第二章 三十八話 帰還と歪み
意識が、重力を取り戻す。
それは、落下に似ていた。
だが、地面に叩きつけられる前に、
柔らかな土の感触が先に伝わってくる。
「……っ」
湊は、息を詰まらせながら目を開けた。
夜明け前の空。
冷たい風。
焚き火の残り香。
「……戻った?」
視界に入ったのは、
見覚えのある村の輪郭だった。
半壊した家。
簡易的に組まれた柵。
見張り台代わりの櫓。
「現実……だな」
体を起こそうとして、
湊はすぐに異変に気づく。
身体が、妙に重い。
「……くそ」
力を入れると、
筋肉が一拍遅れて反応する。
「無理すんな」
リィナの声。
隣を見ると、
彼女は地面に腰を下ろし、
剣を支えにして呼吸を整えていた。
「……あんた、
顔色最悪よ」
「そっちこそ」
「いつものこと」
そう言って、
無理に笑う。
「ユイナは?」
その問いに、
リィナの視線が揺れる。
「……そこ」
焚き火のそば。
ユイナが、
静かに横たわっていた。
湊は、
心臓を掴まれたような感覚に襲われる。
「……ユイナ!」
慌てて駆け寄る。
呼吸は、ある。
だが、浅い。
顔色は、
明らかに悪かった。
「……呼吸が……」
「生きてる」
リィナが、
はっきりと言った。
「でも……
“完全”じゃない」
湊は、
ユイナの手を握る。
冷たい。
「……試験世界の影響か」
「たぶんね」
リィナは、
周囲を見回した。
「それより……
気づいてる?」
「何に?」
リィナは、
焚き火の向こうを指差す。
村の中心。
人が、集まっている。
だが――
その様子が、おかしい。
誰も、こちらを見ない。
ざわめきはあるのに、
感情が、薄い。
「……無視、されてる?」
「正確には……
“認識がずれてる”」
リィナの声が、低くなる。
「村人たち、
あたしたちを……
完全には、認識できてない」
その瞬間、
湊は、はっきりと理解した。
《次は
世界そのものが
あなたたちを拒絶する》
あの宣告。
それは、
脅しではなかった。
⸻
ユイナは、
しばらくして目を覚ました。
「……ここは……」
「おかえり」
湊は、
ほっと息を吐く。
ユイナは、
周囲を見回し――
すぐに、違和感に気づいた。
「……音が、遠い」
「やっぱり分かる?」
リィナが言う。
「世界との……
“距離”がある」
ユイナは、
ゆっくりと体を起こした。
「……試験世界で、
私たちは……」
「拒絶された」
湊が、
静かに答える。
「完全にじゃない。
でも……
歓迎もされてない」
ユイナは、
胸元に手を当てる。
「……私、
“固定”されたはずなのに」
「それが、
原因かもしれない」
リィナが、
空を見上げる。
「世界は……
あたしたちを
異物として認識し始めてる」
その時。
村の中心で、
小さな騒ぎが起きた。
子どもが、
転んだらしい。
だが――
誰も、すぐに助けに行かない。
「……あれ?」
湊は、
違和感を覚える。
遅れて、
大人が動く。
だが、その動きは――
どこか、ぎこちない。
「……感情が、薄い」
ユイナの声が、震える。
「世界の“修正”が……
始まっています」
「修正?」
「人が……
“選ばなくて済む存在”に
戻されている」
湊の背筋が、冷える。
「……また、
同じ世界に?」
「はい」
ユイナは、
唇を噛みしめた。
「私たちが壊した
旧い秩序に……
引き戻されようとしている」
リィナが、
拳を握る。
「……冗談じゃない」
その瞬間。
空が、
わずかに歪んだ。
誰も気づかない程度の、
ほんの一瞬。
だが、
三人には分かった。
「……観測者」
湊が、低く言う。
「いや……」
ユイナは、
首を振った。
「もっと……
直接的な存在です」
「世界そのものが……
意思を持ち始めています」
沈黙。
その重さは、
今までとは、質が違った。
敵ではない。
だが、味方でもない。
「……どうする」
リィナが言う。
「このままじゃ、
あたしたち……
存在が薄くなっていく」
湊は、
拳を握った。
「逃げるわけには……
いかない」
ユイナは、
小さく微笑んだ。
「……世界が拒むなら」
「……世界に、
問い返すしかありません」
その言葉に、
リィナが、不敵に笑う。
「いいじゃない」
「世界相手に、
問答無用ってのも」
夜が、
ゆっくりと明けていく。
だが、
朝日は――
どこか、色が薄かった。
世界は、
三人を受け入れていない。
それでも。
彼らは、
ここにいる。
その事実だけが、
まだ、確かだった。




