第一章 五話 森に眠る真実
記憶の森へ向かう三人の旅は、夜明けとともに再開された。
リィナはまだ疲れているはずだが、口元には弱い笑みを浮かべている。
昨夜の戦いで見せた光の羽。あれが何なのか彼女自身、わかっていないのだろう。
湊は歩きながら、右手に刻まれた紋章を見つめた。
二翼の円環。
リィナの額に浮かんだものと同じ。
つまり、彼女は――ユイナと何か深い繋がりがある。
レオルドが前を歩きながら言った。
「北へ進むほど、魔獣だけじゃない。森そのものが人を飲み込む」
「飲み込む?」
「記憶の迷宮だ。過去の思念に囚われて戻れなくなる」
その言葉が湊の心に引っかかった。
過去に囚われる――それは自分自身のことでもあるから。
結衣。
自分が守れなかった唯一の人。
その面影を、今も追い続けている。
この想いが足枷となるのか、それとも――。
森の入口が見えた。
黒い木々が絡み合い、昼でも薄暗い。
風は止み、ただ土の匂いだけが漂っていた。
リィナが胸に手を当てる。
「ここ……どこか懐かしい気がします」
「気を抜くな。おそらく、お前の記憶とも関わる場所だ」
レオルドが警戒しながら踏み込む。
湊はリィナの肩に手を置いた。
「俺がついてる。何があっても」
その言葉に、少女は小さく頷いた。
⸻
森の中は不思議な静寂に包まれていた。
鳥の声も、虫の羽音すらない。
足音だけがやけに響く。
やがて木々の隙間から、淡い光が漂い始めた。
宙に浮かぶ小さな光の粒。
「あれは……メモリアが濃い場所だ」
レオルドが呟く。
視界が揺らぎ、湊の脳裏に別の光景が流れ込んだ。
白い神殿。
少女が祈りを捧げている。
光に包まれ、誰かの名を呼んでいる。
『……ミナト……』
胸が締めつけられた。
結衣の声と重なる。
けれど、現れた姿はユイナ。
夢なのか記憶なのか、境目が曖昧になる。
湊は額を押さえ、膝をついた。
「湊さん!」
リィナが駆け寄る。
「大丈夫、だ。ただ少し……」
言いかけた瞬間、森がざわめいた。
木の根が蠢き、地面が盛り上がる。
「来るぞ!」
レオルドが剣を構えた。
土から姿を現したのは、巨大な狼の魔獣だった。
目は濁り、牙には黒い瘴気がまとわりついている。
「俺が引きつける。二人は奥へ進め!」
レオルドが駆け出す。
「でも!」
リィナが叫ぶ。
「使命を忘れるな。どうしても辿り着かねばならんのだろう、そこへ!」
迷う時間はなかった。
湊はリィナの手を掴み、森の奥へと走る。
背後から、剣と獣のぶつかり合う音が響く。
⸻
どれほど走ったのだろう。
気づけば、森の中心へ辿り着いていた。
そこには、静かな湖が広がっていた。
青くもない、透き通った灰色の水面。
湖中央には、古びた祠がぽつんと浮かんでいる。
風が吹き抜け、祠へと渡された石橋が軋む。
リィナの瞳が揺れた。
「わたし、ここ……知ってる」
「ここが……ユイナのいた場所か?」
少女は答えず、ゆっくり橋を渡り始めた。
湊もその後ろに続く。
祠の扉に触れた瞬間、光が弾けた。
二人は同時に目を閉じる。
⸻
気づくと、祠の中に立っていた。
壁一面に紋章が刻まれ、中央には光を宿した水晶柱。
それは淡い脈動をし、まるで呼吸するようだった。
リィナが水晶柱に手を伸ばす。
その指先が触れた途端、柱が強く輝き出した。
湊はとっさに彼女を抱き寄せる。
しかし遅かった。
光が天へと伸び、祠の天井を突き抜ける。
世界が白に染まる。
⸻
映し出されたのは、過去の光景だった。
神殿。
巫女ユイナが祭壇の前に立っている。
彼女は何かを受け止めようとしていた。
「天環の崩壊は避けられません。
ですが、この魂だけは……ミナトのもとへ」
ユイナは祈り、胸に抱いた光を天へと放った。
「また必ず……逢えるから」
光は空へ舞い上がり、どこか別の世界へ消えた。
その直後、黒い闇が神殿を覆う。
砕け散る大地。
泣き叫ぶ巫女たち。
ユイナの姿が闇に呑まれる。
「いやだ……ミナト……」
その言葉を最後に、光景は途切れた。
リィナは胸元を押さえ、苦しげに息を吐いた。
「ユイナ様は……わたしの母たちを守るため、すべてを捧げたんです。
そして……魂を分けた」
「魂を、分けた?」
「はい。半分は闇を封じるため。
もう半分は……湊さんのもとへ転生させるため」
湊は息を呑んだ。
「じゃあ……俺は……」
「ユイナ様が愛した人。
その魂が、生まれ変わった存在です」
胸が熱くなる。
ようやく理解した。
なぜここに転生したのか。
なぜユイナの名を呼べたのか。
なぜ彼女の涙が思い浮かぶのか。
すべては――。
「ユイナを……助けなければ」
言葉が自然に口からこぼれた。
まるで、心の奥に刻まれていた言葉が、やっと外へ出たように。
リィナが湊を見上げる。
「そのためには……わたしも覚悟を決めなきゃ」
「覚悟?」
「ユイナ様は半分の魂をわたしに託しました。
湊さんとわたしを……再びひとつにするために」
光が再び祠を包む。
「お願いです湊さん。
わたしを――ユイナ様の元へ導いてください」
その瞳には迷いがなかった。
けれど、その言葉の意味は重すぎた。
リィナ自らが消える可能性があるということだ。
湊は拳を握りしめた。
「必ず……二人とも救ってみせる。
ユイナも、お前も」
その言葉に、リィナの瞳が潤んだ。
「信じてます。ずっと、あなたを」
天環の紋章が二人の体から浮かび上がり、静かに輝き始める。
その時、祠が軋む音が響いた。
闇が再び迫っていた。




