第13話_私に誓って
第13話_私に誓って
「利美先輩のお勧めのお店、地下なんですね。何だか新鮮です」
「でしょ? イタリアンの創作料理が美味しい料理なんだよ♪」
店内に入ると、ウェイターさんに促されて、利美先輩と席に着く。すぐにメニューが運ばれてきた。
「パスタにするか、ピザにするか、迷うよぉ……」
メニューを見ながら利美先輩が呟いた。どうやらシーフドの入ったパスタとバジルの乗ったピザのどちらかで迷っているようだ。
「利美先輩、半分こしませんか?」
「ふぇっ!? 半分こするの?」
「あ、いや、嫌でしたら別に良いのですが……」
「ううん。男の人と半分ことか、本当のデートみたいだなぁって思って♪」
「今、利美先輩、さらりと酷いこと言いましたよ……。これ、本当のデートじゃないんですか? 僕はそのつもりでしたけれど」
僕の言葉に利美先輩がにこりと笑う。
「本当のデートだよ♪ 優しくて、かっこよくて、気の利く男の子とのデート。でもさ――」
少し暗い顔をして、利美先輩が言葉を切った。
机の上に肘を置いて指を組むと、顔をそむけながら言葉を続ける。
ほんのりと頬に赤味がかかって、唇がとがっていた。
「よく考えると、広郷君は若宮さんの神降人で、若宮さんの恋人なんだよね。今日のこの時間が終わっちゃったら、広郷君はまた若宮さんの元に戻ってしまう。それが少し妬けちゃうし、私は女の子として悔しくもある」
小さな沈黙が流れた。
利美先輩は僕と若宮さんの関係を誤解している。
「えっと、若宮さんは僕の神様ですけど恋人じゃないですよ? ちょっと怖い『血の繋がった姉』みたいな存在なので。ですから、もし先輩が良ければ、今回の白髪鬼の件をうまく乗り切れたら――その時には、またデートしてくれますか?」
カタリと音を立てて利美先輩のグラスが倒れた。正方形の小さな氷と一緒に水が机に広がる。
「きゃっ、ごめん。すぐに拭かなきゃ!」
「お客様、大丈夫ですか?」
すぐにウェイターさんが駆けつけて、おしぼりで机の上を拭いてくれる。
「お客様、お洋服は――」
「大丈夫です、私は濡れていません。広郷君は?」
「僕も大丈夫。ありがとうございます」
机の上から水気が完全に無くなった後、利美先輩が口を開いた。
「あのっ、すみません、注文良いですか?」
利美先輩の言葉にウェイターさんが返事をする。
「はい、どうぞ」
「えっと、この『シェフのお勧め鹿児島湾でとれたシーフドのパスタ』と『獲れたて自家栽培バジルピザ』を一つずつお願いします」
「はい。『シェフのお勧め鹿児島湾でとれたシーフドのパスタ』と『獲れたて自家栽培バジルピザ』ですね。すぐにお持ちいたしますので、しばらくお待ち下さい」
ウェイターさんを見送ってから、利美先輩が口を開いた。
「ごめん、本当に濡れてない?」
「はい、大丈夫です」
「良かった。ところでさ――さっきの半分この約束、ちゃんと守ってね♪」
利美先輩が、嬉しそうに、にこっと笑った。
◇
お昼ごはんを食べ終わった後。人ごみの無い場所でゆっくりデートしたいという利美先輩のリクエストで、水族館に行くことになった。
「広郷君、すごいよ! ジンベエザメがオキアミ食べてるっ!」
興奮気味の利美先輩。生物部の部長をしていると聞いていたけれど、昆虫だけじゃなくて魚も好きなのだろうなとすぐに分かった。
水槽の中には、ジンベエザメ以外にもマグロやカツオ、大きなエイやサメも無数に泳いでいる。そして小さな魚の群れが大型魚に負けない速さで水面をくるくると向きを変えながら泳いでいる。その様子を目を輝かせながら飽きずに見ている利美先輩。
穏やかな静寂が僕らを包む。このゆっくりと流れる時間を大切にしたいと感じた。
子ども連れの親子の会話が遠くに聞こえるけれど、利美先輩は夢中になって水槽の中の魚を覗きこんでいる。僕は、そんなに魚に興味がある人間ではなかったけれど、幸せそうな利美先輩と一緒にいられるだけで退屈ではなかった。
水族館の順路に沿って利美先輩と水槽をめぐっていると、イルカプールの前までやってきた。
「利美先輩、イルカショーが始まるみたいです。椅子で見ましょうか?」
「ううん。私、地下にある水槽からイルカを見たいな。多分、上で見るより空いていると思うし、穴場になっているんだよ♪」
「そうなんですか?」
「うん、だから地下に行こうっ♪」
利美先輩に手を引っ張られて、階段を降りていく。
◇
ひと気のない地下のイルカ水槽。
他の人達はみんな地上でイルカを見ているおかげで、僕ら二人だけの貸し切り状態だった。
小さな水の音だけが流れている時空間。
利美先輩との会話は気が付いたら途切れているのに、心地よい安心感にふんわりと包まれているみたいだった。
