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落第治癒師の備忘録

短編です。続編を書こうか悩んでるところ・・・

――クロイツ教会附属治癒師養成学院


 学院の一室……そこに、一人の青年が試験官の前に佇んでいた。

 試験官の男が、溜め息混じりに口を開く。


「アルデルト君……治癒師にとって、傷の治癒が出来ないのは致命的だ。よって、君を次の学年に進級させることは出来ない」


「はい……」

 実質的に落第を言い渡され、肩を落とすアルデルト。

 そこへ追い打ちをかけるように試験官が告げる。


「去年に続き今年も落第となると流石に、この学院に在籍させて良いものか話し合う必要がある」


 試験官の言う様に、私は二年続けて落第を言い渡されている。


 治癒術については学年でも一、二位を争うほどの知識もあるし、自信もある。

 だけど、何度やっても治癒術で傷を治すことが出来ないのだ。


「アルデルト君、聞いているのか?」


「は、はい……すみません」


「明日の朝、学院長の部屋まで来るように、いいかね?」


「はい、分かりました」


 教室を出て、重い足取りで廊下を歩く。

 

 そもそも治癒術とは、傷を治す魔法と言われている。その魔法も、適性がある者にしか扱うことが出来ないため、治癒師自体も数は少ない。

 

 だから、村や街に住む者は十五歳になると、クロイツ教会が行う魔法適正試験を受けるように勧められている。


 あくまでも勧められているだけで、強制ではないんだが、適正があると判定を受けた場合、貴重な人材として学院での寮に入ることが許される。


 もちろん制服や食事も支給されるため、簡単に衣食住が手に入るとあって、ほとんどの者が適正試験を受けている。


「私にも適性があるのに、治癒術が使えないとは……」


 自分にはどうして治癒術が扱えないのか、去年からずっと悩み続けている。

 もちろん、その原因についても自分なりに調べて、仮説も立てているが……何度試しても傷を治すことは出来なかった。


「傷が治る過程を想像して魔力を練り、傷口にその魔力を放出する……私に足りないのはこの想像力なんだが」


 いくら考えても傷が瞬時に治るところが想像出来ない。


「放っておいても自然に治る傷を、どうやって治せって言うんだよ……っと!」


 廊下の角を曲がる瞬間、見知った顔の女性と鉢合わせた。


「あら、アルじゃない。辛気臭い顔してどうしたの?」


「セリナ……丁度いま、落第宣言を受けてきたとこなんだよ」


 彼女はセリナ・クロイツ

 クロイツ教会の次期聖女と言われていて、学院で筆記、実技ともに首位の成績を取り続けている優等生だ。


「また?二年続けて落第なんて、聞いたことないけど……大丈夫なの?」


「いや、流石に大丈夫じゃないみたいでな……明日、学院長室に呼び出されたよ」


「え……それ、退学させられるってこと?」

 彼女は驚いた表情で尋ねる。


「そうかもな……治癒術が使えないんじゃどうしようもないし」


「治癒術、ね……わたしの妹も適正はあるのに、傷が治せなくて学院辞めちゃったのよね」


「妹ってシオンちゃんか?」


「ええ、最初の実技試験であなたと同じように傷の治癒が出来なかったの……だからってすぐに辞めることないのに」


 シオン・クロイツ

 セリナの妹で、姉同様に次期聖女候補とされている彼女が治癒術を使えないとなると……


「シオンちゃんの立場ならそうせざるを得ないんじゃないか?」


「どうしてよ?」

 

「クロイツ教会の縁者が治癒術を使えないとなると、教会の面子に関わるだろ?」


「それは……そう、かも知れないけど」


 理解は出来るが、姉としての気持ちはそうじゃないって感じだな……


「まあ、シオンちゃんも薬草学の知識なんか先輩の私よりも成績が良かったし……そっちの方面で頑張るんじゃないか?」


「確かに薬草学についてはわたしよりも詳しかったけど」


「そうそう、治癒術だけが全部じゃないって」


「アルはもう少し自分の心配をしなさいよ」


「ぐっ……心配してどうにかなるならいいが、とりあえず退学にならないように教会で御祈りでもするか」


「あら、殊勝な心掛けじゃない?それじゃ、あなたに聖女様の導きがあらんことを……ってね」


「次期聖女様の導きはないのか?」


「そんなのあるわけないでしょ?"まだ"聖女じゃないんだから」


「違いない……退学にならなかったら、また宜しくな」


 そう言いながら、アルデルトはセリナに手を振り、学院を後にする。


「……退学にならないように、わたしも祈っているわ」


 クロイツの名を持ち、次期聖女と謳われるセリナ。


 その彼女に対して、特別扱いすることもなく、話かけるアルデルトはセリナにとって数少ない友人と呼べる存在だった。


 妹に続いて、その友人までもが自分から離れてしまうかもしれないと……セリナは不安と寂しさが入り混じった瞳で、アルデルトの背中を見つめていた。

 


 ――クロイツ教会

 アルデルトは学院を出て、街の中心にある教会へと足を運んだ。


 中へ入ると、いつもの静粛な空気とは違い慌ただしい雰囲気を感じた。

 何かあったのか気になり、周りの様子を見渡すと教会の中心に人集りができていた。


「誰か!娘を助けてください!聖女様の御力をお貸しください!お願いします!」


 その人集りの中心には、娘の治癒を必死で頼む母親の姿があった。

 しかし、誰もその娘を治癒する様子が見受けられず、アルデルトは不思議に思い、人集りの中を縫うように進んでいく。

 そして、人集りの最前列へ抜けると神官と母親のやりとりが耳に入る。


「ですから、傷の治癒は出来ても娘さんの毒は治せないのです。街の薬師を頼っていただいたほう……『薬師には診てもらいました!』……が」


「毒が全身に回っていて、薬ではどうにもならないと言われたんです!ですから、もう聖女様の御力に縋るしか……」


 なるほど、薬師では手がつけられないほどの強力な毒に侵されたのか……神官の言う通り、治癒師は傷を治すことは出来ても、毒や病を治すことはできない。

 聖女様と言えど、治癒術では助けられない領分だ……残念だが


 そう思った瞬間、泣き崩れる母親と目が合った。


「あぁ!あなた、その制服は学院の方ですよね!?オルディンを、学院長を呼んで来て!早く……娘を」


「え、いや……」


 急にそんな事を言われても困るのだが、それ以前に娘の容態を考えると、学院まで行って学院長を連れてくる時間など到底無い……

 

 周りを見渡しても、誰もが手遅れだと、手の施しようがないと視線を背けている。

 

 額から冷や汗を流し、今にも止まりそうな呼吸をしている彼女を、助けようと駆け寄る者もいない……

 

 助けを求める人がいるのに、苦しんでいる人が目の前にいるのに、何故誰も助けようとしないのか、そのことに酷く虚しさを感じた。


「……なら、誰が、助ける?」


 治癒術も使えない自分が?

