第73話 「名のない役割」
辺境の朝は、相変わらず静かだった。
薬草園に立つアメリアは、露を含んだ葉を指先で撫でながら、昨日の話を思い返していた。
王都、周辺の村、そしてこの辺境。
点だった問題が、線になり、いまや面として広がりつつある。
(……でも、全部を抱える必要はない)
それが、彼女の出した結論だった。
「アメリア様」
呼びかけに振り返ると、エレナが立っていた。
昨夜はほとんど眠れていないはずなのに、目には妙な決意が宿っている。
「王都へ戻る前に、ひとつ確認させてください」
「あなたは……どの立場で動くおつもりですか?」
調整顧問でもない。
王都の役人でもない。
ましてや、命令を下す立場でもない。
アメリアは少し考え、答えた。
「薬師よ」
「それ以上でも、それ以下でもない」
エレナは一瞬、言葉を失った。
だが、やがて小さく笑う。
「……王都の会議では、きっと困りますね」
「肩書きがないと」
「でしょうね」
アメリアも苦笑した。
「でも、肩書きがあると、見えなくなることも多いの」
午前中、辺境の若者たちが集まった。
薬草の仕分け、乾燥、調合。
いつもの作業だが、今日は少しだけ違う。
「これを、三つに分けるわ」
アメリアは完成した軟膏を示す。
「辺境用、周辺村用、王都外縁用」
ざわめきが起こる。
「全部、同じ配合じゃないんですね」
「ええ」
アメリアは頷く。
「土地が違えば、必要な“強さ”も違う」
セイリウスが静かに補足する。
「流れを揃える必要はない。
それぞれが、自然に戻れる程度でいい」
ルシアンは腕を組み、感心したように言った。
「……拠点っていうより、“中継点”だな」
その言葉に、アメリアは小さく目を見開いた。
「そうね」
「それが一番、しっくりくる」
昼過ぎ。
エレナは馬に乗る前、もう一度だけアメリアに向き直った。
「王都では、あなたの存在をどう説明すれば?」
少し困ったような、けれど真剣な問いだった。
アメリアは少し考えてから答える。
「困ったときに、土と人の様子を見る人」
「それで十分よ」
エレナは、思わず笑ってしまった。
「……前例がなさすぎます」
「作らなければいいの」
アメリアは穏やかに言う。
「前例は、守るためのものじゃない」
馬が走り出し、土煙が上がる。
エレナの姿が小さくなっていくのを見送りながら、アメリアは深く息を吸った。
名はない。
役職もない。
けれど、やるべきことは、はっきりしている。
スローライフは、閉じこもることじゃない。
必要なときに、手を伸ばせる距離を保つこと。
アメリアは再び薬草園に戻り、籠を手に取った。
今日も、やることは変わらない。
ただ、少しだけ――
届く範囲が広がっただけなのだから。