「ねぇ……広郷君?」
「はい、利美先輩。どうかしましたか?」
水槽に両手を付けて覗き込んだままの状態で、利美先輩が、ゆっくりと口を開く。
「お昼ごはんの時、広郷君は『またデートしてくれますか?』って言ってくれたけれど、私、きちんと返事していなかったよね?」
「そう言われれば、そうですね」
少し気まずい雰囲気。
僕としては忘れてはいなかったけれど、あの時、利美先輩に、急に話をはぐらかされたのが分かっていたから、あえて話題にしなかった。……。利美先輩に拒絶されることが、少し怖かったという後ろ向きな理由もある。
「私さ、小さい頃は変人扱いだった。他人には見えないモノが視えてしまうせいで、それに怯えたり、話しかけたり。今は普通の人のフリが出来るようになったけど、広郷君はどうだった?」
視線は水槽に向けたまま、利美先輩が聞いてきた。
「僕も小学校では変人扱いでしたよ。両親と親戚だけは、若宮さんのことを知っていたから、普通に接してくれましたけれど。自分の視えているものが他人に視えないと自覚してからは、普通の人のフリをしていました。――とはいえ、僕に憑いている若宮さんのことが怖いのか、小学校以降で友達が出来た経験は、一度もありませんけれどね」
「そっか。私は神社の娘だから、中学生のころからは『ちょっと視える人』って感じで仲の良い友達とか出来るようになったんだけれど――」
利美先輩が言葉を切る。
「初めてね、初めて好きになった人にね、妖しが『本当に』視えることを話したら――」
利美先輩が水槽を向いたまま言葉を続ける。
「気持ち悪いって言われたんだ」
利美先輩の肩が震えていた。水槽に反射した利美先輩の顔が歪んでいた。
「うぐっ……視えるのは……仕方無いのに……良い人だと思ったのに……ひぐっ……普段は自然に接してくれていた人なのに……『気持ち悪い』って……言われたの」
利美先輩が僕の方を向く。
怯えるような瞳に一杯の涙を浮かべて、まっすぐ僕を見ていた。
「だから私、他人を信用することが出来ないの。他人が何を考えているのか分らないの。自分以外の誰かは、本当は敵なんじゃないかなと考えてしまうの。そして――男の人が、怖いの」
吐き出すように言葉を紡いだ利美先輩。瞳からぽろぽろと涙がこぼれていた。
「利美先輩」
ポケットからハンカチを取り出して、利美先輩の顔にゆっくりと近づけていく。利美先輩は、びくりっと反応したけれど、僕がするままに大人しく涙を拭かせてくれた。
「利美先輩、他人が信用できないのは僕も一緒です。女の人が怖いのも――我儘な若宮さんと一緒に暮らしているせいで重々感じています。つらかったですよね、でも、もう大丈夫です。僕がいますから」
利美先輩が小さく笑う。作り笑顔。僕を信じて良いのか迷っている、そんな瞳だった。
「本当に広郷君は私を裏切らない? 気持ち悪いって思わない?」
「大切な理由があれば、利美先輩を一時的に裏切るように見えることがあるかも知れません。でも、その時には話し合いをさせて下さい。気持ち悪いとは思いません。僕だって同じモノが視えますし、むしろそういう能力を共有できる利美先輩のことが、愛おしく僕は感じます」
「愛おしい? 本当に?」
「ええ。本当です」
僕の言葉と同時に、利美先輩が身体を預けるように、ゆっくりと抱き付いてきた。
「その言葉が本当なら……キスして欲しい。嘘じゃないって、信じさせて欲しい」
顔を逸らしたまま――目線だけはイルカ水槽に向けて――利美先輩が小さく呟いた。
緊張しているのだろう、利美先輩の腕が大きく震えていた。
「この気持ちはね、広郷君に出会った頃の一目惚れみたいな軽い感情じゃなくて、私を助けるために頑張ってくれている広郷君のことが大好きな、真剣な気持ちなの。だから、お願い――私にキスして、全部嘘じゃないって、誓って欲しい」
利美先輩が僕の方に視線を移して、にっこり笑うと目を閉じた。ふるふると震える利美先輩。余裕があるように振る舞っていたけれど、こういうことが初めてなんだろうなと分かった。
利美先輩と出会ってから過ぎて行った、この数日間を思い出す。
利美先輩は、強引なところがあって、そのせいで真っ直ぐで、自分が可愛い女の子だと自覚していて、実際、可愛い女の子でもあって、そのくせして全部、悪気を持ってやっているわけではないみたいだから――正直めんどくさいタイプの女の子だと思う。
でも、それに振り回されることが、友達のいなかった僕にとっては新鮮で嬉しい。僕はこれからも利美先輩と一緒にいたいと正直に、心の奥から思うことができる。
「……」
そっと利美先輩にキスしようとした瞬間。
背後に妖しの気配と殺気を感じた。
(第14話_白髪鬼に続く)




