第39話 赤潮苔の試作――はじまりの混合処方
フィウナ港の研究室は、朝から潮の香りが入り込んでいた。窓の外では、海面が淡く光り、漁船の帆がゆっくりと風に揺れている。
アメリアは白い作業着の袖を整え、机の上に置かれたガラス瓶へ視線を落とした。
瓶の中には、昨日ようやく持ち帰ることができた海藻――“赤潮苔”。
乾燥させる前のそれは、ほんのり赤くて、光に透かすと宝石のようにきらりと輝いた。
「本当に……きれいね。これが薬になるなんて、まだ信じられないくらい」
アメリアがつぶやくと、横でルシアンが鼻をくすぐるような笑みを浮かべた。
「見た目に騙されちゃだめだよ。こいつ、抽出がめちゃくちゃ難しい。温度が少しでも外れると、効果成分が壊れるんだ」
「だからこそやりがいがあるんじゃないか」
セイリウスが書類を整えながら言う。
「今回は試験扱いだ。外商側も組合側も結果には注視している。安定した処方を作れれば、大きな前進になる」
三人の視線が同時に赤潮苔に向く。
空気がピンと張り詰めた。
アメリアは深呼吸し、手袋をつけると、乾燥機へ赤潮苔をそっと並べた。
その動作は、まるで繊細な花を扱うようにゆっくりで優しい。
「まずは予備乾燥。水分を飛ばしきったら、実験開始よ」
乾燥機の扉が閉まると、海のざらりとした匂いが少し薄れ、研究室がぴたりと静かになる。
──数時間後。
乾燥を終えた赤潮苔は、薄いルビー色の粉末になっていた。
アメリアは手順通り、小型の壺に薬草と混ぜ合わせる。
「この配分で、本当に安定するの?」
ルシアンが不安そうに覗き込む。
「うん。赤潮苔の特性を生かすなら、薬草を“受け皿”として使う必要があるの。相性は悪くないはずよ」
アメリアの手は迷いがない。
現代日本で培った技術が、彼女の動作にしっかり染み込んでいた。
混ざりあった粉末に湯を垂らす。
ゆっくりと色が変わり……
淡い桃色の液体が、まるで朝焼けの海のように広がった。
「すご……」
ルシアンが息を呑む。
セイリウスも目を細めた。
だが、美しさは薬効を保証しない。
アメリアは滴下したサンプルの変化を観察する。
温度、粘度、沈殿の有無――ひとつひとつ慎重に確認していく。
その時だった。
液体がふっと揺れ、底から小さな光が立ち上がった。
「……え?」
思わず身を乗り出すアメリア。
「なんだ、今の光」
ルシアンの目も丸くなる。
セイリウスが即座に防護障壁を展開した。「反応だ!」
光は一瞬で消えてしまう。
しかしアメリアはすぐに気づいた。
これは……予想していなかった変化だ。
「赤潮苔の成分が、薬草と結合した……? だけど、こういう反応は文献になかったわ」
「不安定化か?」
セイリウスが険しい顔で問う。
アメリアはしばらく液体を見つめ、ゆっくりと首を振った。
「違う……これはむしろ“活性化”の反応。ちゃんと調整すれば、使えるはず。だけど、このままだと危険ね。安定化のために追加の媒介剤が必要だわ」
「追加って……何を?」
アメリアは小さく笑った。
「港で採れる、あの“青潮苔”。きっと相性がいいはず」
二人が驚いた顔を向ける。
「まさか……昨日ちょっと見ただけのアレ? まだ性質も半分くらいしか分かってないのに?」
「でも、この反応はあれじゃなきゃ説明できないの」
アメリアの声は静かだが、どこかワクワクしていた。
未知の領域に踏み出す科学者の光が、彼女の瞳にきらめいていた。
「じゃあ、明日には青潮苔を採取に行かないとね」
ルシアンがにやりと笑う。
「あぁ……ただし護衛を増やす。海域はまだ調査が不十分だ」
セイリウスが慎重に付け加える。
アメリアは頷き、桃色に揺れるサンプルをそっと見つめた。
それは、港と辺境をつなぐ“はじまりの処方”。
この小さな光は、その未来を照らす最初の火だった。
「きっと、うまくいく。ううん――絶対に成功させるわ」
窓の外では、夕陽が水面に溶けていく。
新しい潮流が、静かに動き始めていた。