 助けられるわけがない……そんな事は自分が一番分かっている。


 それなのに……


 気が付けば、アルデルトは苦しんでいる娘に駆け寄っていた。


「ちょっと、君!何をしているんだね!?」


 神官の男が驚いて声をあげるが、アルデルトの耳にはもう聞こえていなかった。


 アルデルトは娘の手を取り、魔力を込める。


 何か……出来ることは……


 必死に考え、色んな資料や教材から得た人間の解剖生理学、治療法がないと言われる病の症状など、自分が持っている知識をかき集めた。


「左腕の外側に小さな刺し傷……周囲は赤く腫れ、炎症反応も見られる。毒に対抗するための反応……全身に冷や汗、末梢も暗紫色になってきている、呼吸も弱い」


 症状と知識を照らし合わせて、この娘に何が起きているのかを正確に判断する。


「……敗血症だ!でもどうすれば」


 更に魔力を込めて限界まで集中する……すると、この娘に流している魔力を通して、血液の流れが視認出来るようになっていた。

 それどころか、脳や様々な臓器が可視化出来るようになっている。


「なんだ、これ……いや、そうか!」


 可視化された臓器や血液の流れを診て、どうすれば治せるか想像するアルデルト。


「末梢の虚血、血管が広がりすぎて十分な血流が維持出来てないんだ……血栓は、まだ大丈夫か、それなら」

 全身の拡張した血管を正常な状態に戻るように想像し、魔力を込める


「……出来た!これで血圧は充分だろう。だけど、心拍数を同時に確保しないと……」


 自分の鼓動に合わせて……ドクン、ドクン……


「この間隔と強さを維持させて、肺の機能も、呼吸を深く、正常な状態を意識するんだ」


 アルデルトは心肺蘇生を魔力を通して行うように頭の中で想像し、魔力を流し続けた。


「よし、顔色も末梢の血色も良くなった……あとは、全身に回った、毒素を……うっ!」


 初めて使う魔力操作や尋常ではない集中力を同時に維持する事で、アルデルトにも大量の負荷がかかり意識が飛びそうになる。

 目は充血し、鼻血を流しながらも彼は治癒術をかけつづけた。


「ぐぅ……毒素を取り除くためには、免疫を作り直す?そんな時間は、ない……なら、この娘の、身体に流してる、魔力で、毒素を吸着させて、消滅させる!」


「ぐ!あああぁ!」


 自分の魔力で毒素を取り込んだことで、全身に針が突き刺さるような痛みを感じ、苦しむアルデルト……


「ああ!消えろ!」


 次の瞬間……パァン!と霧散するように魔力が弾けた。


 その場にいる誰もが、何が起きたのか理解出来ずに呆然としていた。

 だが、今にも命の燈が消えようとしていた娘の顔色は良くなり、呼吸も落ち着きを取り戻していた。

 それを見て緊張の糸が切れたアルデルトは、そのまま倒れ込み、消えゆく意識の中小さく呟いた。


「ぁぁ……よか、た」


「君!大丈夫か!おい!誰か、この若者と娘を奥の治癒室まで連れて行ってくれ!」


「ああ、モニカ!」


 母親も娘の名を呼びながら手を握りしめ、その温もりを感じて涙を流していた。



 ――翌朝、クロイツ教会の治癒室


「知らない天井だ……」


 目を覚ましたアルデルトは、ぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。


「外は明るいな、もう朝なのか……はっ!」


 バッと布団から起き上がり、周囲を見渡す。

 一気に頭が冴え、状況を整理する。

 私は、あのまま教会の中で倒れたのか?そして教会の治癒室に運ばれて、気が付けば朝になっていたと。


「まずい……早く学院へ行かないと」


 今日の朝には学院長室に行かなければいけないことを思い出し、焦るアルデルト。急いで寝台から足を下ろしたところで声をかけられた。


「ほほ、学院には行かんでよいぞ。わしならここにおるからな」


 アルデルトは声がした方を見て固まってしまった。


「な、え?学院長!?」


「いかにも……さて、アルデルト君。聞きたい事は山ほどあるんじゃが、まず、体調は問題ないかね?昨日は無茶をしたと聞いておるぞ」


 昨日の事は既に学院長の耳にも入っているのか……まぁ、教会に来てる時点で知らないはずがないか。


「はい、体調の方は問題なさそうです。お気遣い、ありがとうございます」


「なに、君は孫の命の恩人じゃからな……わしの方こそ、感謝しておる。本当に、ありがとう」


「孫……え?昨日、教会に運ばれて来た女の子が!?」


「そうじゃ、薬師にも匙を投げられ、もう手の施しようが無い状況だったと聞いておる」


「はい、誰もあの娘を助けようとしなくて、私は……無我夢中で、治癒術を……」


 そうだ、治癒術を使ったんだ。


「あの、私は……治癒術を使ったん、ですよね?」


「アルデルト君、その事だが……ちと真剣な話をせねばならん」


 学院長の表情から笑顔が消え、雰囲気が変わる。


「君が使った魔法は、治癒術という認識で間違い無いじゃろう。じゃが、治癒術とは傷を治す力であり……身体の中に入った毒素や、それによって引き起こされる症状を治すことなど出来ぬのじゃ」


