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辺境伯令嬢は薬草園でまったりスローライフ ~追放?破滅?いいえ、今日もハーブティーが美味しいです~  作者: 和三盆


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第30話 「消えそうな火――内部と外部の線」

朝の空気は鉛色の雲に覆われ、遠くの丘は灰色の輪郭を落としていた。薬草園の葉先に残る露が、重たい空の光を小さく反射する。ここ数日の騒動が村の暮らしを揺らしていることは、誰の目にも明らかだった。けれどアメリアは、いつものように土を踏んで歩いた。するべきことは、まだ山のように残っている。


「昨夜、頂いた紙片を分析しました」

ルシアンは手早く手帳を開き、解析結果を読み上げる。紙の繊維組成、インクの微量成分、文字の筆跡比較――指摘されていた特徴は、侯爵邸で使われていた楷書体の筆跡に極めて似ていた。だがそれは「一致」ではない。偽装の巧妙さを示す痕跡も同時に見つかった。


「つまり、一枚の紙片で侯爵を完全に断罪することはできない。ただ、侯爵邸内で何かが動いた形跡は間違いない」ルシアンの声に、静かな緊張が混じる。


「外部の使節が無実なら、彼らを守る証拠を見つけたい。だが、内部の協力がないと真相は闇に還ってしまう」

セイリウスは窓の外の灰色を見つめながら言った。彼の言葉には疲労と光る決意が同居していた。


アメリアは息を吸った。村の人々の顔が浮かぶ。小さな手を差し伸べた者たちの顔だ。彼女は決して、あの顔を売り物にしたくはなかった。


「今日、私たちは二つの線を同時に追う。外部の使節の動線と、侯爵邸内の送受信記録。ミカエル、あなたの古い伝手で、侯爵の近しい使用人に接触できるか?」アメリアが言うと、ミカエルは小さく頷く。


「できる。だが危険だ。侯爵は影が深い。昔、私はあの屋敷の奥で多くのことを見た。今度は、我々が狭い糸を引く側にならねばならぬ」


ミカエルの顔には、過去の影と覚悟がある。彼の口ぶりは静かだが、彼が動くときには必ず何かが動く。


午前中、学術院から連絡が入った。王室側は、侯爵邸に対する一段の慎重を保つよう指示しているが、内密に「協力的な証言」が出れば王は調査の凍結を解除する可能性があるという。言い換えれば、侯爵邸の“内側からの声”が必要だということだ。


午後、村の古い使い走りだった老女がふたたび訪れた。彼女は侯爵邸で以前、使用人をしていたという。目は虚ろだが、その口はまだ確かな記憶を紡ぐことができた。彼女は震える手で、侯爵の書斎から盗み出したという一枚の便箋を差し出す。


「これは……間違いなく侯爵の筆跡です。けれど、詩のように飾られており、上の者の署名とは微妙に違う。侯爵が自ら書いたのではなく、侯爵の秘書が侯爵の手風を真似していた可能性がある」老女は囁くように言った。彼女は恐れを抱えながらも、なお真実を求める何かを持っている。


アメリアは紙を受け取り、息を殺して文字を読む。そこには短い一節が記されていた——金銭の流れを示す断片的な指示と、ある貿易船団への注意書き。読むほどに、アメリアの胸に不穏な輪郭が広がっていく。


「侯爵の秘書、か……」ルシアンがつぶやいた。「もし秘書が偽の筆跡を用い、侯爵の名で指示を出したなら、表の顔と裏の顔の両方を使う巧妙な構図が浮かびます。だがそれなら、誰が秘書を使わせたのか――そこが核心です」


夜、三人は暗闇の中で密議を重ねる。学術院の分析結果、王都からの情報、侯爵邸で集められた断片――それらを地図の上に並べ、可能性の線を結んでいく。地図の上には赤い糸が絡まり、幾つかの名前が濃く書き込まれる。


「我々には時間がない」セイリウスが言った。「外部の使節の評判は、既に王都で揺れている。無実の者が帰国を強制される前に、証拠を突き付けねばならない。だが、我々が先に動けば、侯爵側が抵抗する可能性もある」


「抵抗があれば、表沙汰になる。村や学術院が傷つくかもしれない。それでも、私たちは動かねば」アメリアは静かに答えた。


深夜、ミカエルが小さく笑った。「準備は整えた。だが、私のやり方は昔ながらでな。侯爵の屋敷の古い守衛の一人に心当たりがある。彼はまだ、ある種の良心を持っているはずだ。彼に接触して、侯爵邸内の動きを探らせる」


