第57話 「森の底で、かすかな呼び声」
森の異変を調べ始めて三日目。
アメリア、ルシアン、セイリウスの三人は、観測地点を増やすため、さらに奥へ進む準備を整えていた。
朝の薬草園は静かで、朝露が光る。
アメリアは地脈観測杭を点検しながら、小さく呟く。
「……今日で、森の第四層まで行けるはず」
その言葉に、ルシアンが軽く眉を上げる。
「第四層か。獣の気配が強い場所だろ? 無茶すんなよ」
「無茶じゃないわ。必要なだけ」
アメリアは淡々と答えるが、内心は少し緊張していた。
第三層の“沈黙”は異様だった。
その先がどうなっているのか、想像がつかない。
そんな空気を和らげるように、セイリウスが静かに言葉を添える。
「心配はいらん。気配の遮断は俺が見る。……お前は観測に集中しろ」
アメリアはふっと笑う。
「頼りにしてるわ」
三人は荷物を肩に掛け、森の入口へ向かった。
森の第四層は、入り口からすでに“別の世界”の匂いがした。
湿度が低く、木々の影が伸び、鳥の気配は皆無。
風が通らないことに慣れてきたはずなのに、ここはさらに不自然だった。
「……空気が重い」
ルシアンが剣の柄に手を添えながら言う。
アメリアは観測器を起動させる。
針が小刻みに震え続け、落ち着く気配がない。
「地脈の揺れが強いわ。昨日より明らかに悪化してる」
すると、セイリウスがある一点を凝視した。
「……あれを見ろ」
三人の視線が向いた先には、小さな“窪み”。
そこには草も苔もなく、むき出しの土が円形にえぐれたように広がっていた。
アメリアは慎重に近づき、地面へ手を伸ばす。
ひんやりしていて、まるで地下に“何かが呼吸している”ような冷たさ。
「……これは、地面が沈んだ跡。最近のものね」
ルシアンの顔から血の気が引く。
「まさか……地下で地滑り?」
「違うわ」
アメリアは首を振り、震える針を見せる。
「地脈が“収縮”してる。
広がったりほつれたりしてるだけじゃない。何かに引かれて、そっちへ寄っていってる感じ」
セイリウスが眉をひそめる。
「何か、とは?」
「わからない……でも、向かうべき方向は、はっきりしてる」
アメリアは地図を開き、震えのもっとも強い方向へ印をつけた。
――それは、森の第四層奥にある小さな洞穴。
昔から「風が死ぬ場所」と呼ばれ、誰も近づかない禁域。
ルシアンが不安げに言う。
「……あそこに入るのか?」
「入らなきゃわからないわ。
潮の忘れ草も、地脈のほつれも、全部あの場所が最初の“発端”かもしれない」
アメリアは観測杭を握りしめ、洞穴へと歩き出した。
洞穴の前に立つと、空気はさらに冷たく、音が吸い込まれたように静かだった。
入口の中は薄暗く、壁には薄く潮の香り――
森のはずなのに、海辺の洞窟のよう。
「……地脈の潮だわ」
アメリアは息を呑む。
セイリウスは杖に触れつつ、洞内の気配を読む。
「生き物の気配はない。だが……何か“呼ばれている”ような感じがする」
ルシアンが小声で問う。
「アメリア、本当に入るのか?」
「ええ。だって――」
アメリアは洞穴から感じる、ごく微かな揺れに耳を澄ました。
「“ここよ”って言われている気がするの。
森が、助けを求めてる」
彼女の言葉に二人は静かに頷いた。
そして三人は、息を揃えて洞穴の中へ足を踏み入れた。
中は狭く、湿った岩壁が続く。
深く進むごとに、潮の香りが強まる。
そして――
アメリアは足を止めた。
「……見て」
洞穴の奥、岩壁の割れ目。
そこから淡い光がじわりと漏れ出していた。
青白い光。
だが“潮の忘れ草”の光とは違う。
もっと深く、もっと重い。
アメリアは静かに手を伸ばし、割れ目の近くの土を調べる。
「……地脈が、ここに集まってる。
流れが一本に吸い寄せられて……これは――」
言葉を続けようとした、その瞬間。
足元の地面が、わずかに震えた。
ルシアンが即座に剣を構える。
「来るぞ……!」
セイリウスも魔力を展開し、洞穴の空気が張り詰める。
アメリアは、揺れの中心を見つめ、息を飲んだ。
「これは……“呼び声”じゃない」
彼女の声は震えていた。
「地脈そのものが“動こうとしている”のよ――!」
洞穴の奥から、光が大きく脈打った。
森の異変は、ただの予兆ではなかった。
本当の“始まり”が、今まさに動き出そうとしていた。




