第34話 「種を継ぐ者たち――新たな広がり」
夏の光が穏やかに丘を洗うころ、薬草園は以前にも増して人の行き交う場所になっていた。辺境の小道に、遠方からの荷車や馬が立ち寄り、見慣れない顔が畝の間を歩く。学術院との合意による研修制度が本格稼働し、若い研修生たちが次々と到着したのだ。
「緊張しますね、初めての実地研修で……」
帽子のつばを掴んで照れ笑いをするのは、内陸の公立病院から来た看護師志望の女性、カヤ。診療と薬草の融合を学びたいという。彼女の隣で機器ケースを抱えるのは、北から来た青年エラズ。彼は乾燥技術の改良アイデアを持ち込むという。
アメリアは朝の点呼のように広場に立ち、到着した研修生たちを一人一人見渡した。研修プログラムはただ栽培と抽出の手順を覚えるだけではない。現場での倫理、トレーサビリティの大切さ、地域共同体との対話を学ぶ時間も含まれている。彼女は穏やかに、しかしはっきりと伝えた。
「ここで学ぶことは技術だけではありません。あなたたちが誰のために薬を届けるのか、現場の人々の声をどう尊重するか——そういうことを忘れないでください」
一人一人の顔が真剣になる。アメリアはその中に、自分が薬草園を始めた頃の気持ちを重ねていた。
プログラムは三段構成だ。最初は畝仕事と土壌の感覚を体で覚える「畑の時間」。次に乾燥・抽出・検査を学ぶ「工房の時間」。最後に地域を回って住民と対話し、配分計画を立てる「現場の時間」。カヤは患者の話を聞きながら薬草の使いどころを学び、エラズは古い乾燥ラックにもう一つの風路を設ける改良を試み、トゥールは若い研修生への実地指導役として頼もしくなっていた。
ある朝、研修生の一人が畝で声を上げる。蒼炎草の一部の苗が日照斑点で葉の色が抜け始めている。気候は安定しているはずだが、局地的な変化が起きているらしい。アメリアはすぐに現場を見に行き、ルシアンとともに土壌や微気候のデータを取った。
「この辺り、地下水位が少し上がっている。最近整備した排水溝が塞がっているかもしれないわ」アメリアが答えると、エラズは素早く道具を用意した。研修生たちも率先して排水の改善に取り組む。作業は地味で手間がかかるが、彼らの顔には誇りがあった。学ぶことは、ただ知識を得ることだけでない。土地に手を入れ、守る責任を体で覚える時間でもある。
数日後、蒼炎草は新しい葉色を取り戻した。小さな成功が、研修生たちの自信となる。アメリアは夕陽の下で笑いながら言った。
「種を蒔くのは簡単。でも種を守り、育て、次の人に渡すのが本当に難しい。皆さんはその一部になってくれた」
並行して、学術院は地方に小さな「拠点ラボ」を三か所設置するプロジェクトを進めていた。辺境で培った手法をそのまま移植するのではなく、気候や社会構造に合わせた「地域別適応プラン」を作る。第一号の拠点が開かれるのは北の小侯領。そこに送られる先遣隊には、アメリアの教えを受けた研修生の何人かが含まれている。
出発の日、薬草園は賑やかだ。村人たちが見送りに来て、手作りの布で作った小さな護符を手渡す。学術院から派遣された監査役が厳かな顔で送り出し、セイリウスは研究資料と機器の最終チェックを行う。アメリアは静かに、だが確かな笑顔で一人一人の背中を押した。
「行った先でね、現地の人の声を一番に聞くのよ。技術を押しつけないで、一緒に作っていくこと。それがあなたたちの使命よ」
エラズが振り返り、力強く頷いた。乾燥ラックの図面を胸に抱え、彼らは馬車に乗り込む。
見送りの後、村はしばらく静かになったが、その静けさは次の活動の準備でもあった。薬草園は「拠点ラボ」へと種子と知識を送り、互いにオンラインの台帳で情報を共有する。トレーサビリティのための記録フォーマット、品質判定の手順、教育カリキュラム——それらはすべて、辺境での実戦から磨かれたものだ。
数週間が過ぎ、拠点ラボから最初の報告が届いた。北の侯領では初回の試験栽培に成功し、現地の病院で小規模な臨床試験が始まっているという。報告書には手作りの写真と、地元の婦人会が作った保存容器の工夫が添えられていた。読む者の胸を温かくする、泥臭くも確かな成果だ。
その夜、薬草園に新たな来客がある。都会の雑誌の編集長を名乗る女性が、取材と短期ボランティアの申し込みで訪れたのだ。彼女は記事にするだけでなく、自らの雑誌の営業力で辺境の産物を市場へ繋げたいという。だがアメリアは慎重だ。市場は重要だが、求める姿勢が強引であれば意味がない。
「我々は売るために薬を作るのではなく、必要な人へ届けるために作る」とアメリアははっきり言った。編集長は頷いた。「私も、それを伝えたい。利益は出せるとしても、まずは理念を正しく伝えます」彼女の誠実さは本物だった。規模のある協力は、正直な相手としか進められない。
夏が深まる頃、薬草園の一角に小さな記念碑が建った。そこには、初期に土地を手伝ってくれた村人や、事故で失った患者の名、小さな成功に尽力した者たちの名前が刻まれている。刻印は粗末だが、心からのものだ。アメリアは碑の前に立ち、手を合わせた。
「種を継ぐ者たちへ」と彼女は小さく呟く。研修生や村人、学術院の若手たちがその周りに集まり、静かな時間を共有する。誰もがこの庭で何かを受け取り、また誰かへ渡していく。循環が生まれ、輪は確実に太くなっていく。
夜、丘の上で三人は星を見上げた。王都の喧騒は遠いが、影響は確かに広がっている。ルシアンが小さく笑う。
「ここが始まりだったとは、思いもしなかったな」
「始まりはいつも小さい。でも、小さくても続けることが大切だ」アメリアが応える。セイリウスは遠くを見つめ、静かに語った。
「次は教育者を育てる段階だ。制度が続くかどうかは、技術を伝える“人”が育つかにかかっている」
三人は肩を寄せ合い、夜風に吹かれた。薬草園は今日も息をしている。種は根を張り、若者たちがその土を踏みしめる。未来はまだ遠いかもしれないが、確かにその方向へ動き始めている。
――種を継ぐ者たちの列は、これからもっと増えていく。小さな庭が照らす光は、やがて国のあちこちで見られるだろう。アメリアはその光景を想像し、静かに笑った。
なぜなら、私の胸にはあたたかい確信が満ちているから。




