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夜を漂う  作者: 素子
1/3

前編

 母親の命と引き換えに生まれた時から、クロエの運命は決まったようなものだった。

 乳飲み子などとても育てられない父親は乞われたのを幸い、村はずれの魔術師にクロエを引き渡した。父とはそれっきりで、クロエは父の消息を知らない。

 貰い乳でどうにか生き延びたクロエは、魔術師の『器』になった。



 魔術を使うにはどうしても澱のような余計なものが生じる。扱う魔術が大きくなるほど澱も大きくなる。これを放置すると、まずは魔術師が影響を受ける。ついで気が歪み土地がおかしくなる。人心にも悪影響を与える。

 そこで魔術師は『器』に澱を移しこむ。大抵は動物で、命尽きるまで澱を受け入れ続け、吸収する。たいていは早すぎる死を迎え、死によって封じた澱ごと浄化となる。

 魔術師は動物の代わりにクロエを使った。

 物心つく前から、魔術師の実験や依頼によって行使された魔術師の魔力の澱をその身に受け入れ続けたクロエは、いつしか黒い髪と黒い瞳の外見を有するようになっていた。


「お前の許容量はかなりのものらしい」


 年老いた魔術師はクロエを評する。クロエは表情なく聞き流す。

 食べ物は与えられる。見苦しくない衣服も、雨露をしのぐ家と寝台も与えられたが、それ以外は与えられなかった。小さな家の中と、魔術師だけが小さなクロエの小さな世界の全てだった。

 余計な情報も感情も持つことなく、クロエは『器』として特化されていく。そのうちに遠く、王都にも噂が流れた。


『辺境の魔術師が禁忌の『器』を有している』


 王都の魔術師団から人員が派遣され、噂の真偽を確認する。なにしろ相手も魔術師、加えて優秀な『器』のせいで、かなり高度な魔術まで操る存在になっていた。

 最初は懐柔しようとして失敗すると、魔術師団は実力行使に出た。魔術師の家の周囲に結界を張り、複数でもって『器』を強奪した。無論、抜かりなく魔術師の口封じは施した上で。

 村の魔術師の罪状や、王都魔術師団の大義名分には事欠かない。王都魔術師団は『非道な魔術師』から『非人道的な扱いを受けていた人間』を保護したのだ。

 


 王都に連れて行かれたクロエは、魔術師団長の前に引き据えられた。

 着丈の長い精緻な刺繍を施された衣装をまとい、指には呪文を刻んだ指輪をはめて長い杖を持つ師団長は、その杖の先でくい、とクロエの顎を上向かせた。

 鋭い視線でクロエの黒い髪の毛と黒い瞳を見透かす。クロエの中の魔力容量も確かめているようだ。引き据えられたクロエはなされるがままだった。

 黒い瞳にはなんの感慨も、浮かばない。

 しばらくして、クロエの前に腰を落として師団長はクロエの額に指を当てた。


「確かに、これまでに確認された中では最上級の『器』だ。娘、何かを望むか? 行く当てなどなければ、王都魔術師団に身を寄せるがいい」


 クロエの瞳は機械的に師団長の姿を捉えてはいても、特に反応は示さない。

 結局扱いは変わらない。生きる人形、生きる『器』として、クロエはその日から王都師団長所属になった。存在は第一級の機密として。

 あてがわれた部屋の寝台で、これだけは癖で丸くなって眠る。

 住む場所が変わったことや、村の魔術師がどうなったかなどクロエにとってはどうでも良かった。感傷など持つべくもない。

 

 存在を隠すために、クロエは頭からすっぽりと被り物をして全身を覆うような格好になった。クロエの姿を知るのは師団長と村の魔術師の所から連れ帰ったごく少数のみ。その他の者の目にはクロエは師団長の後ろにひっそりと佇む、外見もよく分からない得体の知れない存在として映った。

 クロエの国は隣国と戦をしていた。魔術師団も戦には駆り出される。

 自軍の防御や攻撃、武器への魔力の充填など戦場には魔術師の需要は多い。騎馬団や歩兵、弓兵なども戦には顔をそろえる。


「今回の師団長の攻撃魔法は、えらく威力が大きいな」

「なんでも精度の向上と規模の拡大が可能になったらしい」


 魔術師や師団長が敵の陣営を遠隔からの魔術で切り崩し、その後は騎馬や歩兵の入り乱れる実戦になる。

 今回は戦が楽だ。自軍の騎士からはそんな声が上がっていた。


 昼の戦いが終わり、戦況は自軍に優位だった。小隊長のジルベールは敵から奪った砦の見回りをしていた。石組みを故意に緩めたり、崩されてはいないか。秘密の抜け穴はないか。魔術師に確認はしてもらっていても、こればかりは自分の目で確かめずにはいられない。


