーミアさんが僕の婆ちゃんの式神だったとしても――とても言葉だけじゃ、信用できません」
ラーミアが真剣な表情で頷いた。
「分かりました。我の言葉だけじゃ信じて頂けないんですよね。それなら、こうしましょうか。実は、夜桜様も我の協力者なのですよ。――そうですよね、夜桜様?」
僕に巻き付いたまま、ラーミアが顔を横に向ける。
その視線の先、闇の中から気まずそうに夜桜様が出てきた。目線を僕と合わせないまま、ゆっくりと夜桜様が口を開く。
「広郷さん、ごめんなさいね、騙したような形になって。ラーミアさんが言っていることは全部本当のことなの。でも、松とすすきは何も知らないわ。黒神島地区の地主だけが、若宮さんの討伐計画に関わっているの」
小さく息を吸い込むと、夜桜様が言葉を続けた。
「それに、こうすることが、貴方のためだったから……」
(第17話_言い訳に続く)




