第37話 「港の交渉――海藻と潮風の知恵」
海風は、山の空気とはまるで違う。
湿りと香りが混ざって、どこか懐かしいようで、しかし誰にとっても新鮮な匂いだった。
山裾の拠点づくりを順調に進めたアメリアたちは、次の課題──
沿岸地方での新素材調達と、交易ルートの整備
──に取りかかるため、カプラ船長の案内で港町フィウナに向かっていた。
道中、アメリアは馬車の窓から海をのぞきこむ。潮風に髪が揺れる。
「……海って、青だけじゃないんですね」
ルシアンが笑いながら答える。
「天気、時間、潮の満ち引き……条件が変わるたびに色が変わるんだ。意外と気まぐれなんだよ、海は」
こんな他愛のない会話でさえ、旅先では輝いて見える。
“新しい素材があるかもしれない”
“新しい仲間ができるかもしれない”
そんな期待が、景色を明るくするからだ。
到着したフィウナ港は、想像以上に活気に満ちていた。
・潮干し魚の匂い
・干し藻を運ぶ少年たちの声
・商人たちの値段交渉
・港の鐘の音
どれもこれも、辺境とはまるで違う。
カプラ船長が前に立ち、アメリアたちを案内する。
「さあ、ついてきて。港で“誰に会うか”は、私が全部決めてあるよ」
頼もしい背中だった。
彼女が連れてきたのは──
海藻加工ギルドの長、ゲオルーク。
大柄で、声もでかい。くせ毛の赤茶色の髪を後ろで束ねている。
「おう。あんたが薬草園の嬢ちゃんか。噂は聞いとる」
いきなりである。しかし声の迫力とは裏腹に、目は優しかった。
アメリアは丁寧に頭を下げる。
「お時間をいただきありがとうございます。私たちは“海藻由来の薬材”について、お話を伺いたくて──」
ゲオルークは腕を組み、どっしりと座り、「よし、見せたろ」と立ち上がる。
案内されたのは、港の奥にある温風乾燥庫。
中には大量の藻──緑、黒、赤、細いものから太いものまで──が干されていた。
「この“赤潮苔”、使えそうだな……」
と言ったのはルシアンだ。
アメリアも手に取る。
肉厚で、乾燥すると淡い赤。
触れただけで、ほんのり温かい。
(……この“保温性”、薬材にできる)
彼女は瞬時に判断する。
「ゲオルークさん、これを薬草と混ぜて使うと、成分をゆっくり浸透させられるかもしれません」
すると、ゲオルークが目を丸くした。
「ほう……そんな使い道が? こいつぁ魚の出汁ぐらいにしかならんと思っとったが」
「薬草の世界では、“温度の持続”はとても大事なんです」
アメリアは丁寧に説明する。
ルシアンも補足する。
「乾燥法を調整すれば、薬効の調整もできる可能性が高いですね」
セイリウスは静かにメモを取る。
ゲオルークはガッハッハと笑った。
「おもしれぇ! こういう話ができる奴は好きだ!
よし、あんたら、海藻の加工工程まで全部見てけ!」
こうして交渉の第一段階は、思いのほか順調に進んだ。
だが──
順調なのは最初だけだった。
加工ギルドと港の商業組合の間には、長年の“面倒な力関係”があったのだ。
海藻加工の売買権は、商業組合がほぼ独占。
新しい用途(=薬材)となれば、利益は莫大。
そのため、アメリアたちと加工ギルドが近づくのを、組合が警戒していた。
その日の夕方、商業組合の使者がアメリアの宿を訪ねてきた。
「港の流通は我々が管理している。薬草園とギルドが勝手な取引をすることは許可できない」
穏やかだが、含むもののある声だった。
アメリアは、まっすぐに相手を見た。
「私たちは“地域の素材を活かし、人々の暮らしを楽にするため”に来ました。
争いごとを起こすつもりはありません。
しかし、経済の仕組みが理由で必要な薬が作れない……それは避けたいのです」
使者は少しだけ目を細める。
(……聞く耳は、ある)
アメリアは続けた。
「あなた方が望むなら、利益配分や許可料の相談にも応じます。
ただ、現場の声を無視した“独占”は、長続きしないはずです」
ルシアンは冷静にデータを示し、
セイリウスは法的な裏付けと、王都の制度との接点を説明した。
“押し付けず、しかし引かない”
アメリアたちの交渉姿勢は、使者の警戒をほんの少し溶かした。
使者は最後に言った。
「……組合長があなた方に会いたがっている。明日、正午に来ていただきたい」
その夜、三人とカプラは港の桟橋に座り、海の月を見ていた。
潮騒が穏やかに寄せては返す。
カプラが言う。
「港ってのはさ、海よりも人間の波のほうが荒いんだよ。今日はうまくいったほうさ」
アメリアは、海藻を手でそっと撫でた。
「でも……行ける気がします。
きっとここには、この土地にしかない“答え”がある」
ルシアンが微笑む。
「君がそう言うと、だいたい成功するんだよな」
セイリウスも静かに頷く。
「交渉は半分終わりました。あとは明日、組合長に会うだけです」
月の光が、海に揺れていた。
潮風と薬草の知識が出会うとき──
新しい道が生まれる。
アメリアは、未来を見つめていた。