 ここで次の進軍に備えて、魔力弾用の投石器も製作しなければならない。

 魔力弾の威力が上がっているので従来の大きいものではなく、小型で充分なのがありがたい。投石器の難点は移送が困難ということだが、小型にできれば使う人馬も少なくて済む。魔術師はそんな物を運んでくれないので、細々したものについては人力や馬に頼らなくてはならない。

 つらつらと考えながら砦の裏手にやって来たジルベールの耳が、水音を拾った。


 剣に手をかけ、気配を殺して音の生じている方へと忍び寄る。どうやら川の方から、らしい。砦の裏手は自然の川になっていて、そこに何かの気配がある。壁際に体を隠し、そっとうかがい見た。

 明かりのない夜、それでも優れた視力は水面に漂う黒いものと白いかたまりを見て取った。水に浸かっている。獣ではない――人だ。しかも一人。

 敵方が泳いできたのだろうか。いよいよ剣を握る手に力が入った。


 水音を立てて、そのかたまりが両手を船着場に手をかけた。そのまま勢いをつけて水から上がる。まず上半身、ついで片脚ずつ船着場の板の上へと。ついに全身が陸上に現れた。

 その姿にジルベールは絶句する。白いと思ったのは何も身につけていない裸体だった。その人物は無造作に濡れて張り付いた黒くて長い髪の毛をかきあげる。ぽたぽたと水を滴らせて立ち上がったのは、戦場にはまるで相応しくない――若い。

 船着場に置いてあったらしい被り物のような、外套のようなものを無造作に羽織り、裸足のままで砦の方に歩いてくる。近づいてくる人物に、ジルベールの喉がごくりと音を立てる。

 ついにジルベールの潜んでいる場所まで、やってきた。

 通り過ぎようかとする刹那。


「待て、何者だ?」


 首筋に剣を当てて問い詰める。頭からすっぽりと被り物をした――娘は、足を止めた。

 そのまま突っ立っている。戦場としては肝が据わっていると感心させられ、若い娘としてはあまりに落ち着きすぎていると不審が勝る。


「被り物を取れ。そして質問に答えろ。お前は誰だ」


 立ち止まりはしたが無言のまま。記憶が確かならこの下に武器は帯びていなかった。ジルベールは油断なく対峙しながら、記憶の中からこの姿を探る。

 全身を隠すような、このなりはどこかで見たような。戦場の、魔術師団でこんな風体の者がいたかもしれない。

 そこまで思い返してジルベールははっと息を飲む。今回の躍進の原動力とされている師団長の側近くに、人相も年齢も性別も不明な人物がいた。


「貴殿は師団長付きの魔術師か」


 返答はなかったが小さく頷く気配がした。一応確認を取ると、自国の魔術師団の指輪をはめた手が無造作に突き出される。これは偽って身につけられる類のものではない。

 ここまでくれば敵ではない。どころか、軍にとって大切な人材だ。魔術師に剣を突きつける愚を悟り、さっさと鞘に収めてジルベールは剣を向けた無礼をわびた。

 それを気に止める様子はなく、それどころかジルベールなどはなからいなかったようにきれいに無視をして、黒い影は消えた。

 砦に入る後姿を見送り、ジルベールは今しがた邂逅した船着場を眺めた。水に濡れた板が、幻ではなかったと告げている。



 翌日、ジルベールは鎧を上げて師団長の周囲を凝視する。長い杖を持ったひときわ目立つ師団長の後ろに、ひっそりと黒尽くめの人物が影のように佇んでいた。あれが昨夜の娘に違いない。

 よほど優秀なのか、師団長の側近として前線まで出ている。しかし、あの装いでは性別どころか人相すらよく分からない。よもやあんな――。


「始まるぞ」


 前日までと攻守が逆転し、砦を捨てた敵が攻めてくる。敵の投石器が厄介だが、師団長がこれを優先して破壊する。恐ろしいほどに攻撃が命中し、砦の壁を揺るがせるような魔力弾は飛んでくることはなかった。格段に守備が楽になる。

