第77話 「祈りと、現実のあいだ」
宗務院本部は、王都の北側、高台に建っている。
白い石で組まれた建物は清廉で、静謐だ。
だが、その内部では、必ずしも穏やかな空気ばかりが流れているわけではなかった。
「……辺境の薬師を、どう見るべきか」
円卓を囲む数人の神官の中で、最年長の男が口を開いた。
声は低く、重い。
「神意を語らず、否定もせず」
「だが、結果として“地を動かした”」
別の神官が眉を寄せる。
「奇跡と呼ぶ者もいます。
一方で、“人の手で触れてよいものではない”という声も」
そのとき、リヒトが一歩前に出た。
「彼女は、奇跡を起こしたつもりはありません」
「ただ、倒れていた人を起こしただけです」
視線が集まる。
「それが問題だ」
年配の神官が言った。
「祈りではなく、技と判断で」
リヒトは一瞬、言葉を探し、それから静かに続けた。
「ですが……祈りだけで救えなかった人が、確かにいた」
沈黙が落ちる。
否定できる者は、いなかった。
同じ頃、辺境。
アメリアは、森の入口で一人の老女と向き合っていた。
村の古くからの語り部で、信仰心の篤い人物だ。
「噂は、聞いとるよ」
老女は杖をつきながら言った。
「神に逆らった薬師、だそうだ」
アメリアは、否定も肯定もしなかった。
「私は、祈りを邪魔するつもりはありません」
「ただ、手が届くなら、手を出すだけです」
老女はじっと彼女を見つめ、やがて小さく笑った。
「昔の神官も、似たことを言っておった」
「“神は見ているが、動くのは人だ”と」
その言葉に、胸の奥が静かに揺れた。
夕方。
薬草園に、小さな祈りの列ができていた。
宗務院の命令ではない。
誰かが強いたわけでもない。
薬を受け取り、頭を下げ、静かに去っていく。
祈る者もいれば、ただ礼を言う者もいる。
「……象徴になり始めてるな」
ルシアンが低く言った。
「ええ」
アメリアは答える。
「一番、なりたくなかったものに」
セイリウスが静かに言葉を重ねる。
「象徴は、避けられない。
だが、振る舞いは選べる」
アメリアは頷いた。
「だから、変えない」
「祈りを否定しない」
「でも、判断を委ねもしない」
夜。
一人で薬草を乾燥棚に並べながら、アメリアは思う。
神と人。
信仰と現実。
その間に立つ気はない。
けれど、間に“空白”があるなら、埋めることはできる。
「……薬師は、橋みたいなものね」
誰のものでもない。
ただ、渡るためにある。
外では、静かに風が吹いていた。
祈りの声と、生活の音が、同じ夜に溶けていく。
物語は、次の段階へ進む。
対立ではなく、選択の物語へ。




