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第1話_たたり女神の若宮さん

~第1話_たたり女神の若宮さん~


脱衣所の壁にかかった小さな丸い時計は、夜の二〇時過ぎを指していた。

僕がお風呂場に入ろうとした瞬間、脱衣所のドアを幽霊のように通り抜けて、若宮わかみやさんがやってきた。



広郷ひろさと~、あたいも一緒にお風呂に入るぞ♪」



ウェーブのかかった背中まであるゆるふわな白髪に、透き通る白い肌。赤い口紅に喪服のような黒い着物。象牙色の二本の短い角が、ネコ耳みたいにはねている。悪戯っぽく嗤っている口元と銀色の瞳は、年上のお姉さんの余裕と色気がたっぷり。

うちの「たたり女神様」は――何でこう、僕に対するセクハラが大好きなのだろう?



「嫌ですよ、若宮さん。昨日も言いましたが、お風呂には一人で入るものです」

「えぇ~っ、それはダメっ。あたいは広郷に髪を洗ってもらうのが、とっても、とっても、大好きなんだよ?」

「いやいや、だめですって。お願いですから、脱衣所から出ていって下さいよ」



若宮さんの視線がにやにやと嬉しそうに変わる。

「あ~、分かったよ。昨日、一緒に入った時に『おっきくなったこと』をからかったのをまだ根に持っているんだ? いいじゃん、一六歳の男の子なんだから、自然な反応だって♪」



「全然良くないです。――って、いきなり目の前で脱ぐのは止めて下さ――」

ぞくりと鳥肌が立った。着物を脱ぎ捨てた若宮さんの周りに、身体を包み込むような漆黒の深い闇が漂っていたから。



魑魅魍魎の潜む禁忌の領域。

手を伸ばせば喰い殺される死霊が蠢く霧の中央で、若宮さんの銀色の瞳が煌々と獣のように光っている。



「広郷~、あたいをあんまり怒らせない方がいいぞ? この場であたいの闇に潜む鬼を解放してやろうか?」



くくっと小さく嗤って――僕に拒否権が無いのを理解しているくせに――若宮さんが言葉を続ける。



「マンション全体が異界に取り込まれて地獄と化すけれど、それでもお前は良いんだよなぁ? 無関係の人間を巻き込んでも、絶対後悔しないんだよなぁ?」



若宮さんが、瞳だけ笑っていない作り笑顔で、僕に視線を送る。そっと耳元に顔を近づけてきた。



僕の首すじに若宮さんが両手を絡めて、ふふぅ~っと、わざとらしく吐息を洩らす。

「もう一度だけ言うよ? お姉さんと一緒に、お風呂入ろうよ? ねっ?」



優しい囁き。とても逆らうことなんて出来なかった。

たたり神の若宮さんが怒ったら、僕の半径五〇メートルは呪詛に包まれて、生き物の魂を喰らう呪われた土地『穢レ地』と化してしまう。

僕は、この黒神島の街に自殺の名所を作りたくはない。



「……はい。僕が悪かったです。一緒にお風呂に入って下さい」

「分かればよろしい。――それじゃ、お姉さんの髪を洗って頂戴な♪」



ご機嫌な表情に戻った若宮さんに引っ張られて、今日も一緒にお風呂に入ることになってしまった。



……。



若宮さんとは、こんな関係、いつか絶対に止めないといけないのに。



  ◇◆◇◆◇



鹿児島県本土の中央に位置する、火山島の桜島。

限界集落と化していた桜島とその東部に位置する黒神島地区を活性化させるため、県出身の議員が中心となり、中高大一貫の黒神島学園が誘致されたのは五年前。



短いとも長いとも言い切れない中途半端な歳月とはいえ、限界集落は小さな学園都市へとその規模を成長させていた。



「ね~、肝試ししようよ?」

一人の女子高生が、真っ暗な校庭を眺めながら、友逹数名に話しかけた。



年々成長し続ける街の中央にあたる黒神島学園のグランド脇には、五人の神様を祭っている原五之社はらいつつのしゃ神社が存在する。



その一見どこにでもある小規模の神社は、夜になると異様な雰囲気を発していた。鳥居が土砂に埋まって、笠木部分の一メートルだけが、生首を晒すように地表から突き出しているから。