 それでも近寄る歩兵には砦の上から矢を射掛けて、石も落とす。この日は味方にさしたる損害もだすことなく、無事に夜を迎えた。

 師団長以外の魔術師が魔力を温存できたせいか、砦にはより強固で精緻な結界が紡がれている。中は比較的緊張をといた雰囲気になっていた。


「ジルベール、見回りか? 精が出るな」

「ああ……やらないと落ち着かないのでな」


 片手を上げてジルベールは暗がりへと足を向けた。一応砦の内側と外側を見てまわり、自分の荷物の置いている場所を経由して川へと足を運ぶ。

 今夜もいるだろうか。近づくにつれて期待で鼓動が幾分か早くなる。また、水音を聞いた気がした。 

 雲の切れ間から落ちる月光が夜の川に鈍く反射している。果たして、その中を漂う娘がいた。浮かんだままでは下流に流されるはずなのに、魔力をつかっているのかその場に留まっている。ゆらゆらと黒い髪を水にたなびかせて仰向けに浮かんでいた。

 今夜も何も身に帯びてはいなかった。


 ジルベールは魅入られたように立ちすくんだ。静かな夜の川に漂う若い娘は、現実味がない。それでも戦場を生きて己の目と経験を信じるジルベールは魔術に幻惑されているわけではないと断じて、娘の動向を見守った。

 仰向けで浮いていたしなやかな体がくるりと反転して、顔だけ水の上に出した娘がゆっくりと船着場へと戻ってくる。物陰に身を隠さずにジルベールが立っていても、とまどいや恥じらいを見せない。ちらりとジルベールを確認はしたが、それだけ。

 ジルベールは腰をかがめて、手を差し出した。娘はその手を取ることもせずに自力で水から上がる。また黒い被り物を濡れた体にまとう直前に、ジルベールは自分の荷物の中から持ってきた布で娘を包んだ。


 動きを止めた娘に言い聞かせるように、ゆっくりと濡れた髪の毛を拭く。


「このままでは風邪を引いてしまう。拭いて、乾かした方がいい」


 娘は何も言わず、ジルベールのなすがままに突っ立っていた。顔を背けてできるだけ裸体を見ないように注意しながら、ジルベールは娘の体を拭いた。

 それでも薄い布越しにしなやかな肌の感触が伝わり、惑乱する。

 どうにか全身を拭いて、ジルベールは娘の服と思しき黒い被り物を肩からかけた。

 それをぐい、と頭からかぶって娘は砦に戻る。


「私はジルベールという。小隊長を務める騎士だ。貴殿の名前は?」


 また無視された。


 投石器を作るための材料を砦の上流から調達し、また糧食の補給路も確保できてようやく一息つけるようになった。しばらくはここに落ち着くことになりそうだ。

 砦にいる間、ジルベールは毎夜見回りと称して川へと向かう。その度に夜の川にゆらゆらとたゆたう娘を見出した。

 娘はジルベールに関心を向けることも、質問に答えることもなかったが、ジルベールが体を拭く間はその場に留まりじっとしている。

 黒い髪は濡れて体に張り付き、娘の体の線を浮き立たせる。黒い瞳は揺れることなく前を見据えていた。肌は白く水分を含んでしっとりとしていて、反対に唇は紅い。隠そうとしない胸の先端の薄紅が偶然目に入り、ジルベールはおおいに慌てさえした。

 ばさり、と乱暴に娘の被り物で体を覆う。


「私が言うことではないが、貴殿は若い娘なのだ。もう少し慎みを持ったほうがいい」


 ここにいるのは故郷から遠く離れて、楽しみにも女にも飢えた者達だ。娼婦の類はいないこともないが、どんな病気を持っているか分かったものではない上に、敵に通じた間者の可能性もありうかつには引き入れられない。

 そんな中にあって無防備以外のなにものでもない、この容姿と挙動は悪質だ。

 あっという間にこの娘に群がり、食いつくそうとする輩が出てくるに違いない。


 いつもならそのままふい、と歩き出すはずの娘が、足をとめてジルベールを見返した。

 頭の被り物をとって、素顔をあらわにする。黒い瞳がジルベールに向けられた。初めて、注意を向けられた。

 たったそれだけなのに、ジルベールは少なからぬ衝撃を受ける。また顔を隠して、ジルベールをその場に残し娘は砦へと戻っていった。


 クロエは砦の建物に入る前に、軽く頭を振る。それだけでまとわり付いていた水分が飛んで、濡れていた痕跡は消えてしまう。

 髪の毛に触れて乾いたのを確認してから、音を立てずに部屋に戻る。


「私の『器』よ。どこに行っておった?」


 壮年の師団長がゆったりと寝台に横たわっている。手元には何枚もの書類が散らばり、戦場にあっても忙しい身の上を示唆していた。

 クロエは何も言わずに椅子に被り物をかけ、そのまま寝台に潜り込む。

 

