第一章 七話 夢に咲いた約束
焚き火のぱちりという音が遠のいていく。
湊は眠りに落ちながら、意識の奥へ沈んでいった。
気がつくと、そこは真っ白な世界だった。
空も地面も存在せず、ただ靄のような光が広がっている。
「……ここは?」
「また会えたね、湊」
振り向くと、あの少女がいた。
長い黒髪が風もないのに揺れ、
赤い紐のついた浴衣姿。
記憶の中の夏祭りそのままの姿で。
ユイナ。
「ユイナ……!」
駆け寄ろうとすると、彼女は微笑んで手を伸ばした。
その指先が湊の服をそっと掴む。
「会いたかった」
たった一言が、胸を締め付ける。
こんなにも想っていたのに、その感情に気づけていなかった。
「俺も……ずっと」
「ねぇ、湊。覚えてる?」
「何を?」
「わたしと交わした約束。
“また来年も一緒に花火を見よう”って」
夏の夜、提灯の光。
ふたりで歩いた帰り道。
あの時の笑顔。
忘れるはずがなかった。
「あれは……本気だった」
「知ってる。
湊の言葉は、いつも真っ直ぐだった」
静かな沈黙。
彼女の瞳の奥に、かすかな影が揺れる。
「ユイナ、俺は……必ず迎えに行く。
待っててくれ」
「嬉しい。でもね——」
ユイナは指先を離した。
距離ができる。
その距離が、怖い。
「湊には、守らなきゃいけない人がいるでしょ?」
「それは……」
「リィナを、守ってあげて」
その名前が、胸に重く落ちた。
ユイナは少し寂しそうに笑った。
「わたし……もう人間じゃない。
巫女として、世界を支える存在。
本当はね、湊といたい。
ずっと笑っていたい。
でも——」
声が震える。
強く振り払おうとしているのが伝わる。
「リィナの存在があるから、湊はここに来られた。
だから、お願い。
彼女を、絶対に守って」
湊は首を横に振った。
「両方守る。
お前もリィナも、世界も」
「優しいね。
でも、優しさだけじゃ救えないよ」
「それでもだ!
選べなんて言われても、俺は絶対に……捨てない」
湊はユイナの手を掴もうと伸ばす。
だが、その手がすり抜ける。
「湊……わたしね——」
一瞬、言い淀み、やがて小さく呟いた。
「“好き”だったよ。
ずっと前から」
それは別れの言葉のようで。
拒絶ではなく、祈りのような告白で。
「……だった? 過去形なんて言うな」
「だって——もう未来はないから」
白い世界が揺れ始める。
靄が濃くなり、ユイナの姿を隠していく。
「ユイナ!」
「湊。
あなたが笑ってくれたら、それでいい」
遠ざかる声。
「もしも、わたしが涙を流す日が来たら——
その時は、湊の手で……終わらせて」
「そんなこと言うな!」
叫びは虚空へ消えた。
「湊。
どうか——」
最後に彼女が紡いだ言葉は、
靄に溶けて聞き取れなかった。
⸻
——はっ、と息を吸い、目を開いた。
焚き火はまだ小さく揺れている。
夜の冷気が肌に刺さった。
「夢……じゃない」
脳裏にユイナの声が残る。
彼女の涙を想像しただけで、心臓が痛む。
「湊さん?」
すぐ近くで、リィナが起きていた。
薄い毛布にくるまりながら心配そうに覗き込む。
「うなされていました。
悪い夢……ですか?」
「いや……大切な夢だった」
「そう……ですか」
リィナは湊の表情を読み取り、
そっと隣に腰を下ろした。
「わたし……湊さんが守ってくれると言った時、嬉しかったです」
「当たり前だ。俺はお前を——」
言いかけて、言葉が詰まる。
ユイナの涙が、まだ胸に残っているから。
「……必ず守るよ」
リィナは柔らかく笑った。
その笑顔に、どこかユイナの面影が重なる。
「ありがとう」
その一言が、心の奥に静かに沁みた。
⸻
翌朝。
レオルドはまだ眠っている。
だが顔色は悪くない。
回復の兆しはある。
「レオルドさんは休ませて、俺たちで村へ戻ろう」
「はい!」
湊とリィナは森を抜け、村へ向かって歩き出す。
だがその途中——
リィナがふと足を止めた。
空を見上げ、目を細める。
「……また、灰が」
灰色の粒が、空から降り注いでいた。
まるで燃え尽きた世界の欠片のように。
湊は空を睨む。
「急がないと……間に合わなくなる」
ユイナの言葉が、胸に重くのしかかる。
『もしも、わたしが涙を流す日が来たら——
その時は、湊の手で……』
「そんな未来、絶対にさせない」
湊は拳を握りしめた。
その手に宿る光が弱く震える。
リィナが湊の袖を掴んだ。
「湊さん。
わたし、湊さんが選ぶ道を信じます」
「ありがとう」
その手の温もりが、弱さを押し返してくれた。
そして二人は歩き出す。
世界が終わりに向かう中——
救える未来を、必ず掴むために。