「嫌だよ、怖いから止めておく」

「もう夜の二一時過ぎだよ~? 止めとこうよぉ~」



神社の鳥居が地面に埋没した原因は大正時代の火山噴火。

それは鹿児島湾にぽっかりと浮かぶ桜島が、流れ出した溶岩で対岸の陸地とつながってしまう規模の大噴火だった。



しかし火山噴火は過去の話。二十年前に噴火活動を停止した桜島は、富士山と同じように、今では温泉が名物の大人しい山に変化している。



そんな事情もあり、過去の歴史を当世に残している埋没鳥居は、昼間はパワースポットや観光名所として黒神島地区のシンボルになっていた。その一方で、夜は――



 ◇



丑三つ時の原五之社神社の境内。

暗い夜の闇を照らすように、橙色の火ノ玉が飛び交っていた。



夜桜よざくら様、自警団の報告によると妖しが三匹、行方不明になりました」



神社の境内は、現世から切り離された結界。

人の世に重なるように存在する神や妖しの棲む異界の中央で、夜桜と呼ばれた一人の女性が、切れ長の目をさらに細めながら、困り果てた様子で苦笑いを浮かべた。



漆黒の長い髪に薄紅色の唇。身につけているのは朱色の曼珠沙華に無数の蝶が描かれた着物。手に持った扇子を神経質に開けては閉めるパチリという音が、炎で揺らめく闇に響いていた。



まつ、それで? 犯人の正体は分かったの?」



婉曲された非難と若干の怒りが込められた夜桜の声に、松と呼ばれた小柄な犬耳の妖しが、身体を震わせながら首を横に振る。



「いいえ。犯人は――白髪鬼は――『女の姿をした二本角の白い髪の鬼』ということしか分かっていません。遭遇した者が殆どその場で攫われているせいで、目撃情報が集まらないんです」



ぴんと立っていた耳をしゅんと伏せ、線の細い身体をかばうように、松は両腕を交差させた。意志の強そうな大きな瞳が気まずそうに泳いでいる。松の栗色のショートヘアと桜色の着物に紅色の袴の巫女装束が、夜桜の背後から吹いた風に、ぱたぱたと揺らめき始めた。



「そうなの? 昨日も、松は同じことを言っていたわよね?」

夜桜の不機嫌な声に反応するみたいに、境内を飛び交っている火ノ玉の炎が大きくなった。それは線香花火のように輝いて、子どもの頭くらいありそうな、大きな曼珠沙華の花に変わる。飛び散る火花に、一瞬だけ、松が怯えるような表情を浮かべた。



「……。申し訳ありません」

「この問題は、すでに私の信頼に関わっているの。『黒神島の土地にいると危険な妖しに攫われる』とか『夜桜様は何も手を打てていない』とかいう声が、私の耳にまで聞こえてくるのよね。松、このまま黒神島の土地に棲む妖しが全て他の地に移動してしまったら、どうなるかしら? 土地神の私がこの地に存在する意義は無くなってしまうのだけれど、意味を分かっている?」



「……。分かっております」

「分かっているなら、動きなさいっ! どんな手段を使っても構わないから、一刻も早く白髪鬼を消滅させるの。ほんっとう、自警団も何をしているのかしら!?」



それじゃ、今日はもう行きなさい。そんな表情で夜桜が片手を振った瞬間、境内の火ノ玉が弾けて一気に消えた。真っ暗な闇の中、光を求めるように瞳孔が開いた松の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。



「くやしい……。何で、松達は頑張っているのに、あの人は認めてくれないんだっ!」



がっ、と地面を殴りつける松。何度も何度も、右手で地面を殴りつける松。

暗闇の中、テトテトと松のもとに駆けつけて、その手を止める少女がいた。ぺたりと垂れた犬耳。松と同じ巫女装束を身につけた、焦げ茶色のセミロングの髪の少女。



「松ちゃん、そんなことしたら手が痛くなるよぉ」



「止めるな、すすき」



すすきと呼ばれた犬耳の少女が怯えたような涙目になる。元々伏せられていた犬耳が、よりいっそう伏せられて、ぺったんこになってしまった。しかしすすきの視線は、真っすぐ松に向けられている。



「だめだよぉ。松ちゃんが痛いと、すすきも痛くなっちゃう。それでも松ちゃんは良いの?」



静寂が二人を包んだ。気まずそうに松が口を開く。

「……ごめん。松が、悪かった」



すすきは、こくりと頷くと、松の血がにじむ右手をその両手で包んだ。淡い白色の光が生まれて、松の傷が一瞬でふさがる。



「すすき、ありがとう」

「ううん、どういたしまして。……松ちゃん、もう一度パトロールに行こう?」

「そうだな。すすきが一緒なら、白髪鬼を見つけるために、また頑張れるよ」

「うん、自警団のみんなに『今夜もありがとう』ってお礼を言わなきゃ♪」



松とすすきは小さく笑い合うと、夜の闇の中へ溶けるように消えて行った。



  ◇◆◇◆◇


(第2話_出会いへ続く)

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