「おや、ご機嫌斜めか」


 さして気分を害された様子もなく、師団長は寝台の端に腰掛ける。

 向こう側に横向きで体を丸めるクロエの姿は師団長には見慣れたものだ。この極上の『器』は、とにかく自身を含めて人間に頓着しない。

 元からの性格か、『器』として使われ続けての結果かははっきりとはしないが、とにかくクロエから何か言ったりしたりすることはほとんどない。生きるために最小限活動する、という形でひたすらに師団長の魔力の澱をその身に蓄え続ける。


「お前が毎夜抜け出すとは珍しい。危険はないはずだが、心せよ。お前の体はお前だけのものではない」


 師団長は自身の魔力を最大限に発揮しうる、最上の『器』の髪の毛を手で梳いた。

 この身は魔術師団のもの、国のものと唱えながらも心の奥底では師団長自身のものと思っている。良い魔具に出会えるのも才覚の一つ。

 これはただの『器』ではない。魔力の許容量は無尽蔵に近く、どれだけ魔力を放出しても、比例して溢れる澱をこの『器』が吸収してくれる。『器』が側にある限り、稀代の魔術師としての名声も戦場の英雄の称号も思いのままだ。

 くわえて、この『器』は大変に美しい。姿を隠すのが惜しいほどに。


「お前がいる限り私は……」


 熱を帯びた囁きも、クロエの閉じた瞼を開きはしなかった。



 翌日も、クロエは川に身を浸していた。目を閉じれば周囲にあるのは冷たい水の感触だけ。自分の周囲の思惑やわずらわしさを洗い流すように、冷ますようにクロエは身を川の水に委ねる。

 閉じた瞼の向こうには、夜毎現れる騎士が浮かぶ。

 濡れると風邪を引くなど、魔術師になにをと呆れそうなことを大真面目に口にする。なんのつもりか、侍女のように甲斐甲斐しく体を拭きさえする。合間になにやかやと思いを口に乗せる。

 鳶色の髪の毛と茶色の目を持つ生真面目そうな顔つきをしている。自分を人間として、女性として扱っているようだ。

 魔術師でないから自分を利用するために近づいているわけではないらしいが、別にどうでもいいとクロエはジルベールについて考えるのを止めた。


 ジルベールはその夜も船着場に片膝をついて、手を差し伸べた。

 これまでも無視されてきたが、ついついやってしまう。

 今夜もこの風変わりな若い魔術師は、自分の手などないものとして水から上がるのだろう。

 そう思っていたのに。


 初めて娘が手と、それからジルベールの顔に視線を移した。

 水面からの無表情が見上げている。ジルベールは口を開く際に、いささか声が掠れているのに気付く。


「貴殿を引き上げるためのものだ。私が引っ張ればあなたは楽に上がれる」


 娘は興味をなくしたように船着場へと泳いで近寄った。ジルベールには、だから濡れた感触が手に絡みついたのが不意打ちだった。

 娘が手を伸ばして、ジルベールの手を握っている。

 戸惑ったのも束の間、ジルベールは娘を引き上げた。

 膝をついたすぐ近くに濡れた娘がいる。娘がじっとジルベールを見つめた。呆けたように娘を凝視して、ジルベールは何を望まれているかに考えが至り、慌てて布で娘を拭き始めた。

 膝をついた姿勢のままで、娘はジルベールが体を拭いてしまうまでじっとしていた。なぜか震えそうになる手で、娘の被り物を肩からかける。

 娘はつい、と立ち上がった。


 とっさにその手を取る。


 立ち上がった娘と、片膝をついたままの自分。まるで騎士の叙任式のようだといささか見当違いのことを思う。


「名前を教えては――いただけないだろうか」


 手を取ったまま懇願が口をついた。

 月光の下で娘は彫像のように佇んでいる。その紅い唇は開きかけて、すぐに閉じる。手も引っ込められた。


 ジルベールはその夜も、娘の声も名前も聞くことがかなわなかった。







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