彼女はそれでも飲みたかった
帰路に付く人々の足は、皆早く。
しかし、その中に一際足早に歩く人物がいた。
いつもは優雅にまとめられたその髪を振り乱さんばかりの早さで歩く彼女。
職業はOL。実家暮らしの気ままな23歳。
しかし、その気ままさは今は微塵も感じられない。
そう。
今彼女に課せられた問題は深刻だった。
昨日買っておいた限定販売の地ビールが家にキンキンに冷やしてあったのだ。
しかし、それだけが問題なのではない。
彼女の家には敵が多かった。
彼女の弟・20歳大学生や、彼女の父・57歳が彼女のソレを狙っているのだ。
彼氏いない歴3年の彼女にとって、帰ってから飲む冷たいビールほど至福の時はないのだ。
これほど深刻な事はなかった。
急いでいる時に限って信号は赤になる。
顔の余裕は未だ残しているものの、内心気が気ではない。
時計の針は6時を指そうとしている。
定時退社してきたはずなのに、どこで時間を落としたのか。
答えは簡単で、彼女が手にしていた袋にはいっているのはどれも乾き物ばかり。
女の買い物はどんなものでも長いのだ。
信号が変わる。
スタートダッシュで走り出す。
行きかう人々の群れを猛スピードで家へと向かう。
角を曲がる。
直線あと数十メートル。
ピンポンも鳴らさずに家の扉を開ける。
靴も直さずカバンも置かず、彼女は冷蔵庫を開いた!
そこに彼女が危惧した光景はなかった。
彼女は安堵して、着替えを済ませた。
乾き物を手に、冷蔵庫から悠々とビールを取り出して居間へと陣取った。
プシュッといい音を立て、ビールを開け放つ。
まずは一口。
「…ぬるいっ!?」
母が台所からてへっと顔を出した。
「ごめーん。お母さん、飲んじゃった♪ 同じもの買っといたんだけど…だめだった?」
あけてしまったビールはもう冷やせない。
せめてと冷たいグラスに入れてみたが、ぬるさが際立つだけだった。
彼女は泣きながら、そのビールを飲んだのだった…。