Episode07 迷宮都市?
夕陽はしぶとい。
沈みかけていても、ビルの隙間から何とかして地表を照らそうと、躍起になってオレンジ色に輝いている。道路の先の雑居ビルに後光が差したみたいになっていて、綺麗だった。
私たちは人波を掻き分けながら、自由が丘駅を目指していた。それらしい方向に向かうにつれて、重低音が段々と響き始める。あれ、何の音だろう。
「なんか演奏会、やってるみたいだね」
荏原さんが、のんびりと呟く。そうか、これベースの音だ。やっと思い出した。さっきここを通った時は地図見るのに夢中で、気づかなかったんだ。
「だからこんなに人がいたんですね……」
苦笑いすると、荏原さんも笑う。夕陽の当たる部分は陰影がよりはっきりして、笑っている表情を分かりやすくしていた。
「この街は、本当に賑やかだよね。下宿先と大岡山の大学とここの間を行ったり来たりする生活、最初はさすがにちょっと馴れなかったけど、今は楽しいなって思えるよ」
「荏原さんも東京以外から来たんですか?」
「うん。私はあの人よりもう少し東京寄りの、郡山なの」
荏原さんは頭を掻く。
「私、昔からドジでさ。道に迷ったり転んだり、何かっていうとミスばっかりだったの。英理がいなかったら私、今ごろ出席数不足で退学になってたかもしれない」
へぇ──って出席数不足!?
「あの子がいるから、今の私がいるって感じなんだ。事あるごとにバカにするけどさ、私のこと──」
その時、強い人波が私たちの間に流れ込んだ。
「わっ!! 荏原さん!?」
やばい、周りの人たちみんな背が高い!何も見えない!
『これにてリサイタルを終えたいと思いまーす!』
向こうの方からマイクの声が聞こえる。ああ、演奏会が終わったからこんなに人がいるのか。
って、落ち着いてられる状況じゃないよ! 荏原さん完全に見失っちゃったよ!
ぞろぞろと連なる人の流れに、押し退ける力のない私は流されるしかなかった。 それでも懸命に流れに逆らおうとして、横にずれて、ずれて、
……ぽんっと、弾き出された。
「あ痛っ!」
私は見事に尻餅をついた。
ああ、お尻が痛いよ……。翻ったスカートを慌てて元に戻しながら、その場に私はぺたんと座り込んだ。
深く、ため息を吐く。
人波からは出れたけど、荏原さんとはぐれちゃった。このままバラけちゃうわけにはいかないし、合流しなくちゃいけないのにな……。
とは言え、このたくさんの人たちの中にまた戻りたいとも思えない。荏原さんも外に出てたりしないかな。
「喉乾いたなぁ……」
とりあえず、荏原さん探そう。で、途中で自販機があったら何か買おう。
ふらふらと微妙に力の入らない足で、目の前の道に向かって私は歩き始めた。
……何か変だと思ったら、別の道に紛れ込んじゃったみたいだ。
こっちの道も、じゅうぶん人通りがある。お店もたくさん並んでいて、賑わってる感じがする。
どうしよう、ますますやばい。私この風景知らないよ。駅には近づいてる気がするけど、確証ないよ。
巨大迷路にでも入り込んだ気分で、私は街を見上げながら荏原さんを探す。スーパー、お花屋さん、時計屋さんに洋菓子店にアトリエ。色んなお店が────
ん、今私、何て言った?
私はちょっとバックした。目をこすって、何度もその看板を見返した。
『アトリエ甘楽堂』──確かにそう書かれている。
見つけた! 荏原さんを見つけた訳じゃないけど見つけた!
私は小さい子どもみたいに嬉しくなった。あの外人さんは、ここを探していたんだ!
後ろを振り返れば、今来た道と垂直な向きに道が延びている。あの外人さん、きっとこの道を横切った時に看板が見えたんだろうな。だとしたらすごい視力だけど、あの人のっぽだったしなぁ。
……荏原さん、ごめんなさい。私、ちょっと、ちょっとだけ気になります!
私はそろそろ~っと近寄ると、隣の建物の陰からアトリエの中を覗き込んだ。ああ、あの外人さんがいる。年配っぽい誰かと話をしているみたいだ。すっごい盛り上がってる。
もう少し目を凝らすと、中に何が飾られているのか見えてきた。ふーん、粘土細工かな。お皿とかお茶碗とか、日用雑貨みたいなのがたくさん並んでる。
……私、知ってるんだけど。
粘土細工──ううん、あれは陶芸だ。誰が粘土で展覧会なんて開くのよ、バカ。
知ってるよ、私。陶芸に勤しんでて人間国宝にまでなっちゃった、初老のおじいさん。今すぐ名前、言えちゃうくらいだよ。
いや、でもそんな訳がない。おじいさんこと川崎さんは、今年の春に病院に入院しているはずなんだ。私の目の前で体調を崩して、蒲田くんたちに伴われて病院に……。
そう思っていたら、おじいさんはあっさりこちらを振り向いた。
川崎さんだった。