翌未明、ミカエルは馬にまたがり、暗闇の中へ消えた。残された三人は、息をひそめて朝の到来を待つ。


朝が静かに開けた頃、ミカエルが泥にまみれて戻ってきた。彼の顔は疲れているが、目は確かなものを宿している。


「話を聞いてきた。秘書の一人、名は“ラウル”。侯爵の近辺で評判がよく、筆跡の模写も得意だった。だが、昨日の夜、彼は屋敷を出た。向かった先は学術院の一室だったという」ミカエルの言葉に、アメリアの心臓が跳ねた。


「学術院の一室に? 誰と会ったの?」ルシアンが問い詰めるように言う。


「相手は公には名を挙げられん。だが、屋敷の使用人の話では、秘書は密かに何かを運んでいたらしい。護符袋のようなものを、肩にかけて」ミカエルは吐き出すように言った。


「護符袋? 運搬? 何を運んだんだ」セイリウスの声が硬くなる。


「それが分からない。だが、彼が学術院の研究員と接触していたのは確かだ。もしそれが本当なら、繋がりは学術院の“外郭”を超え、内部に入り込んでいる可能性がある」ミカエルは深く息を吐いた。


その午後、三人は決断した。証拠を積み上げるため、ラウルの現在の居所を突き止め、問いただす——ただし力ずくではなく、記録と証言を集め、法的に意味のある形で告発できるようにする。だが動きは慎重に、誰にも悟られぬように行う必要がある。


ラウルの住処は学術院の裏通りにある小さな宿屋だった。そこを訪ねると、彼は疲れた顔で座っていた。最初は警戒し、口を閉ざそうとする。だがミカエルの静かな説得と、アメリアの真剣な瞳が効を奏する。やがて彼は堰を切ったように話し始めた。


「侯爵の秘書として書類を扱うのは慣れています。だが、あの日、私は侯爵の名で『特別配慮』の指示を受けた。紙は侯爵の印があったが、文面は不自然で、暗号のような符号が混ざっていた。私はそれを学術院へ届けるために動いた。だが、学術院で会った男は、それを見て──驚きながらも小声で『用意は整った』と言った。私はそれが何か分からず、彼を問い詰めようとしたが、強面の男に押し戻されたんです」


ラウルの言葉は震えている。だが、彼は確かに何かを見たと証言した。彼の話は、学術院の内部に「何か」が隠されていることを示唆する。しかもそれは侯爵の使いとして外部から運ばれたものだ。


「学術院の誰がその男だったの?」アメリアは静かに尋ねる。


ラウルは俯く。「顔ははっきりとは言えない。しかし、背格好と声の質から、ある中堅研究員の名が浮かびます。だが、彼は普段から温和で、そんなことをするようには見えない。私は混乱しています」


情報は錯綜するが、点と点がつながり始める。侯爵の秘書が運んだ謎の包み。学術院の部屋での密会。改竄を行った記録。更に、王都側の“影”が時折介入してくる不可解な政治的配慮。全ては一つの図形の輪郭をなしてきた——だが、その中心にいる「名」はいまだ動かない。


夜が来た。三人は小さなランプの下で、集めた証言と紙片を並べる。ラウルの証言が新たな一線を引いたことで、彼らは次の手を計画する必要があると感じた。証拠を物理的に押さえ、外部に出すための安全なルートを確保すること。侯爵邸に直接乗り込むことなく、法的に無謬の形で証拠を提出する方法を講じること。


「これ以上、悠長にしている時間はない」アメリアの声が低く響く。「明朝、我々は学術院の証拠保全室に入り、ラウルの証言に基づく物的証拠を押さえる。王室の監査役と連絡を取り、正式な手続きを取る形で公開する。これが露見すれば、どれほどの反撃が来るか分からない。だが、沈黙は更なる被害を生む」


ルシアンとセイリウスが互いに目を合わせ、静かに頷く。三人の小さな火は、周囲の強風に揺れながらも、消えずに燃え続けていた。


その夜、薬草園の丘の上に立つアメリアは、蒼炎草の苗を見つめ、静かに呟いた。


「たとえ小さな火でも、守り抜く。それが私の仕事だ」


嵐の前の風は、最後に一度強く吹いた。だが三人はもう、引き返すつもりはない。翌朝、学術院の扉を開けるとき、彼らの動きは国の目をさらに引き寄せるだろう——そして、どこかで誰かが、覚悟を決めて動き出すはずだから。

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