第74話 「静かな名が、歩き出す」
王都、調整局。
朝の会議室は、いつになく重たい空気に包まれていた。
「……で、その“辺境の薬師”とは何者だ?」
長机の奥で、年配の官僚が眉をひそめる。
書類には、正式な肩書きも、所属も記されていない。
「ハーヴェスト辺境伯令嬢、アメリア様です」
エレナははっきりと答えた。
「ですが、王都の役職は一切持っていません」
「では、なぜ我々は彼女に頼る?」
別の声が重なる。
エレナは一瞬だけ言葉を探し、それから静かに言った。
「……効いたからです」
室内が、ぴたりと静まった。
「王都の地脈異常は収束しました」
「外縁部の再発も、彼女の示した“過剰に介入しない方法”で落ち着き始めています」
数値。
報告書。
市民の回復記録。
それらが、淡々と机に並べられていく。
「理論は?」
「完全ではありません」
エレナは正直に答えた。
「ですが、“無理をさせない”という一貫した思想があります」
官僚たちは顔を見合わせる。
「……厄介だな」
誰かが小さく呟いた。
「否定できない」
その頃、辺境。
アメリアは薬草園の一角で、新しい畝を作っていた。
特別な薬草ではない。
どこにでも生える、丈夫な草だ。
「これを?」
手伝っていた領民が首をかしげる。
「ええ」
アメリアは土を整えながら答える。
「これから、いろんな土地を通るから」
「薬草を?」
「人を」
アメリアは微笑んだ。
辺境に集まるのは、患者だけではない。
最近は、薬草の扱いを学びたいという者も増えていた。
王都から。
周辺の村から。
理由はそれぞれだが、共通しているのは――
“無理をしない方法”を求めていること。
「教えるのは、最低限よ」
アメリアは言う。
「土地を見て、体調を聞いて、待つ」
「それだけ?」
「それだけ」
セイリウスが静かに補足する。
「“それだけ”が、最も難しい」
夕方、ルシアンが一通の書状を持ってきた。
封蝋は王都のもの。
「来たな」
彼は軽く肩をすくめる。
アメリアは封を切り、目を通す。
内容は簡潔だった。
――正式な要請ではない。
――だが、今後の“情報共有”を望む。
「……上手いやり方ね」
アメリアは小さく息を吐く。
「縛らず、でも手放さない」
ルシアンが笑う。
「有名になってきた証拠だ」
「名だけ、ね」
アメリアは首を振る。
「私は、変わらないわ」
夜。
薬草園に灯りがともる。
集まった人々は、それぞれの土地へ戻る準備をしていた。
籠には、薬草と、簡単な手引き。
「困ったら、戻ってきて」
アメリアはそう言って見送る。
去っていく背中を見ながら、彼女は思う。
名のない役割。
名付けられない在り方。
けれど――
それはもう、確かに動き始めている。
大きく広げる必要はない。
静かでいい。
でも、止まらないこと。
アメリアは夜風の中、薬草の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「……これでいい」
スローライフは、守るものじゃない。
広がりすぎないよう、整え続けるものなのだから。




