第一部 三話 光を呼ぶ者
夜が明けきらぬ灰の空の下で、城下町に警鐘が鳴り響いた。
金属を叩くような音が幾重にも重なり、街中がざわめく。
兵士たちが駆け抜け、避難を促す声が飛び交った。
「魔獣群が北門を突破した! 負傷者多数!」
「女と子どもを神殿へ! 急げ!」
その騒ぎの中で、湊はただ呆然と立ち尽くしていた。
つい昨日まで、自分はただの大学生だった。
今は見知らぬ世界の、見知らぬ戦場の中にいる。
「湊、こっちだ!」
レオルドの声に我に返る。
手には剣。見覚えのない形。だが、不思議と手に馴染む。
柄には、泉で見た紋章と同じ“二翼の円環”が刻まれていた。
「お前はまだ戦えん。だが、街の外へ出る道は閉ざされた。生きたければ、俺の後ろにいろ!」
「……わかった」
言葉に力はなかったが、足だけは動いた。
地面が震える。遠くで何かが咆哮を上げた。
⸻
北門にたどり着くと、そこは地獄のようだった。
黒い霧の中から、巨大な影が次々と現れる。
毛皮のようなものに包まれた異形の獣たち――“灰獣”。
牙を剥き、人々を襲っていた。
剣がぶつかり、火花が散る。
叫びと怒号と祈りが入り混じる。
湊の鼓動が速くなる。呼吸が浅くなる。
だが、恐怖の中にも、奇妙な感覚があった。
あの獣たちを見ていると、胸の奥がざわつく。
まるで、何かが共鳴しているようだった。
「退け! こいつらは……“天環”の瘴気に侵された!」
レオルドの叫びとともに、魔獣の群れが一斉に跳躍した。
その瞬間、湊の右手の紋章が光る。
「なっ……!」
青白い光がほとばしり、空気が震えた。
風の渦が巻き起こり、魔獣の一体を吹き飛ばす。
誰もが息を呑んだ。
湊自身も何が起きたのか分からなかった。
ただ、体の奥で何かが“目覚めた”のを感じた。
「……今のは、なんだ?」
「お前の中に流れる“天環の力”だ。勇者の魂が完全に覚醒したのかもしれん」
「勇者……そんな、俺が?」
「信じる信じないは自由だが、世界は待ってくれん」
レオルドの瞳に迷いはなかった。
その真っ直ぐさが、湊の中の恐怖を少しだけ和らげた。
⸻
戦いは続いた。
だが、湊の力が発現してから、戦況はわずかに傾いた。
光の盾のようなものが兵士を守り、空に散る灰の雨を弾いた。
湊の右腕には、青い筋が走っていた。
それが熱を帯びるたび、頭の奥で声が聞こえる。
「……守って、ミナト……」
結衣の声。
確かに、耳元で囁いた。
次の瞬間、光が再び弾け、灰獣たちの動きが止まった。
その中央に、一体だけ、他と違う姿の獣がいた。
白い毛並み。額に刻まれた、翼のような紋章。
その瞳は、どこか悲しげだった。
「……やめて……」
また、あの声。
湊の胸の奥で何かが裂けるように痛んだ。
その獣と目が合った瞬間、彼の脳裏に映像が流れ込む。
緑の丘。
風に揺れる花。
笑う少女の顔。
結衣。
その隣で笑っている自分。
でも、次の瞬間、炎と光がすべてを呑み込んだ。
――あの日の、最後の記憶だった。
⸻
「湊! 避けろ!」
レオルドの叫びで現実に引き戻される。
白い獣が跳びかかる。
湊はとっさに剣を構えた。
だが、その瞬間、光の刃が獣の身体を貫いた。
静寂。
灰が舞い上がる。
白い獣は、声もなく崩れ落ちた。
その胸から、小さな光の粒がふわりと浮かび上がる。
風に揺れながら、湊の手の中に落ちた。
温かい。
懐かしい匂いがした。
「……ありがとう」
確かに、そう聞こえた。
湊の目に涙が滲んだ。
何かを失ったような、何かを取り戻したような――説明できない感情だけが残った。
⸻
戦いが終わると、城下は灰の静けさに包まれた。
人々は疲れ果て、祈るように空を見上げていた。
灰の雲の隙間から、一筋の光が差し込む。
それは、まるでこの地がまだ見捨てられていないかのようだった。
「……お前の力は本物だ。だが、制御できなければ自分を壊す」
レオルドが静かに言った。
その眼差しの奥に、わずかな警戒と、同時に期待の色があった。
「俺の中の光……いったい何なんだ?」
「それを知るには、“天環”に行くしかない。
お前と、もう一人の“魂の契約者”が出会う場所だ」
湊は、空を見上げた。
灰の向こうに、微かに光る輪のようなものが見えた。
天環――この世界の空に浮かぶ、神の国。
そこに、結衣――ユイナがいる。
「俺は、行くよ。あの光の先へ」
その言葉に、レオルドはわずかに笑った。
そして、剣を地に突き立て、誓うように言った。
「ならば俺も共に行こう。勇者の道は、一人では歩けぬ」
⸻
その夜。
城の高塔から、ひとりの女が二人を見下ろしていた。
黒衣に身を包み、目には赤い光を宿す。
「勇者と巫女、再びこの地に生まれたか……」
女は唇の端をわずかに上げた。
その背後の壁には、崩れかけた古代文字が刻まれている。
そこにはこう書かれていた。
「二つの魂が再び結ばれるとき、天環は落ち、世界は灰となる」
そして、彼女の指先には、小さなガラス玉のようなものが握られていた。
その中には、先ほど湊が倒した白い獣の光が閉じ込められている。
それが、かすかに脈動していた。
「始まるわね。灰の予言が……」
夜風が吹き、塔の上に散る灰が、ゆっくりと月明かりに溶けていった。




