第3話 「冷徹王子、辺境で心を溶かす」
「アメリア・フォン・ハーヴェスト嬢。入ってもよいか?」
その声は、記憶の中よりも低く、冷たかった。
扉を開けると、そこに立っていたのは、漆黒の髪と氷のような灰青の瞳を持つ青年――第二王子レオンハルト・フォン・アークライト。
かつて私を公衆の前で婚約破棄した本人だ。
まさか本当に来るなんて。
けれど、私は微笑んだまま一歩前に出る。
「ようこそ、辺境へ。レオンハルト殿下。お疲れでしょう? まずはお茶をどうぞ」
「……お茶?」
「ええ。せっかくですから、辺境の味をお楽しみください」
私は穏やかにカップを差し出す。
淡い金色の液体が光を受けて揺れ、甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
殿下はしばらく無言のままカップを見つめ、やがて静かに口をつけた。
「……これは……?」
「カモミールのハーブティーです。体と心を落ち着ける効能がありますの」
彼は少し目を伏せたまま、再び口をつける。
その仕草は優雅で、けれどどこかぎこちなかった。
「まるで……眠ってしまいそうな香りだな」
「そうでしょう? 疲れた時にぴったりなんです。
辺境の人たちも、これで少しずつ元気になってきました」
その言葉に、レオンハルトの眉がわずかに動いた。
「辺境の者を癒す、か。
……追放されたはずのお前が、なぜそこまで?」
私は小さく笑って肩をすくめた。
「破滅フラグをへし折るため、ですわ」
「……は?」
「いえ、こちらの話です。
私はもう“王都の令嬢”ではありません。
ならばせめて、“誰かの役に立てる生き方”をしたいんです。
それに――この薬草園は、私の夢ですから」
一瞬、レオンハルトの瞳が揺れた。
けれど、すぐにいつもの冷たい表情に戻る。
「夢、か……。そんなもの、この国では贅沢な言葉だ」
「贅沢でも、持つことは自由でしょう? 殿下にも、ありますか? 夢」
沈黙。
風が窓を揺らし、ハーブの香りがふわりと流れた。
彼はゆっくりと視線を落とし、低く呟いた。
「……私の夢は、国を守ることだ。
だが、守るうちに……誰も信じられなくなった。
人の笑顔すら、演技に見えてしまう」
その言葉には、ほんの少しだけ、痛みが滲んでいた。
私はそっとティーカップを見つめた。
「……だからこそ、癒しが必要なんです。
人は、心が枯れたままでは前に進めません。
このお茶は、そういう時に寄り添うためのものなんですよ」
「寄り添う、か……。お前は本当に変わったな、アメリア」
「ふふ、そうかもしれません。
でも“変われた”のは、この土地と、人々と……それに、この薬草たちのおかげです」
レオンハルトはカップを置き、深く息を吐いた。
その表情は、ほんの少しだけ柔らかい。
「辺境の地で、こんな香りを嗅ぐとは思わなかった。
……悪くない」
「ありがとうございます。次はミントティーもいかがです? 頭がすっきりしますよ」
「ふっ……お前に勧められるままに飲んでいたら、私の心まで溶けてしまいそうだ」
一瞬、空気が止まった。
彼自身もその言葉に気づいたのか、すぐに視線を逸らす。
その横顔を見て、私は小さく笑った。
「それなら――もう少し、ここで温まっていってくださいね。
辺境は、意外と居心地がいいんですよ」
外では、夕陽が薬草園を黄金色に染めていた。
彼の肩越しに見えるその景色は、まるで二人の心を包むように優しかった。
そして私は、そっとカップを掲げる。
「ようこそ、辺境の薬草園へ。
ここでは“破滅”よりも、“癒し”が主役なんです」
レオンハルトの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
――それが、氷の王子が初めて見せた“人間の微笑み”だった。




