第二章 三十三話 観測者の干渉
夜明け前の空は、不自然なほど澄んでいた。
星の配置が、わずかに歪んでいる。
天文学など知らなくても分かるほど、
「整いすぎている」空だった。
湊は眠れず、村外れの丘に立っていた。
風がない。
雲も動かない。
まるで、世界そのものが呼吸を止めているようだった。
「……やっぱり、来るか」
独り言のように呟いたその瞬間、
背後から足音がした。
「こんなところで黄昏てるなんて、柄じゃないわね」
リィナだった。
剣は背負ったまま、警戒は解いていない。
「眠れない?」
「まあな」
湊は正直に答えた。
「昨日の戦い……
誰も死ななかったのは、奇跡に近い」
「奇跡じゃない」
リィナは即答した。
「選んだ結果よ。
全員が、逃げなかった」
湊は苦笑する。
「それでも……
“何か”に試されてる感じがする」
その言葉に、
リィナの視線が空へ向いた。
「……あたしも、感じてる」
その時だった。
空が、鳴った。
雷鳴ではない。
轟音でもない。
空間そのものが、
軋むような、低い音。
「……来たわね」
リィナが剣に手をかける。
丘の頂で、
空気が歪み、
そこに“裂け目”が生じた。
黒でも白でもない。
色の定義を拒むような、
不定形の揺らぎ。
そこから――
「声」が降りてきた。
《観測対象、再定義》
人の言葉だが、
人の声ではない。
湊は歯を食いしばる。
「……神か」
《否》
即座に否定された。
《我は神ではない
神という概念を管理する存在》
リィナが低く唸る。
「……性格悪い言い回しね」
裂け目から、
輪郭を持たない“像”が現れる。
人の形をしているようで、
常に崩れ続けている。
見る者によって、
姿が変わる存在。
「観測者……」
ユイナの声だった。
いつの間にか、
彼女は二人の隣に立っている。
「やはり……直接干渉してきましたか」
《巫子個体、定義外》
観測者の“視線”が、
ユイナに集中する。
《本来、消失すべき存在》
ユイナは一歩も退かなかった。
「私は……消えません」
その言葉は、
祈りでも命令でもない。
ただの、意志だった。
《世界は、犠牲によって安定していた》
観測者の声が、
感情を伴わずに続く。
《巫子という装置
境界喰らいという圧力
それらが循環を保っていた》
湊は拳を握る。
「……それが“正しい”と?」
《正誤ではない
効率の問題だ》
リィナが吐き捨てる。
「胸糞悪い」
《感情は評価対象外》
観測者は、
淡々と告げた。
《観測の結果
人類は、自律的選択により
短期的安定を得た》
ユイナが目を細める。
「“短期的”……?」
《長期的には
崩壊確率が上昇している》
その言葉に、
空気が冷える。
《よって
修正を開始する》
「修正……?」
湊が一歩前に出る。
「何をする気だ」
観測者は、
湊を“見る”。
《転生個体
あなたは、特異点だ》
その一言に、
湊の心臓が跳ねた。
「……何だと」
《前世界の記憶
異世界適応
選択干渉率》
観測者の声が、
わずかに“揺れた”。
《想定以上》
ユイナが、
湊の腕を掴む。
「湊……
あなたは、この世界の“誤差”です」
「誤差……?」
「本来なら、
ここまで影響を与える存在ではなかった」
観測者が告げる。
《特異点を除去すれば
循環は再構築可能》
リィナの剣が、
完全に抜かれた。
「……やらせない」
「リィナ」
湊が呼ぶ。
だが、彼女は一歩も引かない。
「選んだのは、あたしたちよ」
観測者は、
一瞬だけ沈黙した。
《選択は、記録した》
次の瞬間、
丘の地面が光を帯びる。
複雑な幾何学模様。
見覚えがある。
「……天環の術式」
ユイナが息を呑む。
「でも……
これは、もっと原初の……」
《試験を開始する》
観測者の宣告と同時に、
世界が、反転した。
空と地面が入れ替わるような錯覚。
重力が狂い、
感覚が引き裂かれる。
「くっ……!」
湊は歯を食いしばり、
踏みとどまる。
その瞬間、
胸の奥が、熱を持った。
――生きて。
遥の声。
「……っ!」
湊は、叫ぶ。
「俺は……
選ぶって決めた!」
その意志に呼応するように、
剣が淡く光った。
ユイナが驚いた声を上げる。
「その光……
記憶共鳴……!」
リィナが笑う。
「上等じゃない!」
彼女の剣も、
湊の光に引かれるように共鳴する。
観測者の像が、
初めて揺らいだ。
《……未知反応》
「未知で結構だ!」
湊は叫ぶ。
「この世界は……
データじゃない!」
光が、三人を包む。
それは、祈りではない。
犠牲でもない。
ただ――
選び続ける意志。
《観測を継続》
観測者は、
後退した。
《次段階へ移行》
裂け目が、閉じる。
静寂が戻る。
三人は、
荒い息を吐きながら立っていた。
「……逃げた?」
リィナが言う。
ユイナは首を振った。
「いいえ……
“引いた”だけです」
湊は空を見上げる。
夜明けの光が、
ようやく差し込んできていた。
「試験……か」
ユイナは、静かに頷いた。
「世界そのものを賭けた、試験です」
リィナが不敵に笑う。
「受けて立つしかないわね」
湊は拳を握り、
はっきりと言った。
「終わらせよう。
犠牲の上に立つ世界を」
朝日は、
確かに昇っていた。
だがそれは、
安らぎではなく――
本当の戦いの始まりを告げる光だった。