「それは……」


 そう、私がやったことは治癒術の概念ではあり得ないことだ。

 それは学院で学んでいる誰もが、いや、この世界の人々の共通認識でもある。


「いや、出来ぬはずだった。と言わねばならんの……君は治癒術の新しい可能性を見つけてくれたことになる」


「新しい可能性、ですか」


「そう、治癒術が病を治せるとなれば……わしの孫のように、助けられる命が増えるのじゃ」


 それは、凄いことなんじゃないだろうか。

 治癒術の新しい可能性を広げ、世界の人々の命を救うことができる……


「私にも、誰かを、助けることができる」


「そうじゃ。そこで、わしから君に提案があるのじゃが……学院の特任教授として雇われる気はないかの?」


「特任、教授ですか?」


「左様。治癒術の新たな分野の確立に向けた研究、指導を君に頼みたいのじゃ。無論、給金も出すし、今後の生活も今より充実するじゃろう」


「それは、ありがたい申し出ですが……期待に応える自信は……」


「分かっておる。初めから全てうまくいくとは考えておらんよ……して、わしの頼みは聞き入れてもらえるかの?」


 治癒術の新しい分野の確立……私にできるだろうか?これまで誰もなし得なかった、病の治癒術を世界に広めていくなんてことが……でも


「是非、やらせてください!」


 落第治癒師の私が、世界の人々を病の苦しみから救えるなら、やれるだけ挑戦してみたい。


「そうか、引き受けてくれるか!」


 学院長は瞳を輝かせて笑顔を見せる。


「それでは、さっそく準備をせねばならんの。アルデルト君、今日はゆっくり休んで、明日改めてわしの部屋に来てくれるか?」


「はい、分かりました」


「ほほ、忙しくなるの〜っと、そうじゃ、わしの孫がお礼を言いたいと言っておっての、後で隣の治癒室に寄ってくれぬか?」


「え……私にですか?」


「他に誰がおる。モニカを救ったのはおぬしじゃぞ?」


「何だかまだ実感が湧かないと言うか、あぁ、いえ……後で必ず伺います」


「うむ。では、また明日の」


 学院長は優しく笑みを浮かべながら部屋を出て行った。

 アルデルトは、窓の外を眺めながらオルディン学院長との話を思い返す。


 特任教授として、新しい治癒術の研究をする。そんな大役を私が担うことになるとは……

 

「昨日まで落第治癒師だった私が教授だなんて、大出世じゃないか」

 

 これまで治癒術が使えるように、ひたすら学院の書物を読み漁り、生物学や人体構造に関する書物だって頭に叩き込んだ。

 そこまで努力しても治癒術が使えず、教官からも二年続けて落第を言い渡されて、自分には才能が無いんだと諦めかけていた。


「ようやく……私にも、治癒術が使えた」


 ずっと出口の見つからない迷路の中を彷徨い、手探りで進み続け、ようやく目の前に光が差し込んだんだ……

 アルデルトは窓から差し込む優しい日差しに、手を翳す。


「だけど、まだ傷の治癒が出来たわけじゃない。あの娘の治癒で私がしたことをしっかり考察して検証しないと……あ、その前に様子を見に行こう」


 学院長からも言われたが、あの娘があれからどうなったのか経過も気になるしな。


 簡単に身だしなみを整えて部屋を出る。そして隣の部屋の扉を軽く叩く。


 コンコン……と木を叩く音が響き、中から声が返ってくる。

 

「あ、はい……どうぞ」


 その返事を確認してから、ゆっくりと扉を開く。


「……失礼します」


 部屋の中へ入ると、寝台の端から足を下ろして座っている娘がいた。

 彼女は少し不安そうな顔で話かける。


「あの、どなたですか?」


「あ、えっと……アルデルトと言います。昨日、この教会で君の治癒をした者で、その、様子を見に来たんだ」


 少し怖がらせてしまったか、彼女が教会に来た時には意識もほとんど無かったし、私のことは覚えてないんだろう。


「あ、あなたがアルデルト、さん……あのっ、助けて頂いてありがとう、ございました」


「いや、そんなお礼を言われるようなことじゃ……でも、元気そうで良かった」


「いえ!アルデルトさんがいなかったら、わたしは助からなかったと神官様やお母さんから聞きました。だから、本当にありがとうございます」


「あ……うん、助けることが出来て本当に良かった。そう言えば、君のお母さんはどこに?」


 あれだけ娘を心配していた母親が側にいないのが不思議で、彼女に尋ねた。


「母さんは、神官の方と話があるからって礼拝堂の方にに行ってるんです」


「そうなんだ。あ、そう言えば君は学院長のお孫さんなんだってね」


「はい……申し遅れました。わたしはモニカと言います。去年から学院に通い始めたので、アルデルトさんの後輩でもあります」


「そうなの?いや、学院長のお孫さんなら治癒師の適正があっても不思議じゃないか……」


 カチャッ


 後ろから扉の開く音が聞こえて振り向くと、モニカの母親の姿があった。


「あら、あなたは!目を覚ましたのね、よかった!」


 こちらの顔を見るや否や、アルデルトの両手を掴みブンブンと上下に振り回す。


「は、はい」


 その勢いに戸惑いながらも返事を返すアルデルト。


 なんて言うか、昨日の娘を心配して鬼気迫る感じと違って、明るいと言うか、元気だ。


「そうそう!父とは会えた?え〜と、そう、学院長の」


「え、ええ、会えました。目を覚ました時にいらっしゃっていたので」


「ふふ、お爺ちゃんたら、孫の恩人に大事な話があるんじゃって言って、朝早くにアルデルトさんの部屋に行ってましたから」


「モニカの話を聞いた途端に急に興奮して、部屋を出て行ったからびっくりしちゃったわ。そんなことより、アルデルト君だったわね?娘を助けてくれて、本当にありがとうございました」


 さっきまでの明るい雰囲気から、急に真剣な表情に変わり、深々と頭を下げるモニカの母。


「いやいや、頭を上げてください!私は……無我夢中で治癒術を使っただけなので」


「だとしても、親として娘の命の恩人にお礼は言わせてください。あなたがあの場に居なければ、間違いなく娘は助からなかった……それぐらいのことは私だって理解しているのよ?」


