第一章 十一話 祈りが悲しみになる前に
黒い怪物が咆哮し、重い足音で大地を踏み鳴らした。
封印の間全体が激しく揺れ、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
「リィナ、下がれ!」
「はい!」
湊は光をまとった右腕を振り上げる。
勇者の紋章が脈動し、斬撃が巨大な光の軌跡になって走った。
闇を裂くように一直線に伸びた光が、怪物の胴を深く切り裂く。
しかし、黒い肉はすぐに再生を始める。
触手のような影を伸ばし、湊とリィナをまとめて飲み込もうとしてきた。
「っ……しつこい!」
レオルドが影に飛び込み、剣で次々と切り捨てていく。
だが、倒しても倒しても影は増えていくばかりだった。
アルメリアは高い段上からその様子を見下ろし、冷たく笑った。
「愛が力になる?
そんな脆いもの、闇が喰らえばすぐに折れるわ」
「折れねぇよ……!
湊は絶対折れねぇ!」
レオルドの叫びは、まるで兄のようだった。
湊は背中越しにその声を聞き、胸の奥が熱くなる。
「そうだ。俺は折れない。
――リィナが、ここにいてくれるから」
リィナは驚いたように湊を見つめ、
すぐに小さく笑った。
「私も、支えます。
湊さんと一緒に、生きるために」
その瞬間、二人の頭上で何かが音を立てて砕けた。
視線を上げると、封印の石壁が崩れ落ち、
奥に隠されていた巨大な扉が姿を現した。
まるで、彼らの選択に応えたかのように。
⸻
「そこへは行かせない!」
アルメリアの指示によって怪物が唸り、
巨腕を振り下ろしてくる。
「湊、避け――!」
レオルドの警告が遅れた。
黒い腕が湊を薙ぎ払い、壁に叩きつける。
「ぐっ……!」
胸を突き刺す痛み。
息ができなくなる。
「湊さん!」
駆け寄ろうとしたリィナに向けて、
影が無数の針となって伸びてくる。
レオルドが身を挺して庇い、肩に深い傷を負った。
「レオルド!」
「気にすんな……!
俺らは三人で一つだろ……!」
血を流しながら、それでも剣を離さない。
⸻
湊はゆっくりと立ち上がる。
痛む体を奮い立たせ、光を集める。
「アルメリア……
お前は何でそんなに、ユイナに執着する」
「……知らないの?
勇者はいつも巫女を傷つけた」
「傷つけた……?」
「救うためと言いながら、
結果的に巫女を犠牲にする。
あなたの前の勇者も、
その前も、ずっとそうだった」
アルメリアの声は嘲りではなく、怒りに濡れていた。
「巫女は勇者を愛し、
勇者は巫女の祈りに縋る。
その愛は世界を救うと信じて……
結局、巫女だけが消えていく」
湊の胸が締めつけられる。
「俺は……そんな未来、絶対に認めない」
「叶うわけがない!!」
アルメリアの叫びは、悲鳴に近かった。
黒い怪物がさらに形を変え、
巨大な口を開いて三人ごと飲み込まんと迫る。
⸻
湊はリィナの手を握る。
「力を貸して」
「はい。
私のすべてを、あなたに」
リィナの掌から温かな光が流れ込む。
それは祈りの力。巫女の力。
だが、彼女はもう「祈りだけ」に縋る存在ではない。
その光には、強い意志が宿っていた。
「いけるか、湊!」
「もちろん」
湊は踏み出す。
足は震える。
身体は限界に近い。
それでも――
「俺は勇者だ。
大切な人を守るために、生まれてきた!」
叫びとともに、湊の腕が眩い光を放つ。
「うおおおおお!」
白く輝く刃が怪物の中心を貫いた。
その瞬間、黒い影が悲鳴を上げて霧散する。
「やった……!」
リィナが息を呑み、レオルドが歓声をあげる。
だが――
「まだ終わらない」
アルメリアは震えながら笑った。
「扉の向こうに本物の巫女がいる。
その祈りが止まれば、世界は崩壊する」
「祈りを止めない方法を探す。
ユイナを救い、世界も救う」
「その幻想が、巫女を殺すのよ!」
影がアルメリアの背で暴れ、形を崩す。
彼女もまた限界だった。
「……湊。
あなたは世界を救う資格なんか……」
その言葉は、震えながら続いた。
「ない。
あなたは――一度、巫女を捨てた」
「……どういう意味だ」
湊の心臓が凍りつく。
「あなたの記憶は欠けている。
本来のあなたは……
たった一度の選択で、巫女を地獄に落とした」
リィナが小さく震え、湊の袖を掴んだ。
「湊……さん?」
湊は彼女の手を握り返し、
強く深呼吸する。
「過去がどうだろうと関係ない。
俺は今を選ぶ」
その言葉は真っ直ぐだった。
リィナの瞳が揺れ、深い安堵を映した。
⸻
「行こう。扉の向こうへ」
「湊さん……」
「ユイナを迎えに行く。
そして三人で、外へ出るんだ」
湊の言葉に、レオルドが笑う。
「最初からそう言えってんだ。
付き合ってやるよ、最後まで」
リィナも強く頷く。
「私も……あなたの隣で」
三人は並んで、巨大な石扉の前に立つ。
扉には、古い文字が刻まれていた。
天を支えるは祈り
地を守るは恋
もし両が結ばれし時
世界は終わり、また始まる
「……終わりと始まり?」
湊が呟くと、扉が低く響き、ゆっくりと開き始めた。
その先には、温かい光が広がっている。
「ユイナ……!」
湊は光の中へ走った。
リィナとレオルドが後に続く。
その瞬間。
遠くで、鐘の音が響いた。
静かに
けれど確かに
世界が終わりへ一歩進んだ音だった。




