第一章 十九話 涙の理由
黒い使徒が消えた後の王都外縁は、別の世界になっていた。
崩れた城壁。
破壊された家並み。
ひっそりと漂う黒い煙。
風が吹くたび、寂しげな音が鳴る。
「ここまでひどいなんて……」
リィナは震える声で呟いた。
その手は、まだ湊の服を握っている。
湊はふたりを安心させるように、ゆっくりと周囲を見渡す。
(王都の中心――たぶんまだ先だ)
奥へ進むほど、闇は濃くなる。
黒い祈りの気配が強まっていく。
「湊、どこへ向かうの?」
「玉座の間だ。
王がまだ生きているかもしれない。
黒い使徒の目的が何か、わかるかも」
「危ないよ……」
ユイナが心配そうに袖を引いた。
湊は微笑む。
「怖くないわけないよ。
でも、逃げたら全部終わる」
「……うん」
ユイナはぎゅっと湊の手を握る。
――その時。
「やっと、見つけた」
背後から声がした。
振り返ると、ボロボロの姿のアルメリアが立っていた。
髪は乱れ、頬には血。
それでもその眼差しは強かった。
「湊……どうしてそこまで、戦えるの」
「守りたい人がいるからだ」
「巫女たちのため?」
「それだけじゃない。
お前もだ」
アルメリアの肩が小さく震えた。
「……どうして」
「お前が敵でも、苦しんでいるなら――助けたい」
その言葉に、アルメリアは唇を噛んだ。
「馬鹿……
そんな言葉、私は知らないのに……」
呟きは、泣き声に近かった。
「アルメリア。
お前は何を願っている?」
答えは、すぐには返ってこなかった。
代わりに――
「ついてきて。
王都の奥を知ってる人間が必要なんだろ?」
背を向け、歩き出す。
その歩みの不安定さに、湊は迷わず肩を貸した。
アルメリアは小さく驚いたように目を見開いたが、すぐに視線を逸らす。
「勘違いしないで。
これは……私の問題でもあるから」
その言葉は、震えていた。
ユイナが何か言いかけて――黙る。
リィナだけが、優しく微笑んだ。
「一緒に行きましょう」
⸻
◆
中心部へ近づくにつれ、倒れた兵士たちの姿が増えていった。
顔の半分が黒く塗り潰されたような死に様。
(黒い祈り……これが代償か)
リィナが袖を押さえ、吐き気を堪える。
「こんなの、ひどすぎる……」
湊はリィナの肩に手を置いた。
「目を背けたいならいい。
でも、俺は絶対に忘れない」
「うん……
湊さんがいるから、大丈夫」
ユイナはその様子を見て、僅かに表情を曇らせた。
(……どうして私は、こんな気持ちになるんだろ)
胸の奥が苦しく締め付けられる。
湊とリィナが近い距離にいる。
ただそれだけなのに――。
「……ユイナ?」
気づいた湊が覗き込む。
「な、なんでもないっ」
焦って距離を取る。
(どうして、隠しちゃうの)
自分の心がわからなかった。
⸻
◆
王城の巨大な扉が、軋んだ音を立てて開いた。
広大な玉座の間は、黒い蔦に覆われていた。
中央には――
王が玉座にもたれかかっていた。
顔は青白く、息も絶え絶え。
「陛下!」
アルメリアが駆け寄る。
「アル……メリア……
来て、くれたのか……」
王は彼女の顔を見つめ、かすかに笑う。
「立派になったな……
私の誇りだ」
その言葉に、アルメリアの目が揺れた。
「やめてよ……
今さらそんなこと言われたって……」
王の手が、彼女の頬に触れた。
だが、その手は震えている。
「王都を守れなくて……すまない……」
「違う。
悪いのは……私」
アルメリアは唇を噛み、声を震わせる。
「私が……黒い祈りを利用したから……
陛下を……苦しめてしまった……」
湊たちは言葉を失う。
(……アルメリア……)
「黒い祈りを使ったのは、
この国を救うため、だったのに……」
王は首を弱く振った。
「責めるな……
お前は……優しい子だ……」
「やめて……やめて……!」
アルメリアの目から涙があふれる。
「私を……愛してくれたから、
こんな世界になったの!」
その叫びは、痛々しかった。
(アルメリアは……自分を罰している)
湊の胸が締め付けられる。
「アルメリア」
湊が一歩近づく。
「俺は知ってる。
お前は誰かを救おうとして、迷ってきた」
「それでも……私のせいで……!」
「もし本当にお前が悪いなら――」
湊は優しい声で続けた。
「俺が、お前を救いたいって思うわけない」
アルメリアの目が、大きく見開かれる。
「湊……」
「お前は悪じゃない。
世界に利用されただけだ」
その言葉に、王は満足げに頷いた。
「勇者よ……
娘を……頼む……」
そのまま――王の瞳から光が消えた。
アルメリアは声もなく泣き崩れた。
「陛下……!
どうして……!
私を許すの……!」
ユイナとリィナは胸を押さえた。
(こんな涙……誰も止められない)
泣きじゃくるアルメリアを、湊はただ抱き寄せた。
彼女は湊の胸の中で、子どものように泣いた。
「私は……全部間違えて……
もう、生きていいのかさえ……!」
「生きろ。
俺が……一緒に罪を背負う」
「どうして……どうしてそんなこと言えるの……!」
「お前が俺たちを助けてくれたからだ。
今度は俺の番だ」
アルメリアの涙が、湊の服を濡らした。
その様子を見つめるユイナの胸は、また痛んだ。
(湊は……ずるいよ)
リィナも唇を噛みしめていた。
(湊さんは……本当に、人を救える人だから……)
その優しさは、光でもあり――
誰かを苦しめる刃にもなる。
⸻
◆
長い時間、アルメリアは泣いた。
やがて、涙が枯れたように動きを止める。
その目には――覚悟の炎が宿っていた。
「湊。
私はもう逃げない。
黒い使徒を倒すために、全身全霊をかける」
湊はうなずいた。
「一緒に戦おう」
「ありがとう……」
アルメリアはわずかに笑った。
その笑顔は、悲しみを抱えながらも美しかった。
⸻
◆
玉座の裏。
隠し階段が、奥底へと口を開けていた。
「この先に……何があるの?」
ユイナが囁く。
「王が禁じてきた部屋だ。
世界の秘密が眠っている」
アルメリアの声が低く響く。
「黒い祈りも――
勇者も巫女も――
すべての始まりが、そこにある」
冷たい風が地下から吹き上げてくる。
湊は剣を握り直した。
「行こう。
運命の根を断ち切るために」
三人はうなずき、階段へ足を踏み入れた。
暗闇が、彼らを包み込む。
その先で――
新たな絶望が静かに目を覚ましていた。