「それは……本当に、運が良かっただけのことで……」


 アルデルトは、そこから言葉に詰まってしまった。そして、モニカの母親がゆっくりと、優しく微笑みながら言葉を投げかける。


「自分のしたことを、そんなに否定しようとしてはダメよ。あなたが使った治癒術がこの子を救ったことは本当のことなんだから……もっと自信を持って、素直に感謝の気持ちを受け取ってちょうだい」


「……ぁ…はい、ありがとう、ござい、ます」


 モニカの母親の言葉に、目の奥から涙が溢れてしまう。


「あらあら、お礼を言っているのは私なのよ?」


 その通りだ……でも、胸の奥から込み上がってくる感情を止めることは出来なかった。


 自分のしたことを自分で認めてやらなくてどうする。


「すみません……お見苦しいところを」


「いいのよ、気にしないで。でも、そうね。あの場であなたに出会えたことは、本当に運が良かったわ」


「ええ、助けられて良かった。でも、どうしてあんなことに?」


「それは、その……薬草学の勉強のために、近くの森へ薬草を採りに行ってたんです」


「薬草採取のためか、それで森の中で毒を持った生き物に襲われたと……まさか一人で行ったのかい?」


 アルデルトの問いに、叱られた子供の様にしゅんとなるモニカ。


「はい、ごめんなさい。前にも行ったことがあったし、薬草を見つけたらすぐ帰るつもりだったんです」


 やれやれ、一年目の子たちはその辺りの危機意識が低いみたいだな……


「森は危険だから一人で行かないよう、学院でも教わっているだろうに」


「はい……反省しています。あんな見たことがない生き物に襲われるなんて、思ってもなかったですし」


「見たことがない?あの森にそんな珍しい生物がいたかな?」


「いえ、なんて言ったらいいでしょうか……生き物同士が混ざり合ったと言うか、不自然な生き物だったんです」


「混ざり合った……その事は、他の人たちには伝えたのかい?」


「はい、お爺ちゃんにも神官の方にも伝えてます」


「それなら、調査依頼もすぐに出されるか……」


 ……ぐぅ〜


 真面目な雰囲気で話している時になんとも気の抜けたお腹の音が響き渡る。アルデルトはお腹に手を当てながら恥ずかしそうに口を開く。


「そう言えば、昨日の夜から何も食べてないんだった」


「ふふ、それじゃ何かご馳走様してあげようかしら?」


 モニカの母が笑顔で食事をすすめてくれるが……


「ああ、いえ、お気持ちだけ頂きます。寮で食事も用意してくれるので」


「あら、残念だわ。でも、遠慮せずにいつでも言ってね?助けてくれたお礼にもならないけど」


「ありがとうございます。機会があれば是非……それでは、私はこれで失礼します。モニカさんも、しっかり休んでね」


「はい、ありがとうございます。また、学院でお会いしましょう」


「またね、アルデルト君」

 


 ――クロイツ教会附属治癒師養成学院


 モニカ達と別れ、学院で食事を済ませたアルデルトは寮の自室で筆を走らせていた。


「明日から教授として新たな治癒術の研究をしていく。そのために、まずは昨日の治癒術についてまとめておかないと」


 モニカの毒を取り除き、敗血症を治癒できた事例として、自分が行ったことを書き留めていく。


「本来、治癒術は傷に対して局所的に魔力を流すものだが、私は対象の身体全体に魔力を流した。そして、対象の身体に何が起きているのか調べようとしたら、対象の血液循環の流れや臓器の可視化ができるようになっていた。この現象は……」

 

 ぶつぶつと呟きながら自分の考察をまとめていき、気が付けば外は真っ暗になっていた。


「もうこんな時間か……よし、だいたいまとめられたし、明日に備えて休むか」


 それから寮の浴場で身体を流し、食事を済ませて床に入る。

 


 ――翌朝、学院長室にて


 コンコン……と扉叩く。


「……入りたまえ」

 

「アルデルトです。失礼いたします。」


 扉を開けて学院長室に入ると、学院長は奥の院長席に座っていた。


「おはよう。アルデルト君、いや……アルデルト教授」


「おはようございます。あの、教授はやめていただけないでしょうか?」


 急に教授などと呼ばれても、どうにもむず痒いというか、慣れない……


「そうかの?嫌なら仕方ないが、とにかく……我が学院の特任教授を引き受けてくれて、ありがとう。早速じゃが、君の研究室へ案内しよう。ついてくるのじゃ」


 研究室……この前まで、普通の学院生だった私が自分の研究室を持てるなんて、正直とても楽しみだった。


 ……だったのだが、辿り着いたのは何故か学院の外。


「あの、学院長……ここは?」


「うむ……昨日の今日で部屋を準備するのはなかなか難しくての、空いてる部屋がここしかなかったのじゃ。もともとは守衛の宿直室だったんじゃが、学院の増築に伴い使わなくなっての」


「はぁ……」


 ちょっと期待してただけに少し残念な気持ちもあるが、そもそも自分の研究室をあてがってもらえるだけでもありがたいのだ……わがままは言うまい。


「まぁ、君の気持ちもわからんでもないんじゃが……しばらくはここで我慢してくれるかの?」


 どうやら顔に出ていたらしい……


「あ、いえ……私にはちょうどいい部屋です」


「すまぬの……まぁ、とにかく入ってみなさい。君の助手も中で待っておるぞ」


 助手だって?


 学院長が扉を開き、研究室の中へと入る。


「あ、おはようございます。アルデルトさん」


「え、モニカさん?」


「そうじゃ、わしの孫を助手に付けさせてもらった。学業を優先という形ではあるが、本人の希望もあっての……変な気は起こすでないぞ」


「は……いえ!そのようなことは!」


 確かにモニカは可愛いが、学院長の孫に変な気など起こせるわけがない。


「なんじゃ、つまらんのぉ」


 どっちなんだ!


