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歯車とクルミ  作者: 椎名
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割れたクルミ

 どんな状況に置かれても二人でいることをやめることは出来なかった。悲しくとも切なくとも、僕たちは二人でいることを望んでいる。ただ変化したお互いの状況を認められないまま知らないまま、僕たち以外の全てを無視してきたことは正しかったのだろうかと、ふとした瞬間に不安が湧き上がってくる。


 バスから降りると、病院近くの公園で遊ぶ子どもたちの声が聞こえてきた。久しぶりの大通りは人が溢れており、欅の木や色とりどりの小さな花々が道を彩っている。穏やかな日差しが、この街の全てを包んでいて「幸福」そのものを表しているようだった。僕が降りたバスに手をつないだ親子が乗り込んでいく姿を、なんとなしに見つめた。走り出したバスを見送るように立つ僕に、窓から顔を覗かせたその子が小さな手を振ってきた。僕がぎこちなく三本指の手を振り返してみせると、子どもは笑いながら、バスに揺られ遠くへ行ってしまった。バスが遠ざかっていく音がする。小さな街の、このほんの些細な出来事だけで、僕は世界に全てに置いていかれているような感覚を味わった。ぼんやりと思考を放棄したままで、長い時間バスに揺られたからこんなにも不安が湧き上がってきてしまうのだろう。そう自分に言い聞かせながら、僕はもうないはずの心臓に手を当てて歩き始めた。聞こえるのは拍動ではなく、キリキリと歯車が回る音だけだった。

 久しぶりに訪れる病院だったが、僕の特徴的な外見はこの病院の医療関係者に僕が何者であるかを説明しなくとも認識させるのに一役買っているようだ。エントランスに足を踏み入れた時点で受付に座っていた事務の若い男性が駆け寄ってきた。

「お久しぶりです。ノワさんの病室に案内しますのでこちらにどうぞ」

そう言って腕を引かれるままに廊下を進みながら尋ねた。

「ノワは、彼女はどうなのです。大丈夫なのですか。無事ですか」

「詳しい容態は担当の医師がご説明なさるかと思いますが...」

それまで急ぎ足で僕を案内していた彼が突然歩みを止めたので、僕は驚いて廊下の前方を見つめた。ガラスから差し込んだ陽が眩しくて、機械の瞳がぎゅっと刺激される。その時、奥から2番目の病室から白衣を着た人が静かに出てきた。

「先生!」

事務の彼は白衣の人物に駆け寄り説明を始めたが、そのノワの担当医と思われる人物はそれを遮ってこちらを向いた。追いつこうと大股で歩いていた僕の顔を見た医師は、初老の顔にいくつかのシワをつくり微笑みながら声をかけてきた。

「久しぶりじゃないか。体の調子はどうだい?」

少しかれた低い声と、藍色のネクタイに僕は見覚えがあった。

「...お久しぶりです」

こちらへどうぞ、とその医師に促された僕は、事務の男性に頭を下げてから医師の後に続いて病棟の奥へ進んだ。


「さてね」

何から話そうか、と正面の椅子に座った先生はこちらを見つめた。

「先生がノワの担当医ですか?」

「ああ。全くの偶然にね。私も驚いたよ」

先生はカルテや手元に置かれた書類をめくりながら、初老の男性にしては無邪気に微笑んだ。

 先生は僕がこの機械の体になる際の医療チームの一人であり、入院中に機械の体を自分の意思のまま動かせるようになるまで担当医として関わってれた人物であった。父の研究に携わり、その一員として「今の僕」を作り上げた人にこのような形で再開するとは夢にも思わなかった。

「機械人体のプロジェクトからは抜けたんだよ。いや、クビになった、が正しい言い方かな」

一言も声を発しない僕に困ったように先生は話しを続けた。

「それからは通常勤務でこんな感じで働いているよ。君とノワさんの事情も病院の方から聞いている」

また一枚カルテらしいものをめくりながら先生は僕の言葉を待っていた。

「今、ノワの状態はどうなのですか?」

ぺらり、と紙がめくられる音が一つ響いてから先生はこちらに向けて姿勢を正した。

「意識は戻りました。先ほどの病室で休まれていますよ。記憶も失われてません。彼女にとっての今日は引き続いてます」

僕は彼女の記憶がリセットされていないことに一気に肩の力が抜けて、思わず「良かった」と呟きながら深く椅子に座り直した。また元の生活に戻れるのだと、僕の思考はそちらに傾いてしまっていた。

安心しきった僕とは反対に、表情を厳しいものにした先生はそれまで眺めていたカルテをデスクに置くと咳払いを一つして低い声で話しを続けた。

「あなた方の生活...いや、生き方については難しい話ですが理解しましょう。しかし、それとは別にとても大切な、いえ深刻なお話があります。どうか、気を落ち着けて、ノワさんと二人で私の話しを聞いてください」

言葉を区切りながら、ゆっくりと先生は話し終えると、院内の連絡用の端末に向かって「お連れしてください」と言った。

これ以上、僕たちの身に深刻なことなど起こり得るのだろうか。まるで知らない誰かのことのようにしか感じられない僕の肩を、先生のしっかりとした人間らしい手が叩いた。


 車椅子に乗せられてやってきたノワは、顔色は悪いもののいつものように穏やかな笑顔を向けた。

「お手伝いの初日から心配おかけしてごめんなさい」

小さく頭を下げながら言うノワの言葉に、僕は首を横に振ってから彼女と一緒に先生に向き直った。

簡単で在り来たりな前置きの後に告げられたのは、彼女の脳が悪性の腫瘍に侵されているということだった。

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