第一章 六話 影をまとう者
祠を包む光が消えたとき、湊とリィナは静かに息をついた。
けれど、緊張はまだ解けない。
闇は、必ず追ってくる。
この場所で見た光景――ユイナが闇に呑まれた姿が、湊の胸に刺さっていた。
「戻ろう。レオルドがまだ戦ってる」
「はい」
二人は急いで来た道を駆けだした。
木々がざわめき、土が裂ける。森全体が唸り声をあげているようだった。
⸻
やがて、戦いの音が近づいてくる。
鋼の打ち合う声、獣の咆哮。
森の開けた場所では、レオルドが巨大な狼と対峙していた。
息は荒いが、まだその目は死んでいない。
「レオルド!」
「遅いぞ……何を見てきた?」
血のついた剣で獣の牙を受け止めながら、彼は笑った。
湊は彼の横へ飛び出し、光の刃を発現させる。
「交代だ、今度は俺が支える番だろ」
レオルドは少しだけ目を見開き、頷いた。
「いい覚悟だ」
二人が連携して攻撃すると、魔獣はたまらず後退する。
しかし、黒い瘴気を撒き散らしながら唸り声を上げた。
「湊さん、気をつけて!」
リィナの声に振り向くと――
狼が黒い影となって裂け、霧へと解けていった。
ただの魔獣ではなかった。
それは――闇の使い。
「さすが勇者。見事ね」
木々の陰から現れたのは、昨夜と同じ女。
黒いベール、艶のない白い肌、闇を湛えた紅の瞳。
「アルメリア」
レオルドが苦い声で名を漏らす。
「あなたはユイナを……」
湊の怒りに呼応するように、右手の紋章が激しく光る。
アルメリアは微笑んだ。
「嫉妬深いのね、勇者。
彼女を救いたいと願うなら――もっと強くなりなさい」
「君も、ユイナを知っているのか」
問いかけると、女はゆっくりとベールを外す。
顔は美しい――だが、その美しさの裏側に、深い絶望が宿っていた。
「私は“影の聖女”。
勇者と巫女を守る影。
本当なら……あなたの戦友だったはず」
影の聖女――
湊たちの物語に、そんな存在がいたなど知らなかった。
「けれど、巫女は光を分けた。
私を捨ててまで、あなたに転生を託した」
声には憎しみと、抑えきれぬ悲しさが混じっていた。
「私は天環を守るために全てを投げ出した。
なのに――選ばれたのはあなた」
アルメリアの足元から黒い影が伸びる。森の地面が黒く染まっていく。
「だから奪いに来たの。
勇者、あなたが持つ“光”を」
レオルドが湊の前へ飛び出す。
「湊、下がれ! こいつとまともにやり合うな!」
湊は叫ぶ。
「レオルド、やめろ!」
だが遅かった。
影の刃が弧を描き、レオルドの胸を切り裂いた。
「くっ……ぐ……!」
湊は駆け寄ろうとするが、影が足元を掴む。
「来るな、湊……!」
レオルドは血を垂らしながら笑った。
「おまえは……ユイナを救うんだろ。それなら……前だけを見ろ」
その言葉は、かつて聞いた声と重なった。
結衣が――
血の中で微笑んで言った言葉。
『前を向いて、ミナト』
胸の奥が軋む。
過去と今が、強く重なる。
「湊さん!」
リィナが涙を浮かべ叫ぶ。
「彼を見捨てるの?」
アルメリアの囁きが、心を切り裂く。
「違う……俺は……」
「救いたいのは誰?
巫女? 目の前の仲間?
それとも――自分自身?」
湊は歯を食いしばる。
答えは、決まっている。
「全部救う」
その言葉に、アルメリアが目を見開く。
「欲張りね」
「俺はそういう人間だ」
光が湊の身体を包む。
リィナもまた、祠で覚醒した光を滲ませる。
「湊さんを……助けるのは、わたしです」
二人の光が交わり、影を吹き払う。
アルメリアは後退し、舌打ちする。
「今はまだ、光が弱い……
でもいずれ、あなたは選ばなければならない」
森の闇が彼女を包む。
湖の方へと、その姿は後ずさるように消えていった。
「巫女を救うか。
それとも、この世界を救うか――」
最後に残した声が、風に溶けた。
⸻
影の気配が消えると、森は静けさを取り戻した。
「レオルド!」
湊とリィナは駆け寄り、倒れた彼を支える。
呼吸は荒いが、まだ生きていた。
「心配するな……俺は死なない。
あいつを止めるまでは、な」
無理に笑おうとするが、血が口から零れた。
「湊……ユイナを救え。
そのためなら、俺の命なんて安い」
湊は首を振る。
「そんなこと、俺は望んでない!」
「望んでなくても、背負うんだよ……勇者は」
レオルドの目が細くなる。
それでも炎のような生が宿っていた。
「もっと強くなれ。
迷いを捨てろ。
それでも誰も諦めない勇者になれ」
湊は拳を握り、静かに答えた。
「……必ず」
リィナが傷口を光で包む。
まだ完全ではないが、血は止まった。
「ごめんなさい……わたしの力が弱くて」
「弱い奴は……こんなところまで来れない」
レオルドは笑った。
⸻
夜が近い。
塔へ戻るには距離がある。
まずはここで傷を癒すしかなかった。
湊は夜空を見上げた。
灰色の空がほんの少しだけ晴れ、星が瞬いた。
(ユイナ……必ず迎えに行く)
その誓いが、澄んだ風とともに、暗い天へ消えていった。
目を閉じる直前、どこか遠くで声が聞こえた気がした。
『ミナト……絶対、来てね』
涙の混じった、優しい声だった。




