第55話 「揺れる森、沈黙の理由」
翌朝、アメリアは森の入口に立っていた。
昨日子どもたちが拾ってきた銀色の種殻。その出どころを確かめるためだ。
森はまだ朝靄に包まれていて、葉が濡れた音を静かに響かせている。
だが、どこかいつもと違った。
“風が、言葉を失っている”
そんな奇妙な静けさ。
ルシアンが木々の間を覗き込みながら呟いた。
「鳥の声が……少ないな。普段ならもっと騒がしい時間なのに」
セイリウスも周囲を慎重に見渡す。
「森が変化を警戒しているとき、鳥は先に気づく。これは……ただの偶然ではないだろう」
アメリアは頷き、森の奥へ歩き出した。
森の第二層に差し掛かったとき、異変は一気に視界へ姿を現した。
――地面の色が違う。
陽を浴びて湿った土の黒ではなく、ところどころ淡い白が混じっている。
アメリアは膝をつき、指で触れた。
「……塩」
ルシアンが驚きの声を漏らす。
「こんな内陸で? 潮風だけじゃここまで届かないはずだ」
「風だけが原因とは思えないわ」
アメリアは周辺を観察しながら、小さく息を吐く。
そこに、低い茂みの陰からひょいと顔を出す影。
森の見張り番である老ハンター、テオだった。
「やっと来たか、アメリア」
彼は皺だらけの手で白い土をすくい上げる。
「これは“流れ塩”だ。昔、海に近い森ではたまに見た。大地の奥を通って運ばれてくる、気候の歪みの前触れだ」
アメリアは視線を上げる。
「……つまり、森の地下で何かが起きている?」
テオはゆっくりと頷く。
「地脈が動いている。潮の忘れ草が内陸に現れたのも、これと関係しているだろう」
セイリウスがわずかに目を細めた。
「地脈の変動……それは王都でも重大事だ。報告すべきかもしれないな」
だが、テオは静かに首を振った。
「報告はするが、急ぎではない。異変はまだ浅い。だが――」
彼は森の奥へ視線を向ける。
「この先で、何かが森の呼吸を止めている。お前さんたちは、それを確かめに来たんだろ?」
森の第三層は、まるで違う世界だった。
風が通っていない。
葉の揺れすらない。
アメリアは足元の草を見て気づく。
「……湿気が、消えてる」
ルシアンが地温計を確認する。
「地面が少し冷えてるな。これは……地下水が引いてる?」
理由を探ろうとさらに進むと、ぽっかりと開けた小さな窪地にたどり着く。
そこに――“潮の忘れ草”の小さな束が、静かに咲いていた。
だが、その周囲の土は乾き、まるで草だけが“生きている一点”のようだった。
アメリアは慎重に近づく。
葉を揺らす風もなく、草は不自然なほど静かで、ただ光を浴びて輝いている。
「……この場所だけ、呼吸しているみたい」
セイリウスが呟く。
「地脈の上……いや、裂け目かもしれない。潮が通る細い道が開いている」
アメリアは草の根元を調べ、そして気づく。
「……この草、増えていない」
ルシアンが驚く。
「え? あれだけ群生の兆しがあるって言われてたのに?」
「根は深いけれど、横に広がる気配がない。
まるで、ここを“拠点”にして周囲を探っているような……そんな感じがする」
風が吹かない森の奥で、潮の忘れ草だけがじっと息を潜めている。
その姿は、美しくもあり、異様でもあった。
アメリアは立ち上がる。
「――放置はできない。だけど、即座に排除するような草じゃない。
この根元……“何か”を伝えている。地脈から来る変化を、見逃さず拾っている」
セイリウスは腕を組む。
「となると、守りも必要だが、観察も必要……難しい立ち位置だな」
「ええ。でも、見極める価値はあるわ」
アメリアは草を包む小さな光に手を伸ばし、その場の空気の重さを確かめるように深く息を吸った。
「――ここから始まるわ。
植物だけじゃなく、土地そのものの声を聞く仕事が」
森はまだ沈黙していたが、その静けさの下で確かに、ゆっくりと、何かが動いていた。
薬草園に戻った頃には、太陽は山の端に沈みかけていた。
アメリアはすぐに地図の上へ印をつける。
潮の忘れ草の“拠点”。
地脈の歪み。
森の沈黙。
「……全部つながってる。きっと、これからもっと大きな波がくる」
その言葉を聞いたルシアンは、少し不安げに尋ねた。
「アメリア、明日はどうする?」
彼女は迷いなく答えた。
「森と、地脈と、風の三つを調べる。
潮の忘れ草は、その案内人なのかもしれない。なら――一緒に歩いてみないと」
彼女の声には、不思議な確信があった。
そしてその確信は、後に大きな決断へとつながっていくことになるのだった。




