第一章 三十話 世界は、まだ終わらない
朝の光は、思っていたよりも静かだった。
燃え尽きた大地を照らすそれは、
勝利を祝うようでも、悲しみを慰めるようでもなく、
ただ「今日が始まった」と告げるだけの、淡い光だった。
湊はその場に立ち尽くし、
空を見上げていた。
境界喰らいが消え、
天環の黒い脈動も止まり、
世界は一応の安定を取り戻している。
だが、胸の奥に残る感覚は、
終わりとは程遠かった。
「……本当に、終わったのかな」
湊の呟きに、リィナが肩をすくめる。
「さあね。
少なくとも、世界はまだ壊れてない」
彼女は剣を地面に突き立て、
深く息を吐いた。
「でも……ルールを壊したんだもの。
ツケが回ってこないわけ、ないでしょ」
ユイナは少し離れた場所で、
朝日を浴びながら立っていた。
以前の巫子の装束ではない。
祈りの象徴だった白は、
今やただの衣服になっている。
彼女はゆっくりと振り返り、
二人を見た。
「……世界は、確かに変わりました」
その声は穏やかだったが、
どこか決意を帯びている。
「でも“安定”したわけではありません。
今は……例えるなら、
長年積み上げてきた塔の土台を壊した直後です」
湊は頷いた。
「つまり、これから崩れるか、
新しく建て直せるか……ってことか」
ユイナは微笑んだ。
「はい。
そして、その“選択権”は……
もう天環にも、巫子にもありません」
リィナが目を見開く。
「じゃあ……誰が決めるの?」
ユイナは、まっすぐ湊を見た。
「生きている人たちです。
この世界で、未来を選ぶ人たち」
その言葉は、
静かだが、重かった。
⸻
世界が落ち着きを取り戻すにつれ、
周囲の景色にも変化が現れ始めた。
崩壊していた地形は、
完全ではないが、ゆっくりと修復されている。
だが、それは“自動的”な回復ではなかった。
土が盛り上がり、
風が流れ、
人の手が入って初めて、
世界は形を取り戻そうとしている。
「……祈りがなくても、
世界って……動くんだな」
湊の言葉に、ユイナは小さく笑った。
「ええ。
本当は、ずっとそうでした」
「じゃあ……巫子って……」
「“便利な役割”だっただけです」
その答えに、
湊の胸が少し痛んだ。
ユイナは続ける。
「誰かが代わりに背負えば、
多くの人は考えなくて済む。
それが……この世界の仕組みでした」
リィナが唇を噛む。
「……最低」
「でも……楽でもあったんです」
ユイナは空を見上げた。
「だからこそ、これからは大変です。
誰もが、選ばなければならない」
「自分で?」
「はい。
守るのか、見捨てるのか。
進むのか、立ち止まるのか」
その時だった。
空の奥で、
微かな“歪み”が走った。
ほんの一瞬。
見間違いかと思うほど、短い揺らぎ。
だが、ユイナはそれを見逃さなかった。
「……やはり」
湊が即座に問う。
「何かあるのか?」
ユイナは静かに答えた。
「境界喰らいは消えました。
でも……あれは“結果”であって、“原因”ではありません」
「原因……?」
「世界が犠牲を必要としていた理由。
それを作った存在が……まだ残っています」
リィナが顔をしかめる。
「また、厄介なのが控えてるってわけ?」
「はい。
そして……それは、
私たちが壊した“旧い世界の秩序”を、
良しとは思っていません」
湊は剣を握り直した。
「敵か」
「敵というより……
“観測者”に近い存在です」
ユイナは言葉を選ぶように続ける。
「世界が正しく循環しているかを見張り、
逸脱すれば……修正する存在」
湊の脳裏に、
天環の奥で感じた視線が蘇る。
「……神、みたいなものか?」
ユイナは少し考え、頷いた。
「そう呼ばれてきました」
空気が張りつめる。
リィナが苦笑する。
「はあ……
世界のルール壊したら、
今度は神様に怒られる、と」
「ええ」
ユイナは、はっきりと言った。
「でも……私は、もう逃げません」
その言葉に、湊は彼女を見る。
ユイナの表情には、
かつての“巫子としての諦め”はなかった。
「私は……
犠牲になるために生きるのではなく、
選ぶために生きます」
彼女は、湊とリィナを見た。
「あなたたちと一緒に」
リィナは一瞬驚き、
それから大きく笑った。
「当然でしょ。
ここまで来て、今さら別行動なんてしないわよ」
湊も頷いた。
「俺もだ。
この世界に来た理由が……
やっと、分かってきた気がする」
それは、勇者としてでも、
選ばれた魂としてでもない。
ただ――
間違いを見過ごせない人間として。
⸻
夕暮れが近づく。
世界は、まだ完全には癒えていない。
だが、確かに“次の日”へ向かって動いている。
湊はふと、胸元を押さえた。
遥の声は、もう聞こえない。
だが、確かに残っている。
「生きて」
その言葉が、
今も背中を押していた。
「……行こう」
湊が言う。
「この世界の、次の選択を見届けに」
リィナが剣を肩に担ぐ。
「長旅になりそうね」
ユイナは静かに頷いた。
「はい。
でも……今度は、誰も置いていかない旅です」
三人は、歩き出す。
崩れた世界の、その先へ。
空の奥で、
“観測者”が静かに目を開いたことを、
まだ誰も知らない。
だが、それでも。
世界は、まだ終わらない。




