第47話 「市場試験――籠の中の真実」
秋の空が低く、畝の列は黄金に揺れていた。収穫の季節が近づき、薬草園は人の出入りが一段と増している。拠点の拡張によって新調された乾燥棚は忙しなく稼働し、若いコーディネーターたちは交代で品質検査と梱包を行っていた。
その朝、王都からの公用馬車が到着し、薬草園に新たな依頼が届いた。王都の公設市場で「試験販売」を行い、一般消費者の反応を測定してほしいという。これは商会と学術院、拠点側が合意した拡張プロセスの一環であり、需要の実地確認という意味合いがあった。アメリアは書状を受け取り、控えめに頷いた。
「現場の声を、直接見てもらう良い機会ね」彼女は短く言った。だが内心には警戒もある。市場は利潤と噂が奔る場所だ。品質と倫理の境界線があいまいになりやすい。
ルシアンは帳簿をまとめながら付け加えた。「我々は品質の追跡可能性を担保している。だが、消費者の目は直接的だ。見せ方も重要になる」
セイリウスは法的文書を整え、販売に関わる契約書の体裁を確認する。公的な監査枠があるとはいえ、現場側の裁量を守るための文言を再確認するのが彼の役目だ。
当日、王都の市場は人であふれていた。露店と行商人、試食の声、角笛の合図。薬草園のブースは学術院の公式バッジと、拠点の手作り看板を揃えて控えめに据えられている。箱にはトレーサビリティのタグが一つ一つ付けられ、ラベルには「辺境産・拠点選別済」と明記されていた。
初めに客の目を引いたのは――若手コーディネーターのエレンだ。彼女は落ち着いて試飲と簡易検査のデモを行い、作り方と使用上の注意を丁寧に説明する。人々は興味を持ち、行列ができる。好意的な反応が徐々に増え、アメリアはほっと胸をなで下ろした。
ところがその午後、別の一角で波紋が広がった。大きな店を構える老舗薬局から、派手な商人一行が近づいてきたのだ。彼らは高級な包みと飾りを手に、薬草園のブースを覗き込む。先頭の商人は、名をソラールという。都会で名を馳せる卸商で、王都では商品の顔つけに長けている。
「おや、これは興味深い。辺境産か。だがもっと『高級感』が必要だろう?」ソラールは笑いながら言い、手早く自分の名刺と見本の袋を差し出す。「我が店で売り出せば、三倍の値段でさばける。包装とラベルは任せてほしい」
その提案は市場の一部には歓迎された。付加価値をつけることで利益を最大化できるという論理は、即物的だが説得力がある。だがアメリアの顔が固まる。包装や流通の変更は、原料の生産管理と利益配分に直接関わる。しかもソラールは、流通に関する独自の条件を提示してきた。条件書には「価格の一部は当社に帰属する」と明記されている。
「我々はすでに共同ガバナンスで販売ルートを決めると合意しています」セイリウスが冷静に応じる。「単独での価格設定や権利譲渡は受け入れられません」
ソラールは表情を崩さず、軽く肩をすくめた。「わかる。だが、消費者心理はそのように動く。商品を汚さないで売る方法は幾らでもある。あなた方が望むなら、我々がその手を貸そう」
議論が公共の場で行われるのはまずいと判断したアメリアは、穏やかに提案する。
「外部の協力は否定しません。ただし、パッケージデザインや販売戦略の変更は、代表会議を含めた共同決定の下で行います。独占的な扱いは認められません。品質と生産者の顔が見える形で売ることが最低条件です」
ソラールは一瞬だけ目を細めた。その目に計算が走るのが見える。だが市場の注目が集まる中、彼も強引に押し切ることはできない。折衝は長引く予感がした。
話が膠着する中、エレンがひとつの行動に出た。彼女は客の一団を前に、簡易な比較デモを始める。赤潮・青潮混合のハーブティーと、既製の高価格ブレンドとの差を、成分表示と香り、湯の色の変化で示した。さらに、トレーサビリティタグを読み上げ、生産者の名と出荷日、生育条件を一つずつ見せる。
「どちらを選びますか?」エレンは問いかけるように笑う。客の顔が真剣になる。そこには「高級さ」対「透明性」という古くて新しい選択が生まれる。
ソラールはその場の雰囲気を読んで、ひとまず話を下げたが、引き下がるふりをして他の薬局関係者を引き連れて去ろうとした。アメリアは彼に最後に言葉をかける。
「もし共にやるなら、全てを見せる場でやりましょう。隠し事がない状態で価格と分配の根拠を示して下さい。私たちはそれが公正だと信じています」
市場の日は暮れていき、夜の灯が露店を染める。結果的にその日の売上は静かな成功を収めた。消費者の数は多く、評判はSNSのような噂の輪となって都中に広がり始めている。だがアメリアの心には針のようなものが残った――いつでも外圧は付け入る隙を探している。
数日後、正式な要請が来た。ソラール側から、共同での販売テストの提案だ。ただし前提として「高級ラインのサンプルを三週間以内に提示すること」を求めている。代表会議での審議の末、アメリアたちは条件を飲むことにしたが、重要な条項を加えた。
第一に、ラベルに生産者全員の名前と拠点名を記載すること。第二に、高級ラインと一般ラインでの利益配分スキームを透明化し、第三者監査を入れること。第三に、もし外商が独占や不公正取引を行った場合は共同会議の決定で即時販売停止を行えること。
ソラールは条件を呑み、試験は開始された。だがその裏で、アメリアとチームは準備に追われる。パッケージデザインの試作、価格シミュレーション、生産量の調整。学術院は成分の安定化データを改めて提示し、拠点は生産スケジュールを固める。
試験の結果は──善戦と言えるものだった。高級ラインは都市の一部層に受け、一般ラインは地元市場で堅調に売れた。何より大きかったのは、消費者がトレーサビリティを目にし、生産者の顔を知ることに価値を見出した点だ。高級化は利益をもたらしたが、それ以上に「誰が作ったか」が商品価値の中心になっていった。
最後に、ソラールが代表会議に立ち、静かに言った。
「高級ラインの利益は確かに大きい。しかし、私が驚いたのは、皆さんの透明性と生産者の誇りが、消費者の支持を生んだことだ。私はこれまで、商品を磨くのは見せ方だと思っていた。だがここでは中身が先に来る。私たちはそこを学びました」
場内に短い静寂が流れ、代表たちは互いに顔を見合わせる。アメリアは淡く笑い、ルシアンとセイリウスに目で合図を送った。外圧は依然として油断ならないが、今回の市場試験は一つの道筋を示した。透明性と現場の尊重が、利益と共存する可能性を持つことを。
夜、薬草園に戻った一行は、疲れたが満ち足りた面持ちで丘の上に立った。市の光が遠くにきらめき、風は冷たくなってきた。アメリアは手帳に一行だけ書き記す。
「真実を籠に入れて売るのなら、籠の扉は常に開けておくこと」
箱の中の薬草は、誰かの夜を照らす道具であり続ける。それを守るのは、売る側と買う側の、互いの信頼だと彼女は改めて思うのだった。




