第一章 二十一話 深淵に差す灯
足元に黒い亀裂が広がり、そこは底知れない暗闇だった。
「この奥に……黒い使徒が?」
「あるいは、もっと厄介な何かがね」
アルメリアの言葉には緊張が混ざっている。
ユイナとリィナは互いに距離を保ちながら、湊の両隣を歩く。
どちらも湊から離れたくない、という思いが透けて見えた。
暗闇の道を進むと、足元に光る紋様が浮かび上がる。
「魔法陣……?」
「いや、これは――記憶の道だ」
アルメリアの呟きと同時に、
空間が歪み――映像が流れ始めた。
⸻
そこは、見覚えがある街。
だが、どこか違う。
瓦礫と化し、人々が絶望と恐怖の声を上げている。
「ここ……ロゼスタ? でもどうして」
炎と悲鳴。
黒い霧が街を飲み込む。
すると――
「やめろ!!!」
男の叫び声が響く。
黒い霧の中心に立つのは――黒い使徒。
『勇者。お前のせいで救えなかった』
黒い使徒は剣を振り上げ――
仲間を、愛した人を――次々と殺していく。
映像の中の勇者は泣き叫んでいる。
頭を抱え、膝をつき、絶望に沈んだまま――何もできなかった。
「これは……初代勇者の記憶?」
「いや、この声……」
湊は胸を掴んだ。
(これは……俺だ)
心臓が痛いほど締めつけられる。
「湊!」
ユイナが手を握る。
その温もりで、湊の視界が戻る。
「大丈夫……俺は、倒れない」
⸻
記憶の映像が途切れ、再び暗闇へと戻る。
リィナが不安げに柱の跡を撫でた。
「湊さん……もし、また同じことが起きたら……」
「起こさせない。
今度は逃げずに戦う」
「だけど……三人一緒に生きるなんて……本当にできるの?」
リィナの声は震えていた。
勇者は常に世界を優先し、
巫女は常に勇者を優先し、
結果、どちらかが崩壊する。
歴史が何度、そう示してきたか。
「できる。
俺は二人を幸せにするために転生したんだ」
その言葉にユイナが思わず目を見開く。
「湊……」
嬉しいはずなのに、なぜか胸が痛む。
(私は……湊の「救う対象」なの?
それとも……湊の「大切な人」?)
その小さな疑念が、じわじわと膨らむ。
⸻
深淵の道は途切れ、巨大な扉が現れた。
表面には二人の巫女と勇者が描かれている。
しかし、その勇者の顔には――
仮面がかけられていた。
「黒い使徒……?」
「そうだ。
勇者が愛を選ぶたびに、世界が彼を罰した」
アルメリアの声は怒りを含んでいた。
「だから黒い使徒は……
世界への復讐者になった」
「じゃあ俺たちは、世界と戦うのか?」
「そう。
あなた達三人は、禁じられた未来そのものだから」
湊は扉に手を伸ばす。
「開けるよ」
ユイナとリィナも手を重ねた。
「私たちは一緒」
「いつだって隣にいます」
ギィィィ……
扉が開き、白い光が溢れ出した。
⸻
そこは――奇妙な空間だった。
無限に広い白い平原。
空にはひび割れが広がり、黒い霧が滲んでいる。
中心に立つのは――一人の男。
黒い外套を風に揺らし、虚ろな瞳が湊を見つめる。
「ようやく来たか。
俺の後継者」
「後継じゃない。俺は俺だ」
「だが血は同じ。
思想も同じ。
愛も――同じだろう?」
黒い使徒の視線が、ユイナとリィナをゆっくり舐めるように動く。
「二人とも愛してしまったんだな。
初代の俺と同じように」
湊は剣を抜く。
「違う。
俺は二人を悲しませない」
「では――証明してみろ」
雷鳴のような闇が走り、槍となって飛来。
湊は全て叩き落とす。
次の瞬間、闇が足元から湧き上がり、
湊の頭の中に声が響いた。
『お前は誰を選ぶ?』
「両方だ!」
『愚か者め。誰もがそれを望むが、誰も叶えられなかった』
「なら、俺が初めて叶える!」
黒い使徒の瞳が揺れた。
「言うではないか……
だが、覚悟はあるのか?
どちらも救うという選択は――最も残酷だぞ」
「残酷でも構わない!」
湊は叫ぶ。
⸻
その時。
「湊……」
ユイナが背中に抱きつく。
「私、湊が幸せなら、それで……」
「ダメだ」
湊が振り返らずに言う。
「俺は、ユイナにもリィナにも笑ってほしい。
犠牲になる未来なんて、いらない」
ユイナは目を見開く。
「わたし……信じていいの?」
「信じろ。
俺が、お前を信じるんだから」
「……湊……」
その言葉だけで、ユイナの胸の不安が溶けていった。
一方、少し離れた場所でリィナは拳を握る。
(私も……湊さんに信じてほしい……)
リィナが一歩踏み出す。
「黒い使徒さん……
あなたは一人で苦しんできたんですね」
黒い使徒が目を細める。
「同情か?」
「違います。
私は……湊さんと一緒に、あなたも救いたい」
その言葉に黒い使徒の指が止まった。
「救う?俺を?」
「あなたは……勇者なんでしょう?
本当は、優しい人だったはずだから」
長い沈黙。
黒い使徒は口元を歪め――笑いとも涙ともつかない声を漏らした。
「優しい?
そんな言葉……とうに忘れた」
「じゃあ思い出させます」
リィナは迷わない瞳で問いかけた。
「勇者は……
巫女を守るために戦うんです!」
湊が剣を構える。
「お前の痛みは全部、俺が受け継ぐ。
だから、終わらせる。
世界がどう言おうと、俺が未来を選ぶ!」
黒い使徒が槍を振り上げる。
「勇者よ……
その選択が、お前を殺す」
「それでも――進む!」
光と闇がぶつかり合う。
世界が震える。
⸻
「この戦いは……
世界の選択だ――勇者」
黒い使徒の声が響いた瞬間――
空が裂けた。
無数の黒い影――《絶望の欠片》が降り注いだ。
「まずは巫女の心を砕こう」
「させない!」
ユイナとリィナが同時に祈りを放つ。
二つの光が湊へと集まり――
勇者の身体が白い輝きに包まれた。
「行くぞ。
世界を……救ってやる」
湊は駆け出した。
黒い使徒は冷たい笑みを浮かべ、槍を構える。
「ならば来い。
お前の愛が、世界を壊す瞬間まで――」
光と闇が再び衝突し、
眩い閃光が世界を塗りつぶした。




