第59話 「大地の夢で、彼女は聞いた」
――落ちていく。
アメリアは、白い光の中で自分の身体がどこにあるのかわからなくなる感覚に包まれていた。
重さも、痛みも、風すらない。
ただ、潮が満ち引きするような穏やかな波が、全身を包む。
まるで眠りの底へ沈んでいくようだった。
けれど、意識だけは鮮明で、彼女は気づいていた。
これは“森の内側”――大地そのものの夢。
どこかで、潮の忘れ草の微かな香りがした。
気がつくと、アメリアは足元に柔らかな土を感じていた。
いや、正確には「感じているはず」なのだが、どこか現実よりも薄い。
色彩がやけに穏やかで、輪郭が曖昧な世界。
森の木々が立ち並んでいるが、葉は透け、風の音は遠い。
「……ここは?」
問いかけると、不意に背後から声がした。
「“境界”だよ」
アメリアは振り返った。
そこに立っていたのは――白い衣をまとった、輪郭の淡い“人影”。
昨日洞穴で見た光の影より、はるかに人らしい。
背丈も仕草も近い。
だが、顔はまだ霞がかっていて、見えない。
アメリアは胸の奥がぎゅっと掴まれたように感じた。
「あなた……誰なの?」
人影は緩やかに手を広げ、森を示した。
「ぼくはこの森の一部であり、潮の一部であり……
地脈の“声”そのものだよ。
君が聞いてくれたから、姿を作ることができた」
アメリアは息を呑む。
やはり、潮の忘れ草が示した方向は間違いではなかった。
「地脈は苦しんでいるのね」
「うん。長く続く干渉で、流れがねじれた。
本来なら、この森は潮の風と大地の風が交わる“優しい場所”だった。
でも、それが崩れ始めている」
アメリアは前に進みながら尋ねた。
「何が原因なの?
結界? 人の仕業? それとも……自然の変化?」
人影は首を横に振る。
「原因は一つじゃない。
でも……一番大きいのは“王都の方角から来た力”だよ」
「王都……?」
アメリアの眉が動く。
セイリウスが王宮で研究していたとき、地脈の異変の兆候を聞かなかったとは考えにくい。
なら、その背後に“別の意図”があるのか。
人影は静かに続けた。
「地脈は一つの大きな川。
王都に流れ込む支流を強引に広げれば……別の土地が“枯れる”。
この森は、その犠牲になりかけている」
アメリアの胸が熱くなる。
「……地脈を、奪ってるの?」
「“引かれている”と言ったほうが近いかな」
それは、何よりも許せないことだった。
森が苦しみを訴えていた理由が、やっと繋がった。
アメリアは拳を握り、真っすぐに人影を見つめた。
「どうすればいいの?
私にできることがあるのなら、教えて」
人影はゆっくりとアメリアへ歩み寄り、
彼女の手のひらへ淡い光をそっと乗せた。
光は温かく、潮の香りがした。
「君は“治す手”を持っている。
薬を調合し、傷を癒し、生命を繋げる手だ。
地脈も同じ――詰まった場所に優しく道を作り、流れを戻してあげるんだ」
アメリアは小さく頷いた。
「でも、私は魔術師じゃないわ。
地脈の操作なんて……」
「大丈夫。君の知識ならできる。
必要なのは魔力じゃない。“理解”だよ」
その瞬間、アメリアの胸の奥に、洞穴で感じた揺れの正体がはっきりと流れ込んできた。
地脈は血管のように巡り、
詰まり、ほつれ、ねじれると、周囲の生命に痛みを与える。
それを“見て”“感じて”“流す”。
薬剤師として、何百回も繰り返してきたことだ。
「……できるわ。
大地の流れも、人の身体も、本質は同じなんだから」
人影は嬉しそうに揺れ――初めて、はっきりと微笑んだ。
「君がそう言ってくれると思ってたよ」
アメリアが言葉を返そうとしたその瞬間――
世界が、大きな波のように揺れた。
遠くでルシアンの声が聞こえる。
「アメリア! アメリア、戻ってこい!」
セイリウスの緊迫した叫びも重なる。
人影はアメリアの手をそっと押し返す。
「戻るんだ。君の仲間が待ってる。
ぼくとの会話は……また今度でいい」
アメリアは光に包まれながら、最後に問いを投げた。
「あなたの名前は?」
人影は少しだけ口元を上げて答えた。
「――“シオリ”と呼ばれていたよ。
この森の、過去の守り手だった」
光が弾け、世界が遠ざかる。
アメリアの意識は現実へ――森へ、仲間のもとへと引き戻されていった。
洞穴の中。
アメリアの瞳がゆっくりと開いた。
ルシアンが彼女を必死に抱き支え、セイリウスが魔力結界で割れ目の暴走を押さえている。
「アメリア! 大丈夫か!?」
アメリアは荒く息をしながら、二人を見上げた。
そして、震えながらも確かに言った。
「……わかったわ。
森を救う方法。
地脈の本当の状態。
そして――王都で起きていることも」
その言葉に、二人の表情が固まる。
洞穴の奥で、地脈の光が弱く脈打つ。
アメリアは静かに言った。
「“シオリ”が教えてくれたの。
私……やらなきゃいけないことがある」
森の奥に、何か大きな流れが動き始めていた。