「どうしたんですか?二人とも」


 このやりとりに気づいていないモニカが首を傾げながら尋ねてくる。


「ああ、いや……何でもないよ。これからよろしく、モニカさん」


「こちらこそ、よろしくお願いします。あと、モニカで結構ですよ。アルデルトさんはこの研究室の教授なんですから」


 教授、なんていい響きだ。


「わかったよ。モニカ、改めて宜しく」


「はい!」


「二人の挨拶も済んだことじゃし、さっそく仕事の話をさせてもらおうかの」


「仕事、ですか?」


 まだ研究方針や課題も決めてないのに、仕事って……


「なに、難しい事ではない……このクロイツの街近くにある森の環境調査を頼みたいのじゃ」


「森の環境調査ですか?」


「うむ。モニカを襲った生物の調査、それに関係する環境因子の調査を二人に任せようと思っての。もちろん、二人だけでは危険じゃから、街の薬師と護衛のハンターにも同行してもらうつもりじゃ」


 ハンターって、魔獣討伐なんかを生業にしてる人じゃないか……教会附属の騎士団じゃなくて、わざわざハンターに依頼するってことは……


「学院長は森の生態環境の変化が、魔獣の影響だとお考えなのですか?」


「その可能性があると考えておるだけじゃよ。もし、魔獣が関わっておるならハンターの手を借りた方が安全じゃからの」


「危険だと思われるなら、私たち二人が同行するのは……」


「わかっておる……じゃが、おぬしら二人が適任なのじゃ。襲ってきた生物を見た者はモニカしかおらぬし、襲われて毒にかかった場合はおぬしに治癒してもらわねばならん」


 確かに……我々以上の適任者はいなさそうだ


「わかりました。モニカもいいのかい?怖ければ無理に行かなくとも」


「大丈夫です。怖くないわけじゃないですけど、被害が増える前に何とかしたいですから」


「そうか……学院長、その仕事、引き受けさせていただきます」


「うむ、よろしく頼む」


「それで、その仕事の詳細は?薬師やハンターの方と調査の内容について確認したいのですが」


「街にいるハンター殿に話はついておるでな、今日の昼に薬師も交えて教会で話をする予定となっておる」


 仕事が早すぎる!私たちが断ったらどうするつもりだったんだろうか?


「わかりました。私たちも昼頃に教会へ向かいます」


「頼んだぞい」


 何だか良いように扱われている気もしないではないが、特任教授として実績をあげれば今後の研究もやりやすくなるだろうし、頑張るか……



 ――クロイツ教会


 さて、教会に着いたものの……既に森の調査に向かう人員は揃っていた。

 年配のハンターが一人と、そのハンターが連れている新人のハンターが一人。

 薬師の方は、高齢のお婆さんと、見たことのある若い女性が一人……


「シオンちゃん……どうしてここに?」


「アル先輩、それにモニカまで?二人こそどうしてここに?」


 何故か学院を辞めた、シオン・クロイツがここにいた。


「私たちが今回の森の環境調査の依頼者なんだが」

「シオンこそ、急に学院を辞めたから心配してたのよ?まさかこんなところで会えるなんて」


「わたしは薬師の見習いとして、マドゥルク先生のもとで教わっているの」


「シオンの知り合いかい?それにしても、特任教授が同行すると聞いてたけど、随分と若いね?」


 マドゥルクと呼ばれた薬師の老人が、訝しそうにこちらを見つめる。


「確かに、若輩者ですが……どうぞよろしくお願い致します」


「ふぅん……歳の割には落ち着いてるじゃないか、気に入ったよ」


 何故か気に入られてしまった……


「そろそろいいかな?俺はハンターのクライスだ。こっちの娘は新人だが、なかなか見込みがあるやつでな。ほれ挨拶、挨拶」


「フラムと言います。まだまだ駆け出しですが、仕事はちゃんとこなすので、よろしくお願いします」


 面倒見の良さそうな中年のハンターと、燃えるような緋色の髪が特徴的な女性のハンターが自己紹介をする。

 フラムというハンターは、ちょっと勝気な雰囲気があって少し怖いが……


「こちらこそ、よろしくお願いします。では、早速ですが、今回の調査についての詳細を確認したいと思います。まずは……」


 森の環境調査をどう進めていくのか、大まかな流れや注意点などを話し合っていった。


 調査の決行は明日。

 森の手前に拠点を用意しておき、そこに最低限の物資を運んでおく。

 その拠点にはマドゥルクさんが待機し、森の中へはその他の全員で調査を行う。

 

 マドゥルクさんの歳を考えると、森の中を歩かせるのは危険というのもあるのだが、彼女自身「わたしは付き添いみたいなもんだからね、シオンだけでも充分仕事をこなせるよ」と言っていた。

 経験豊富な薬師からも認められるとは、さすがである。

 

 そして、肝心の調査対象だが……モニカの話を参考に特徴を確認したところ、外見は鳥のような見た目で、蠍のような脚と尾をしていたという。


「蠍の身体に鳥の羽がついてる?そんな生き物見たことがないな……」


 アルデルトがボソッと呟くと、隣にいたクライスが答えた。


「魔獣の類かもしれんな、魔獣化した野生動物も見た目が大きく変化するやつがいるからな」


「あれが、魔獣ですか……」


 モニカが神妙な顔で呟く。


「まぁその辺も調べてみねえとわからんがな。とりあえず、気をつけないといかんのは、そいつが空飛びなら近づいて来て毒針を刺してくるってことだな」


「ふむ、その生き物が単体で生息してるのか、群生する習性があるのかどうかも調査しないといかんだろうね……手に負えないと判断したらすぐに撤収することも視野に入れて動きなよ」


 クライスとマドゥルクの忠告を受け、他の四人も深く頷く。


「よし、拠点と物資の移動はこっちで人手を集めて用意しておくから、お前さんたちは必要な物を最低限用意して現地で集合……これでいいか?」


 森までの物資の運搬や拠点の準備をしてもらえるのはとても助かる。こういった事に慣れている人員がいると心強いものだ。


「ありがとうございます。こういった事は正直不慣れなもので……助かります」


「気にすんな。出来るやつが出来ることをする。仕事を円滑にすすめて、街の人達の安全を守るために必要なことだからな。そんじゃ、色々準備もあるしこの辺で解散でいいか?」


