第一章 四話 記憶を継ぐ少女
朝の光が差し込む塔の窓辺で、湊はゆっくりと目を覚ました。
空はまだ灰色を帯び、街のあちこちに昨夜の戦いの痕が残っている。
焦げた石畳。倒壊した建物。その中で人々が祈り、互いの手を握り合っていた。
戦いが終わったとはいえ、心の奥には静かな痛みが残っていた。
あの声が、まだ耳の奥に残っている。
――守って、ミナト。
誰の声なのか、もう分かっている。
ユイナ。
いや、かつての世界での名前は“結衣”だった。
彼女の笑顔を思い出すたび、胸の奥に小さな灯がともる。
けれど同時に、手のひらから零れ落ちた温もりが、いつまでも離れない。
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扉を叩く音がした。
入ってきたのは、黒い外套を羽織ったレオルド。
その顔には疲れが刻まれていたが、瞳だけはまっすぐだった。
「出発の準備を。王からの命令だ」
「……どこへ?」
「北の辺境、記憶の森。そこに“天環”への座標が刻まれているらしい」
記憶の森――どこかで聞いたことがある。
胸の奥にざらりとした感覚が走る。
夢の中で見た、湖の祠。風に揺れる花。
“魂ヲ結ブ者、二度ト離レズ”――あの文字。
「……そこに行けば、何かが分かるかもしれない」
「そうだ。だが俺たちだけでは道が分からん。案内人を一人、王がつけてくれた」
そう言ってレオルドが振り向いた。
扉の陰から、小柄な少女が現れる。
フードを深く被り、白い指でそれをそっと外した。
「……初めまして、湊さん。リィナ・フェルシアと申します」
淡い髪、透き通る肌。年の頃は十五、六。
けれどその瞳だけは、何かを見透かすように深かった。
翠の光を宿した瞳――どこか懐かしい色だった。
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旅路は静かだった。
北へ進むたび、空気が重くなる。灰が風に舞い、木々は黒く乾いている。
それでも、ときおり地面の割れ目に、小さな光が咲いていた。
「……この花、光ってる」
「“記憶花”といいます」
リィナがそっとその花に触れた。
「人が最後に残した想いが、形になったもの。
誰かを愛した記憶、悲しみ、祈り……全部、ここに宿るんです」
湊は指を伸ばし、花に触れた。
瞬間、景色が揺らいだ。
幼い少女が母の手を握り、歌を歌っている。
やがて炎が広がり、世界が赤く染まって――消えた。
「……見えたのか」
レオルドが低く言う。
「メモリアは想いを映すが、長く見れば魂を引きずられる」
湊は息を吐いた。
けれどその記憶が、結衣の笑顔と重なって見えた。
――彼女の想いも、この世界に残っているのかもしれない。
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夕暮れ、三人は廃村に辿り着いた。
屋根が崩れた家々、干上がった井戸。
だが、風が静かに吹き抜ける音だけは生きていた。
リィナが焚き火を起こし、湊はその光を見つめながら尋ねた。
「リィナ、お前はどうして俺たちと来るんだ?」
少女はしばらく黙っていた。
火の粉が夜空に舞い上がる。
「……わたしの母は、“天環の巫女”に仕えていたんです」
その言葉に、湊の心臓が跳ねた。
「巫女……?」
「はい。ユイナ様と呼ばれていました。
でもある日、灰の嵐の夜に……巫女様も母も、神殿ごと消えたんです」
火がパチリと弾けた。
リィナの横顔が揺れる炎に照らされる。
その瞳の色――ユイナと同じ、あの翠だった。
「……お前、まさか……」
言いかけた瞬間、轟音が響いた。
地面が揺れ、焚き火が吹き飛ぶ。
「構えろ、魔獣だ!」
レオルドが叫ぶ。
闇の中から黒い霧が溢れ出し、獣の形を成す。
その奥、女の影が立っていた。
白い肌、黒いベール、紅の瞳。
「――勇者。ようやく会えたわね」
その声には冷たさと、どこか懐かしさが混じっていた。
「あなたの“光”を奪えば、巫女は目覚める」
湊が構える。
右手の紋章が光を放つ。
だが体が重い。
闇の力が絡みつき、引きずり込まれるようだった。
そのとき、リィナが前に出た。
「湊さん、下がって!」
彼女の体が淡く輝く。
風が巻き起こり、灰を吹き飛ばす。
背中から、光の羽が広がった。
まるで――ユイナそのもののように。
闇の女が目を見開く。
「……記憶の継承者……!」
光と闇が激突し、世界が白く染まる。
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気がつくと、湊は地に伏していた。
闇の女の姿は消え、リィナが膝をついている。
彼女の額には、淡い紋章が浮かんでいた。
それは、湊の右手と同じ形――“二翼の円環”。
「どうして……お前がそれを……」
リィナは微笑んだ。
「たぶん……わたしの中に、ユイナ様の“欠片”があるんです」
風が灰を運び、空に小さな光の輪が見えた。
天環。
そこに、すべての答えがある気がした。
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その頃、遠い神殿の奥。
純白の衣を纏った巫女ユイナは、夢の中で胸を押さえた。
痛み。悲しみ。そして、懐かしい名。
「……ミナト……」
その言葉とともに、一筋の涙が頬を伝う。
理由は分からない。ただ、確かにその名だけが心に残っていた。




