第23話 「共同の約束――憲章と小さな勝利」
朝焼けが薬草園の葉を金色に染める頃、アメリアは小さな書き物机に向かっていた。窓の外では村人たちが畝を整え、ルシアンは資料を取りに出たり入ったりし、セイリウスは研究小屋の角で細かな計測器に目を落としている。静かな緊張感の中、今日もまた「共同管理憲章」の草案を練る日が始まった。
「これで第三条の文言はどうでしょう。『生産管理は辺境側と学術院による共同委員会が行い、主要決定は常に過半数によって承認する』——もう少し具体的な審議手続きが必要かもしれません」
ルシアンがペン先でノートを叩きながら意見を述べる。彼の書き込みは細やかでわかりやすい。
「“過半数”だけだと、資金側が票を集めた場合に危険です。委員会には村代表、学術院代表、そして独立監査役を入れましょう。さらに、辺境の生産者が拒否した場合は、その案件を再審議に付す」とセイリウスが静かに提案した。
アメリアは二人の意見を受け入れつつ、窓の外にふと視線を落とす。蒼炎草の若苗が朝露をまとい、太陽の光をやわらかく反射していた。彼女の胸に、守るべきものの重さと温かさが同時に満ちる。
「いいわね。こうして具体的に条文に落とし込めば、相手にも誠意が伝わるはず。あと一つ――契約には“撤回条項”を入れましょう。もし相手が一方的に条件を破れば、契約は無効になるという条文をね」
「なるほど。それがあれば、こちらの主導権が守られる」
ルシアンの顔に安堵が差した。三人で最後の調整を終えると、アメリアは深く息を吐いた。
午後、商工会からの代表者が再び薬草園を訪れた。今回は使者一人ではなく、小さな委員会のような面持ちで、先日の一件で提示された新たな条項に対する「回答」を持ってきたのだ。村の集会所には村長、数名の代表、学術院の監査役、そして王室の監査補佐が同席している。重苦しい空気の中で、アメリアは堂々とテーブルに草案を広げた。
「我々の条件は、辺境の人々の生活と薬の倫理的配布を守るためです。共同委員会には必ず村代表を入れ、公開監査を年に四回行うことを求めます」
アメリアの声は冷静だが強かった。相手の代表はしばらく黙って草案を眺め、やがて口を開く。
「正直に申しますと、貴団の提示はこれまで我々が検討していた利益モデルとかなり異なります。だが、ここでの人々の結束と透明性に敬意を払います。――暫定的に、我々は貴団の提案を受け入れ、試験的に三年の共同プロジェクトとして進める用意があります。ただし、初期投資分の回収については段階的な分配を要求します」
場内には一瞬ざわめきが走った。旁々の村人が互いの顔を窺い、学術院の監査役がデータを確認する。セイリウスは冷静に細部を詰め、ルシアンは即座に契約書への注記を求めた。アメリアは相手の「段階的回収」という文言に注意深く聞き入り、自分の心の中で「撤回条項」と「公開監査」を何度も確かめる。
「三年間の試行という条件を受けましょう。ただし、初期投資回収の割合と、公開監査で基準を満たさない場合の自動停止条項を明記することを要求します。それが守られなければ、我々は契約を一方的に撤回します」
相手代表の顔に少しの逡巡が走ったが、やがて彼は苦笑を浮かべて頭を下げた。
「わかりました。条文を詰めて頂ければ、持ち帰り取りまとめます」
薬草園の軒先で、アメリアは深く息を吐いた。村長が目に涙を浮かべながら近づいてきて、彼女の手を握る。
「お前さん、よくやった。資金も入れば、人が楽になる。だが、お前が言った通りにやるんだぞ」
その言葉の重みが、アメリアの肩を押した。
夕方、村の若者たちが小さな祝杯をあげる中で、アメリアとセイリウス、ルシアンは研究小屋で最後の調印作業の準備をしていた。ルシアンは契約書の条文を逐一読み上げ、セイリウスは法的な抜け穴がないかを確認している。外ではマリーとエドゥアルトが乾燥ラックの改良を試み、トゥールは新しい苗床の設計を眺めている。
「今日の一歩は小さく見えるかもしれないけれど、これが大きな違いを生む」
セイリウスが言うと、アメリアは静かに微笑んだ。
「そうね。私たちがこの薬を守るという意志を、公の場で示せたことが重要だった。条件を守らせるためのルールを作れば、ここから先は“実行”の問題よ」
ルシアンが最後にページにペンを置く。
「では、これで準備は整いました。あとは双方の署名を待ちます」
三人は顔を見合わせ、小さく頷いた。外では村の子どもが新しい歌を口ずさんでいる。薬草園に戻る風に、その歌はやわらかく溶けていった。
夜、アメリアは小さな日誌に一行だけ書き残した。
――約束は紙一枚より重い。守るために、私たちは行動する。
明日は、商工会と正式な条文調印の日だ。勝利は確定していない。だが、辺境の人々と学術院、そして王の支援を得て進んだこの一歩は、確かに「小さな勝利」だった。
窓の外、蒼炎草の苗が月光に淡く光る。アメリアはその柔らかな輝きを見つめながら、そっとつぶやいた。
「これでいい。私たちの薬は、誰かの命を守るために在るのだと、みんなに示せばいいのだから」