「心強いです。皆さんも意見がなければこれで解散でいいかと」


 周り見渡してみるが、全員静かに頷き……その様子を見てマドゥルクが口を開く。


「ふむ、今日のところはこれで解散だね?それじゃ、明日もよろしく頼むよ……シオン、帰るよ」


「はい、先生」


 マドゥルクがシオンを連れて先に戻っていき、クライスとフラムもそれに続いて教会を出て行く。


「慣れてないだろうが、無理せず気負い過ぎずにな。じゃあ、また明日ってことで」


 それを見届けてから、モニカと顔を見合わせる。


「クライスさんの言う通り、私たちも気負い過ぎずに頑張るか」


「はい、緊張しますが。頑張ります!」


 ちょっと力が入り過ぎな気もするが、初めての事だし、しょうがないか。


「それじゃ、明日のために物資を確認してから学院に戻ろう」


 環境調査とは言え、未知の生物の調査となると準備はしっかりとしておきたい。解毒薬なんかは薬師が同行してくれるから心配はないだろうが、護身用の武器は慣れない刃物は使わず、杖とバックラーを用意しておこう。


 ――翌日、クロイツ教会近郊の森


 アルデルトとモニカが森の入り口に着いた時には、既に他の四人も到着していた。拠点の周りには数人の武装した人達もいるが……


「お、来たか。これで全員だな?一応伝えておくが、拠点の周りに居るのは俺のハンター仲間や知り合いの傭兵だ。ここにその婆さんを一人だけ残しておくわけにもいかんし、物資を守ってもらうためにも俺が頼んでおいた」


「なるほど、そうでしたか。何から何までありがとうございます」


 確かに、街の外でマドゥルクさん一人と物資を置いたまま離れるは危険だ……やっぱり経験者なだけあって頼りになる。


「あたしゃ一人の方がゆっくり出来るんだけどねぇ」


「先生はともかく、物資に何かあったらどうするんですか?」


 シオンちゃん……結構言うのね


「ほっほ、それもそうさね。ほれほれ、こんなとこで油売ってないで早くお行き」


「ったく、元気な婆さんだぜ。それじゃ調査に行くとするか。兄ちゃんも嬢ちゃんたちも準備はいいか?」


「はい、私たちは大丈夫です」

「わたしもいつでも行けます」

「……早く行きましょうよ」


「っしゃ、調査開始といくかー」


 クライスを先頭にシオン、アルデルト、モニカ、フラムの順で森の中へと入って行く。



 ――森の中


 半刻程進んだ頃だろうか……森の木々が太陽の光を遮り、薄暗い道を進んで行く。

 

 街の人や薬師も食糧や薬草を採取しに来るだけあって、道はある程度踏みならされていて歩きやすい。


「嬢ちゃんが襲われたのはこの辺りだったか?」

「はい、もう少し先に進んだ辺りの薬草を摘んでいる時に襲われました」


 モニカが先の方を指差しながら答える。

 見た感じはどこも変わった様子は見受けられないが……ふと周りを見渡すと、シオンが木々の奥へ進んで行くのが見えた。


「おい、薬師の嬢ちゃん!勝手に離れるな!ったく……」


 急いでシオンの方へ向かうと、木の根元に座り込んで何かを見つめていた。


「シオンちゃん、どうしたんだい?」


「先輩……この薬草、この辺りでこんなに見かけるのは不自然です」


「確かに、野生動物が食べてしまうから一箇所にこんなに残っているなんて珍しいな」


「ねえ、その野生動物ってあの兎のこと?何匹か頭だけ残されてるんだけど」


 後ろからフラムも周りの様子を伺いながらこちらへ向かって来た。


「ほんとだ、この薬草を好んで食べてる兎……だが、首から下がないなんて」


「それに……気付いたか?いくつかの木の下に食塊が吐き出されてる。こりゃ猛禽類の習性に近いぞ」


 猛禽類か……でもどうして丸呑みじゃなくて、頭だけ残す?

 落ちている兎の頭を観察していると、アルデルトはある事に気付く。


「あ、この兎の首もと……何かに刺された痕が残ってる。モニカも同じような刺し傷が残ってたよね」


「はい、あの時は急に何かが飛びかかって来て、腕を刺されたんです。怖くて必死に逃げましたが……森の出口で倒れてしまって」


「強力な毒を持ってるみたいだからな、おそらく、その毒で獲物の動きを止めてから捕食しているんだろう」


 カサカサ……パキッ


 兎の死体や食塊を調べていると、近くの木の方から何かの気配を感じた。


「……何か、いる」


 フラムが気配のした方を警戒し、クライスが声をあげる。


「全員、さっきの道に戻れ!なるべく木の近くから離れろ!」


 フラムとクライスは肩に掛けていた剣を抜き、構えながらジリジリと皆の方へ後退する。


「俺が前に出る、フラムはそっちの三人を頼む」


 クライスが剣を構えながら相手の出方を窺っていると、目の前の木の枝から『バサッ』と音をたてて黒い影が広がる。


「っ!」


 来る、と思った瞬間、その黒い影が槍の様に突進してきた。


 ギィン!


 咄嗟に剣で弾くも、その反動で他の木の枝の方へ軌道を変えて飛んで行く。


 早い……


「ちぃ、ちょこまかと面倒なやつだな!」


 クライスも視線を外さず、相手の方を睨み付ける。

 対策を考える間もなく次の突進が来る。


「くそ!」


 クライスはさっきと同様に剣で弾こうと剣を構える……が、間合いに入る寸前に黒い影は片翼を広げて軌道を変えた。


「なにっ!……っ痛ぇ」


 黒い影はそのままクライスの左腕に八本の甲殻脚で組み付き、尾の針を首の後ろを突き刺していた。

 クライスの腕に取り付いたことで、黒い影の姿が顕になる。


 なんだ、あれは?上半身は鷹や鷲に似てるが、下半分はでかい蠍の身体だけ縫い付けたような……まるでキメラだ。


「まずい、前に出るよ!アンタはクライスを連れて逃げな!」


 フラムがキメラの元へ駆けて行くと、ヤツは翼を広げて木の方へと飛んでいく。


「……っ、ほんとに面倒ね!クライス!無事なの?」


「あ、ぐぅ……」


 アルデルトが駆け寄り、容態を確認する。


「呼吸がうまく出来てない!毒の回りが早いんだ!」


「なんとかならないの?」


 周囲を警戒しながらフラムが聞いて来る。


「今すぐ治療しないと手遅れになる!刺された場所が悪すぎる……」


「なら、さっさと治療して!コイツはあたしがなんとかするから」


 危険だが、クライスを助けるためにはそうするしかない……


「私たちも手伝います!」


 シオンとモニカも駆けつけ、クライスの治療を始める。そして、シオンが傷口に薬を塗りながらモニカに指示を出す。


「解毒用の軟膏を塗りこんだわ、モニカは傷口の治療をお願い……経口からの薬の投与は、無理ね……どうしたら」


「大丈夫、毒の治療は私がする」


「アル先輩?毒の治療なんて……」

「大丈夫よ、アルデルトさんは毒の治療が出来るの」

「でも、先輩は治癒術なんて使えないはずじゃ」


 たしかに、二日前まではそうだったけどね……


「とにかく始めよう、早く治さないと間に合わない」


 そう言って、クライスの肩口に手を当てて魔力を流し込む。


 そうこうしてる間に、キメラはフラム目掛けて突進してくる。


「っは!」


 フラムは突進に合わせて突きを放ったが、クライスの時と同様にキメラは翼を広げて軌道を変えて避ける。


「それは、さっきも見た!」


 フラムは突きを放った体勢から、左側に回り込もうとするキメラに突きの姿勢のまま腰を落とし、剣を横に一閃する。剣はキメラの上半身と下半身を両断するべく迫っていく……


 カン!


 と、固い物に弾かれた音が響く。


 キメラは蠍の胴体を海老の様に丸めて、剣を受けたのだ……


「なっ!」


 フラムは予想外のキメラの反応に驚いたが、すぐに追撃をかけるために体勢を整える。


 しかし、キメラはそのまま後方の木へ飛んで逃げていく。


「あの蠍の甲殻、守りにも使えるの?聞いてないわよ」


 それはそうだろう……初めて見る生き物だからな。

 フラムとキメラの攻防を横目に突っ込みを入れつつ、クライスの治療に集中する。


 血流を確認し、毒がどこまで広がっているかを確認する。


「針が刺さったのは……椎骨動脈か?脳に直接毒が回ってる……急がないと」


 傷口はモニカが治癒し、周囲の炎症や毒の広がりはシオンの塗り薬で多少遅くはなっているが、椎骨動脈から侵入した毒は血流に乗って脳幹に広がり始めていた。


「このままじゃ、呼吸が止まってしまう……まずは毒を取り除くんだ」


 モニカの時と同じ様に、流した魔力で毒を捉える……そして、そのまま魔力とともに外へ霧散させる。

 パァン、と魔力が弾けて毒を取り除くことに成功する。

「よし、あとは毒で損傷を受けた脳幹の状態を正常な状態に……毒の影響で止められている神経伝達を再開させれば……できた!これで……」


「……ヒュッ、かは!……はぁ、はぁ」


 クライスの呼吸が正常に戻り始め、ひとまず安心するアルデルトたち。


「……すごい、本当に治してしまうなんて」


「実際に見たのは始めてですが、これは……」


 シオンとモニカが驚き、感心しているとフラムが声をあげる。


「ちょっと!こっちはまだ終わってなっ!」


 言い終える前に、飛んで来たキメラを剣で弾く。


 ギン!


 そのまま横の木へ飛んだかと思うと、すぐさま突進をしかけてくる。


 ギン!……カン!……カン!……ギィン!


 攻勢を増すキメラの攻撃に防戦一方のフラム。

 その表情に余裕はなく、嫌な汗が頬を伝う……このままでは全滅してしまうと、脳裏に不安が膨らんでいく。


 その様子を見ていたシオンが鞄の中から何かを取り出して、フラムに声をかける。


「ねえ、あいつの動きを少しでも止められない?わたしに考えがあるの」


「考え?やって、みるけど、大丈夫なの?」


 フラムが攻撃を弾きながら確認する。


「ぶっつけ本番だけど、やってみせるわ」


「そっ!なら、やってちょうだい!……はぁ!」


 掛け声とともにフラムはキメラの攻撃を上段からの切り下ろしで弾きに行く。

 キメラはその隙だらけの動きを待っていたかのように軌道を変えてフラムの腕に取り付いた。


「今よ!」


 フラムが叫び、シオンが何かを投げつける。


「息を止めて!」


 パリン、という音と共に黄色い粉塵が舞う。


 キメラがフラムの首に針を刺す寸前に、動きが止まり、腕から剥がれ落ちた。


「これで、終わりよ!」


 グサッ!


 キメラの喉元に剣を突き立てる。


「……あ、ごめん」


 フラムは調査対象にトドメをさしてしまったことを咄嗟に謝った。


「いや、仕方ないさ……こいつは危険すぎる」


「それより、シオンちゃん……今のは?」


 何か球体を投げた様に見えたが……


「ん〜、これは思い付きでやってみただけなんだけど……わたしも治癒術は使えなかったの」


 それはセリナから聞いていたから知っているが、アルデルトは小さく頷く。


「小さな障壁魔法なら使えるの、それで、その中に麻痺毒の粉塵を詰めて投げてみたら、うまくいった……の」


 障壁魔法は光の壁を生み出し、文字通り壁を作り出す魔法なんだが、それを粉塵爆弾にして投げつけたのか。


「ちょっと、うまくいかなかったらどうするつもりだったのよ」


 フラムが呆れたように問いかける。


「やってと言ったのはあなたよ」

「それは、あんたが考えがあるって……」


 やれやれ……

 

 揉め始めた二人を他所に、キメラの死体を確認しに行く。

 

「本当に鷹と蠍の身体を縫い合わせた様な生き物だな……」


「なんだか、気味が悪いですね……鳥と虫が一つになるなんて」


「確かに、脊椎動物と無脊椎動物が……まさか」


 アルデルトはある可能性に気付き、キメラに魔力を流し込む。血管の走行や、臓器などの位置を確認し、それは確信へと変わった。


 上半身の鷹と、下半身の蠍、やっぱり別々の生き物だ……鷹の背骨を蠍の体に結びつけ、中枢神経を蠍の外骨格に張り巡らせているんだ。


「これは、人為的に作られた生物かもしれない」


「そんな、こんなものを誰かが作れるんですか?」


「魔力を流し込んで身体の作りを調べてみたけど、内骨格の生物と外骨格の生物を無理矢理繋ぎ合わせてるんだ……放っておいても生命の維持が出来ずに死んでいただろうね」


「こんなもの作りだして、誰が得するのよ」

「でも、これが何匹もいるって考えたら……相当危険よ?」


 いつの間にか、フラムとシオンも近くに来てキメラを見つめながら話に加わっていた。


 念のため周辺の様子も調べてみたが、これ以上の進展はなく、この森の環境調査は終了することにした。キメラの死体と、捕食した兎、吐き出した食塊を回収して拠点に引き返す。


 その道中、アルデルトはクライスに肩をかしながらゆっくり歩いていく。


「すまねぇな、アル坊……俺が一番しっかりしねぇといけねえのに足引っ張っちまってよ」


 クライスが申し訳無さそうに話かける。


「いえ、クライスさんが先陣を切って私たちを守ってくれたから彼女……フラムもうまく対処することができたでしょうから」


 前を歩くフラムを見ながらクライスが続ける。


「あいつの観察眼も戦闘技術もずば抜けてるからな……俺なんかすぐに……いや、もう追い抜かれてるだろうな」


 確かに、素人目に見てもあの速さで攻めて来るキメラに対処する反射速度も、剣の技術も相当なものだった。


「彼女は大物になりそうですね」


「違いねぇ……つうか、お前も大物になるんじゃねえか?」


「え?」


「毒の治療が出来る、その知識を世界に広めるなんてことになりゃ世界が放っとかねぇだろ」


「ははは、それは大袈裟ですよ」


 そんなやりとりをしながら拠点へと戻る。


 ――森の入り口


マドゥルクさんが、私たちに気づいて声をかける。


「あんた達、無事だったかい?」


「ええ、何とか……調査対象の死体と検体もいくつか持ち帰って来ました」


「なんだい、こいつは?気味が悪い生き物だね」


「かなり攻撃的で、強力な毒針も持っているので危険です」


「……まだ、他にもいるのかい?」


 険しい表情でマドゥルクが尋ねる。


「それは否定出来ませんが、周囲には見つけられませんでした。少なくとも自然発生したという可能性は低いと思われます。まずはそのことを学院長に報告しないと」


「そうかい……それなら早く帰るとしようか」


 ――クロイツ教会附属治癒師養成学院、学院長室


 調査隊一行は街に戻り、各々、後処理や報告のために解散となった。

 私とモニカは環境調査の報告をするために学院長室を訪れていた。


「……以上が、今回の調査の報告となります。ただ、私の見解としましては、この生物……キメラと呼称させていただきますが、これは人為的に作られた可能性が高いです。この可能性を視野に入れた調査を然るべき所へ依頼すべきかと思います」


 学院長は眉間に皺を寄せて、神妙な顔で頷く。


「なるほどのぅ……この様な生き物を人為的に作ったとしたら、世界の秩序や生態にも影響が出る。わかった……この件はわしの方で対処を進めておこう。二人とも、ご苦労じゃった。ゆっくり休むんじゃぞ」


「はい、ではこれで失礼いたします」


 ……学院長室を出て、廊下を歩いていると見知った顔の女性と鉢合わせた。


「……」


 彼女は無言でこちらを見つめてくる。


「セリナ、どうやら退学にならずに済んだよ」


「そうみたいね……それでどうして教授になんてなってるのかしら?それに、その子は?」


 モニカの方を一瞥し、何故か不機嫌そうなセリナ。


「それは、説明すると長くなるんだが……この子は、モニカで、私の助手でもあるんだ」


「へぇ〜、そう」


「あ、ああ……」


「セリナさん、わたしたちは調査任務の後で疲れています。これから研究室で調査内容をまとめなければならないので、失礼しますね」


 え?研究室で調査内容なんてまとめるの?


「そう、それは失礼したわね」


 ……どうしてこの二人、会ったばかりなのに、火花を散らし合っているんだ。


「では、ごきげんよう。アルデルトさん、行きましょう」


「お、おう……またな、セリナ」


「……ええ」


 セリナと別れ、研究室までの道のりを黙々と進む。この沈黙の中、アルデルトは意を決してモニカに話かける。


「あの、モニカさん?何か怒ってる?」


「いいえ、怒ってなんてないですよ?あの人……セリナさんには注意……ぁ、いえ、ほんとに何でもないですよ」


「?……そ、そう?ならいいんだけど」


 何が何だかよくわからないまま研究室に辿り着き、気になっていた事を尋ねる。


「それで、調査内容をまとめるって?」


「はい、まとめると言うよりは、アルデルトさんの治癒術を見て思うところがあったので、その確認を……」


「思うところ?」


「わたしの憶測ですが、アルデルトさんの治癒術は『治す』ではなく『元の状態に戻す』ことを考えてませんか?」


「治すことは、元の状態に戻すことじゃないの?」


「少し方向性が違うかと、アルデルトさんの治癒術は傷そのものではなく、その人の傷を治す力を正常な状態に戻してるのではないかと……」


「なるほど、治癒術を使う上で重要な想像力……私は健康な状態に戻すことを意識し過ぎてたってことか」


「おそらく、ですけど」


「いや、その考察は的を射ているよ!さっそく検証してみないと!モニカも手伝ってくれるか?」


「はい、もちろん!」


 ――治癒師として落第の印鑑を押された彼が、この出来事をきっかけに治癒術の新たな可能性を世に広めていくこととなる。

 そして、後の世にも『アルデルト』の名は世界に革新を起こした治癒師として語り継がれていった。

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