第一章 十二話 彼女の微笑みは祈りの牢獄
扉の向こうは、真っ白な世界だった。
空も地も境界がなく、光だけが満ちている。
どこまでも静かで、温かくて――
だが同時に、底知れない恐怖を感じさせる。
「ここが……天環の中心……」
リィナが呟いた声が、吸い込まれるように消える。
湊は周囲を見回す。
遠くに立つ小さな影に気づいた。
黒髪の少女。
白い衣をまとい、両手を胸の前で静かに組んでいる。
「ユイナ……!」
駆け寄ろうとすると、リィナの手が湊の袖を掴んだ。
「……怖いの?」
「ううん……ただ、分からないの。
私の中にある“記憶”が、ざわついて……」
リィナの指先が震えている。
湊はそっとその手を握る。
「大丈夫だ。俺がいる」
その言葉に、リィナは微かに微笑む。
それを確認して、湊はユイナへと歩き出した。
⸻
近づくほど、胸が苦しくなる。
懐かしい。会いたかった。
その感情が、痛みとなって湧き上がる。
「ユイナ!」
呼びかけると、少女はゆっくり振り向いた。
澄んだ瞳。優しい笑み。
記憶の中のユイナと変わらない――はずだった。
「……湊さん」
その声は震えていた。
恐怖か、悲しみか、あるいは後悔か。
「久しぶり……ですね」
「会いたかった。心配したよ。
お前を助けに来た。ここから一緒に――」
「来ては……いけなかったのに」
「え?」
ユイナは微笑んでいた。
けれど、その笑みは凍てつくほど寂しい。
「私はここで祈り続けなきゃいけないの。
そうしないと……世界が壊れてしまうから」
「そんなことさせない!
一緒に生きる方法を見つける!!」
「見つからないよ」
はっきりと言い切った。
その瞳が、淡く光る。
「この世界はね……
誰かの祈りで保たれている。
そして今、その祈りを捧げているのは――私」
湊は言葉を失う。
「湊さんが……私を救ってくれた。
だから今度は、私があなたを救う番」
胸に手を当て、静かに言う。
「あなたが生きられる世界のために
私はここで、祈り続ける」
⸻
「違う……救われていない!」
湊は前へ踏み出す。
「お前は笑っていない。
その笑みは、苦しいままの笑みだ!」
ユイナの肩がびくりと震える。
「湊さん、お願いです……
私を、苦しめないで」
「そんなこと――」
「あなたが私を求めたら
私の祈りは崩れてしまう」
ユイナの声は涙へと変わる。
「世界が……壊れるの」
リィナが小さく息を呑む。
「ユイナ様は……
ずっと、ここで一人で……?」
ユイナはリィナに視線を向ける。
リィナと同じ顔立ち、同じ瞳。
鏡を見るような感覚だった。
「あなたは……私の器。
本当なら、あなたに戻らなきゃいけないの」
「嫌です」
リィナは一歩前に出る。
「私は湊さんと生きる。
誰の代わりでもない、私自身として」
その言葉を聞いた瞬間、
ユイナの微笑みがわずかに崩れた。
「ねぇ……どういうこと?」
ユイナの瞳が揺れる。
「私と同じ顔で、同じ声で……
どうしてそんなことを言えるの……?」
震えながら、湊に視線を向ける。
「湊さん……
まさか、私がいない間……
その子と――」
「違う!!」
湊は即座に否定した。
「俺は、お前に会いに来た。
絶対に迎えに来るって、そう決めていた!」
だがその言葉は
ユイナの心を深くえぐっただけだった。
「だったら、どうして助けてくれなかったの」
「……え?」
「私はずっと呼んでいた。
待っていた。
助けて、って。寂しい、って」
ユイナの頬を涙が伝う。
「でも湊さんは来なかった」
祈りの光が激しく揺れ、世界が震え出す。
「あなたは……私を捨てたんだよ」
湊の視界がぐらりと揺れる。
胸の奥に、何か黒い記憶が滲み出す。
炎
瓦礫
血の匂い
少女の叫び
――湊、逃げて
(……ユイナを、俺は)
「湊さん!」
リィナが湊の手を握った。
その温度が、湊を現実に引き戻す。
「過去がどうであっても、
今の湊さんはユイナ様を救いに来た。
それがすべてです」
ユイナが震えながら問いかける。
「……あなたは、誰?」
「私はリィナ。
祈るための器なんかじゃない。
湊さんと生きるために、ここにいる」
「そんなの……そんなの……!」
ユイナの瞳に、激情が火を灯した。
「だったら、私は何?
湊さんが救えなかった過去?
祈り続けるための犠牲?」
光が暴れ、空が裂けるような音が響く。
「そんなの、いや……!
湊さん、お願い……
私を、見て……
私だけを見てよぉ!!」
その叫びは、
この世界の心臓が引き裂かれる音を伴っていた。
⸻
「俺は……」
湊は歩き出す。
迷わずに。
「俺は、お前を見てる。
ずっと、お前だけを見てる」
ユイナの涙が止まる。
「だから一緒に生きよう。
祈るためじゃなくて――
笑うために」
湊は手を伸ばす。
「帰ろう、ユイナ」
ユイナは震える手を、少しずつ伸ばしていく。
あと少し、あと指先一つで触れる。
その瞬間――
「触れるなァァァ!!!!」
狂ったような声が響き、
黒い刃が湊とユイナの間を切り裂いた。
振り返ると――
影に飲まれたアルメリアが立っていた。
その姿はもう、完全に人ではなく。
「巫女は祈るためにいる!!
勇者は巫女を壊す!!!
お前たちの希望は、世界の終わりだァァ!!」
足元の光が一気に崩れ始めた。
世界が、落ちていく。




