第86話 「静かな肯定」
王都からの返答は、即座ではなかった。
それが意味するところを、アメリアはよく分かっていた。
拒否でも、受諾でもない沈黙は――
最も扱いづらく、そして慎重な態度だ。
「上が、割れてるわね」
アメリアは、薬草を刻みながら言った。
「間違いない」
ルシアンが頷く。
「強行派と、様子見派」
セイリウスは、珍しく皮肉めいた声を落とす。
「線を引かれると、踏み越えたい者ほど迷う」
数日後、予想外の人物が辺境を訪れた。
王都直轄の監査官。
だが、肩書きのわりに、随分と簡素な装いだった。
「アメリア・フォン・ハーヴェスト辺境伯令嬢ですね」
「私は、確認に来ただけです」
敵意はない。
探るような視線はあるが、圧はない。
「何を、確認に?」
アメリアは、正面から聞いた。
「……“無理をしていないか”を」
その言葉に、ルシアンが眉を上げる。
監査官は、薬草園を歩き、村を見て回った。
帳簿を見る。
作業を眺める。
村人と、短い言葉を交わす。
そして、最後に言った。
「管理されていないのに、荒れていない」
「これは……珍しい」
「必要な分だけ、動いていますから」
アメリアは答える。
「余分な力は、入れていません」
監査官は、小さく笑った。
「それが、一番難しい」
帰り際。
彼は、正式な文書を残さなかった。
代わりに、口頭でこう告げた。
「当面、辺境への直接介入は行われません」
「条件提示は、尊重されます」
完全な承認ではない。
だが――否定でもない。
「それで、十分です」
アメリアは、静かに頭を下げた。
夜。
薬草園の灯りの下で、アメリアは一息つく。
「味方、ってほどじゃないな」
ルシアンが言う。
「ええ」
アメリアは頷く。
「でも、“敵じゃない”は大きい」
セイリウスが空を見上げる。
「線を引いたことで、立場が見えた」
「そう」
「見えたから、踏み込まれなかった」
静かな肯定。
拍手も、称賛もない。
だが、無視されることもない。
それは、この辺境にとって、最良の結果だった。
アメリアは、畝の間を歩きながら思う。
強く主張しすぎない。
だが、曖昧にもならない。
そのバランスが、ようやく形になった。
「……これで、暮らせる」
特別なことは、もういらない。
日々を、続けられればいい。
夜風が、薬草を揺らす。
橋は、今も静かに、そこにあった。




