第70話 「変わらない庭、変わった私」
辺境の森が見えた瞬間、胸の奥がふっと緩んだ。
濃い緑。
湿った土の匂い。
王都では決して感じられなかった、呼吸の深さ。
「……帰ってきたな」
ルシアンがそう言うと、馬の歩みが自然と遅くなる。
「ええ」
アメリアは目を細めた。
「ちゃんと、ここにある」
薬草園は、いつもと変わらない姿で迎えてくれた。
低い柵、整えられた畝、風に揺れる薬草たち。
――けれど。
(……少し、違う)
足を踏み入れた瞬間、アメリアは気づいた。
土の張り。
薬草の香りの重なり方。
全体の“呼吸”が、以前より落ち着いている。
「王都に行ってる間、何かあった?」
アメリアが領民に尋ねると、返ってきたのは首を横に振る答えだった。
「特には」
「でも……不思議と、作業が楽でした」
「薬草が、勝手に育つ感じで」
アメリアは納得する。
(地脈が整った影響が、ここにも来てる)
王都での調整は、遠く離れた辺境にも、確かに届いていた。
一人になり、薬草園の奥へ進む。
前世で薬剤師だった頃、
“効率”と“成果”ばかりを追っていた自分。
転生してからは、
“生き方”を選ぶようになった。
そして今――
その二つが、ようやく繋がった気がしていた。
「……焦らなくていい」
アメリアは、自分自身にそう言い聞かせる。
王都では、多くの人を救った。
けれど、ここでは一人ひとりと向き合える。
それでいい。
それが、私の薬師の在り方。
夕暮れ時。
森の縁で、セイリウスが地面に手を当てていた。
「どう?」
アメリアが尋ねる。
「安定している」
彼は静かに答える。
「むしろ、以前より健全だ」
ルシアンが軽く息を吐いた。
「全部、丸く収まった……って顔だな」
アメリアは小さく笑う。
「終わったんじゃないわ」
「ただ……ちゃんと、次に進めるだけ」
空が茜色に染まり、薬草園に影が伸びる。
この場所は変わらない。
けれど、ここに立つアメリアは、もう以前の彼女ではない。
王都を知り、
責任を知り、
それでも“ここを選ぶ”と決めた自分。
「……明日から、少しずつ変えましょう」
「薬草園も、やり方も」
ルシアンが眉を上げる。
「大改革か?」
「いいえ」
アメリアは穏やかに首を振った。
「ほんの少し、風通しを良くするだけ」
薬草は、急に育たない。
人も、街も、同じ。
だからこそ、続けられる。
辺境の夜が、静かに降りてくる。
スローライフは、ここからまた始まる。
でも今度は――
確かな芯を持って。




