第一章 二十七話 選ばれた手、崩れる未来
世界が白く焼き切れる。
湊の指先は、確かに“誰か”の手を掴んだ。
ただ、その瞬間──
白光に呑み込まれ、誰の手なのかすら分からなかった。
爆ぜる音も、悲鳴も、風の唸りも。
すべてが混ざり合い、世界はひとつの光の渦へ還っていく。
⸻
光が収まった時、
湊は灰色の大地に倒れ込んでいた。
息が苦しい。
肺の奥に冷たい空気が入り込み、身体が痺れる。
「……っ、はぁ……」
地面に手をつくと、砂粒が細かく震えていた。
世界そのものが、まだ余震に揺れているようだ。
湊はゆっくり顔を上げる。
そこで見えたのは──
自分の手を、必死に握り返す手。
細く、小さく震える指。
「……湊……! よかった……本当に、よかった……!!」
泣きながら抱きついてきたのは──
リィナだった。
湊は息を呑む。
自分が伸ばしたのは──リィナの手だったのか。
リィナは顔をぐしゃぐしゃに涙で濡らしていた。
強気で暴れん坊気質の彼女が、こんな顔を見せるなんて。
「湊っ……なんで……なんであんな危ないことっ……
もう……っ、心臓止まるかと思った……!」
湊は返す言葉を失った。
胸の奥で、熱いものが込み上げる。
だが。
すぐ側で、静かに立つ影があった。
ユイナだった。
表情から色が消えている。
涙も流さず、ただ、胸の前で両手を握りしめていた。
湊はその姿を見ただけで胸が締めつけられる。
「ユイナ……俺……」
言いかけた時。
ユイナはかすかな笑みを浮かべた。
どこか無理をした──痛々しい笑みだった。
「湊さんが……生きてて……本当によかったです。
それだけで……私は、もう……」
その声は掠れ、震えていた。
「ユイナ!」
リィナが泣きながら言う。
「そんな言い方……しないでよ……!」
ユイナは首を振る。
「だって……湊さんは私の手を選ばなかった。
それが答えです」
湊は息を呑む。
喉が締めつけられ、言葉が出ない。
ユイナは続けた。
「本当に大切な人の手は……迷わず取れるはずです。
私は……その相手じゃなかった。
だから……大丈夫です。
湊さんが無事なら……それで……」
その一歩一歩が、地面に落ちるたびに痛みを伴っているようだった。
「俺は……君を……」
湊が言いかけると──ユイナは俯いたまま、弱く笑った。
「……ごめんなさい。
湊さんのその言葉……今は……聞きたくありません」
そして、ゆっくりと背を向けた。
その姿が遠ざかっていく。
胸の中心が焼けつくように痛んだ。
自分は──彼女を傷つけた。
その事実が、刺さる。
⸻
地面が揺れる。
空が低く唸り、天環がさらに大きく脈動した。
まるで“決断”が世界に波紋を広げているかのようだ。
リィナが湊の手をそっと握りながら言う。
「湊……ユイナはね、湊のことが……本当に大好きなんだよ。
だからこそ、辛いんだ。
湊の選んだ道を無理に奪うような真似、できないんだよ」
湊は唇を噛む。
頭の中で、遥の笑顔が蘇る。
──湊くん。選んで。
──誰と生きるのか。
その呼び声が、まだ耳に残っている。
湊は遥が飲み込まれた方向を見る。
天環の端に、黒い裂け目が広がり、
その奥で何かが蠢いていた。
まるで遥の残響を掴んだ“闇”そのものが、
形を持ちつつあるようだった。
すると、ユイナが立ち止まった。
正面から天環を見つめ、呟く。
「……来る」
リィナも動きを止める。
「……え?」
ユイナが振り返った。
その顔には涙はもうなかった。
ただ、巫子としての強い光が宿っていた。
「湊さん。
“天環”が……あなたの選択に反応しています。
世界の境界が揺れて……“向こう側”の存在が、この世界に侵食してきます」
湊は震える声で尋ねる。
「遥が……飲み込まれた“あの闇”と関係が……?」
ユイナは小さく頷く。
「はい。
あれは天環の奥にいる、“主”の気配です。
本来ならこの世界に出てきてはいけない存在」
空は灰色に濁り、
雲が渦を巻くように集まっていく。
風が低く唸る。
リィナが剣を構えた。
「ユイナ、何が来るの!?」
ユイナは祈りの印を組みながら言う。
「“境界喰らい(エクリプス)”……
天環の最奥にいる、世界と魂を喰らう“影”です」
「影……?」
「もし湊さんが“遥さんの手”を取っていたら……
あなたの魂ごと、二人まとめて喰われていました」
湊は息を呑む。
遥が差し伸べた“優しさ”は──
その奥に“影の侵蝕”が入り込んでいた可能性がある。
ユイナが言葉を続ける。
「天環は……本当は遥さんを利用して湊さんを誘ったんです。
あなたの魂は……この世界の均衡を揺るがす。
だから、“餌”にされた」
リィナがゆっくり呟いた。
「冗談じゃない……そんなの……!」
ユイナの目が強い光を宿す。
「湊さん。
あなたが誰の手を選んだかは……もう決まりました。
でも──
あなたの選択が“世界を救う道”に繋がるかどうかは、これからの戦いで決まります」
湊は拳を握りしめた。
たしかに、リィナの手を選んだ。
だが、それはユイナを傷つけた。
そして遥を救う道も閉ざした。
しかし──。
「未来だけは……まだ決まってないってことか」
ユイナは頷く。
「はい。
あなたが生きている限り……未来は書き換えられます」
その直後。
空が裂けた。
黒い“影”が無数の触手のように広がり、
天環の中心から巨大な闇が姿を現す。
ユイナが叫ぶ。
「来ます!!
境界喰らい(エクリプス)!!」
湊は剣を構える。
リィナが隣に立ち、ユイナが後方で祈りを重ねる。
そして──
闇が、世界を呑み込むように襲いかかってきた。
⸻
湊の胸に、ひとつの確信が生まれる。
“遥を救う道も、ユイナを救う道も、
世界を救う道も──まだ閉ざされてはいない。”
自分が選んだ手。
リィナの震える温もり。
そして傷ついたユイナの涙。
すべてを抱えて、
湊は闇へと踏み込んだ。
世界が終わるその前に、
きみが微笑む未来へ辿り着くために。




