表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境伯令嬢は薬草園でまったりスローライフ ~追放?破滅?いいえ、今日もハーブティーが美味しいです~  作者: 和三盆


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/83

第44話 「春の巡礼――届いた声」

朝霧が丘を払うころ、薬草園は静かな光に満ちていた。嵐を越えた後の土は柔らかく、蒼炎草の葉先には小さな露が連なる。人々の動きは落ち着きを取り戻し、農具の音がいつものリズムを刻む。だが、園の空気には以前とは違う確かな余韻があった──王都へと送られた初陣のロットが、確かに誰かの手に渡り、誰かの夜を変えたという報が届いたからだ。


午前、共同委員会の小さな広間に手紙が置かれた。封は二重、筆跡は整い、王都の中央病院の印が押されている。アメリアがそれを開くと、紙の中には淡々とした言葉と、しかし読む者の胸を震わせる一節があった。


「貴地の薬を使用した患者のうち、重篤と見做されていた五名が、三日以内に顕著な回復を示しました。医師一同、深く感謝申し上げます」


短い報告の末尾には、病院の若き医師からの付箋が添えられていた。そこには個別の患者の回復経過が手書きで綴られ、最後に一行——「一人の老婦人が、孫の手を握って笑ったのです」と記されている。アメリアはその行を二度読みし、目頭が熱くなった。


「届けた意味があったのね」ルシアンが静かに言う。彼の瞳は乾いた笑みを湛えている。セイリウスは書類を丁寧にファイルに戻し、次の公式手続きのための準備を始めた。だが三人とも、その場で小さく頷き合うだけで言葉は重ねなかった。胸の中の重みは、言葉を越える。


午前の仕事を終えた後、村にはささやかな祝祭の準備が始まった。薬草園の成功を村全員で祝うというよりも、治った人々への感謝祭に近い。用意されたのは焼き菓子やハーブティー、そして村の子どもたちの即席演奏だ。アメリアは招かれた来客一人一人に挨拶をし、収穫の手伝いをした者たちへ感謝の印として小さな包みを渡した。中身は新しく試作した保湿軟膏の小瓶で、村で働く手の傷を守るためのものだ。


その日の陽が傾きかけた頃、丘の遊歩道にいつもとは違う足音が聞こえた。砂埃を上げて歩くのは、年配の巡礼者の一団だ。長い旅の疲労と、旅先での小さな物々交換を誇らしげに語る者たち。先頭には杖を突く老僧がおり、その着物の袖には遠方の寺院の印がついている。領内の巡礼路の途中、薬草園の香りに誘われて立ち寄ったのだという。


「遠方より聞き及び、巡礼の途中で少し休ませていただきたく」老僧が穏やかに告げる。彼の声には旅の寒暖が含まれていた。アメリアはすぐに応じ、村の公用の小屋を宿所として用意した。村人たちは自分たちの収穫の一部を持ち寄り、簡素だがあたたかいもてなしを整える。


その夜、老僧はキャンドルの灯りの下で、薬草園の活動に深い関心を示した。彼は長年を巡礼と奉仕に捧げ、各地の薬草や治癒習俗を見てきたという。アメリアは彼の話を黙って聞き、古い処方や土地ごとの習慣が、いかに人々の暮らしを支えてきたかを知る。老僧はやがて小さな包みを取り出した。それは古い羅漢草の乾燥片で、村のどこでも手に入らない珍しいものだった。


「昔、飢饉の折にこの草が傷を癒したと伝えられておる。今の世でそのまま使えぬかと、旅路で思い出し持ち歩いておった」老僧の眼差しは真摯だ。アメリアは包みを受け取り、慎重に鼻を近づけた。草の香りは乾いた甘みがあり、彼女の頭にいくつもの処方の断片が浮かぶ。


「ありがとう。すぐに成分を調べ、安全が確認できれば、試作品に加えさせてください」アメリアの言葉に老僧は深く頷いた。人の縁とは、こうして思いがけぬ場所で回るのだと、アメリアは思った。


翌朝、学術院と遠方の拠点との連絡で、新たな依頼が入る。治療の必要がある村が一つ、周辺山脈の集落で発生しているという。そこは今まで支援が手薄だった地域で、交通の便が悪く医療資源の確保が困難な場所だ。王都の支援枠を通じて緊急小隊を派遣する計画が立ち上がり、薬草園は拠点として現地支援の一端を担うよう要請を受ける。アメリアは地図に指を当て、深く息を吸った。


「行きましょう」彼女は短く言い、チームの顔を見回す。ルシアンもセイリウスも、迷いなく頷く。準備は迅速に進んだ。薬草園は応急薬とともに、簡易診療テント、乾燥機のミニセット、そして研修用の小冊子をまとめる。村の若者たちも作業に加わり、短時間で出立体制が整う。


出発前、老僧がアメリアに言葉を掛けた。


「お前のような者がいるから、人は救われる。だが、道は長い。焦らず、そして心を尽くせ」老僧の目は穏やかだが、どこか諭すような強さがある。アメリアは小さく笑い、頭を下げた。


山道を進む道中、車の列の窓から見える景色は徐々に変わる。畑は小さくなり、家々は点々と離れ、森は深くなる。到着した集落は想像よりも小さく、住民は老若男女が混じっている。そこに蔓延する不調は、多くが長引く風邪や栄養不良に起因する二次感染だ。医療物資と知識の不足が、症状を複雑にしていた。


診療は手際よく始まった。マリーは傷の手当、若い研修生たちは問診と記録、ルシアンは簡易検査を回し、セイリウスは現地の代表と必要な補助資金や運用上の取り決めを詰める。アメリアは薬草の組み合わせを現地の食材と合わせて使う方法を説明し、やがて老僧が持ってきた羅漢草の微量抽出を行って実地で試した。


初回の適用は慎重に行われた。副作用のモニタリングが厳しく設定され、患者の反応は綿密に記録される。数時間後、重篤と見做されていた者の一人が穏やかな表情で目を開いた。小さな呼吸の安定が、周囲の人々に希望を与える。村の代表の目に涙が光るのを、アメリアは見逃さなかった。


活動を終え、集落の広場で簡単な会合が開かれた。住民は感謝の言葉を述べ、今後の継続支援を求めた。アメリアは即座に学術院と連絡し、定期的な往診と拠点からの物資供給のルート確保を要請することを約束した。彼女の言葉は冷静だが、どこか揺るがない信頼を宿している。


帰路、夕陽が山並みを朱く染めると、車内は静かだった。誰もが疲労を感じつつも、心地よい達成感を抱いている。アメリアは窓の外を見つめながら、自分が抱える責任の重さを改めて感じた。しかし同時に、今日触れた笑顔、救われた声、寄せられた感謝は、何よりも大切な証拠でもあった。


薬草園に戻ると、村の真ん中で小さな会合が開かれていた。子どもたちが手作りの花輪を作っており、それをアメリアたちへと差し出す。人々の笑顔はいつもより和らいで見えた。アメリアはその輪の中心で深く頭を下げ、やがて小さく呟く。


「まだ道は続く。だけど、今日の一つひとつが、次の種になる」


夜、丘の上で三人は静かに星を見上げた。風がやわらかく、遠くの村の灯りがゆらめく。蒼炎草の苗は月光を受け、銀色の波紋のように揺れた。アメリアの胸には新たな決意が満ちている。届けること、教えること、守ること——それらをこれからも繰り返していく覚悟。


静かな夜に、薬草園の香りが柔らかく広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