“アンダーアッシュ” 後編
█セクター:01/02 境界地域 クレストン街区█
廃ホテルの近くに、一台の車が静かに停まった。
中には、ニールの依頼で動く傭兵コンビ──デズモンドとリュウジ。
2人はまだ車から降りず、窓越しに建物を注視していた。
「静かなもんだな。アジトってんならもうちょい物々しいかと思ったが」
デズモンドが運転席から腕を組み、鼻で笑った。
「入り口に見張りの一人もいねぇ。…もしかして、拍子抜けするほど楽なヤマだったりしてな」
デズモンドの言う通り、ヌルチェインのアジトだと言うのに、表の出入り口には誰一人として立っていない。せいぜい、監視カメラが一台、ジッと入り口を見つめている程度だった。
「浮かれるのは早い。少し潜る、警戒は頼んだ」
リュウジは冷静に言い置き、座席に体を沈めた。
意識を深く沈め、ホテルのネットワークへと接続を開始する──ニューラルダイブ。脳神経系に埋め込まれた電脳ユニットを介し、あらゆる通信ポートからネットワークへ直接干渉する手段だ。
リュウジは、建物入口の監視カメラから内部ネットワークに接続した。
相手はヌルチェイン──アジトとはいえ、対抗するダイバーの気配もなく、防壁すら張られていない。
探査プロトコルを数手走らせ、〈デーモン《潜行用人工知能》〉をネットワークに潜り込ませるだけで建物内のカメラ情報が取得できるようになった。
「入った」
「流石の速さだな」
「相手がバカならな。うん、バカどもの顔がよく見える」
リュウジは視界に重ねられた映像を次々に切り替え、目当ての“箱”を探していく。
「アジトとは言っても、構成員は二十人にも満たない。装備も、いつも通りだな」
「それならさっさと入っちまおうぜ。抵抗も大したことないだろ」
デズモンドは、退屈そうに欠伸混じりの声で呟いた。
「“急いては事を仕損じる”、って諺が日本にはあんだよ…あった、この箱だな。2階の奥、209号室」
「恐ろしい話だな、部屋の中にまでカメラがあるなんてよ。おちおちケトルでションベン沸かすこともできやしねぇ」
「監視社会さまさまだぜ。お前みたいなのがいると、なおさらな。行くぞ」
二人は車を降りて、建物の入り口に向かう。
リュウジが入り口の監視カメラを停止させ、扉のロックを解除する。
カシュン、と小さな作動音が鳴り、ドアが滑るように開いた。
敵の位置をすでに把握している二人は、ためらうことなく建物の中へと足を踏み入れる。
デズモンドは、自身のもう一つの相棒──大口径のハンドガンを懐から抜いた。
リュウジはそれを一瞥すると、建物一階に並ぶすべてのドアを遠隔操作で強制開放し、同時に二階へ通じる階段を封鎖する。
突如、各部屋の扉が一斉に開き、静寂だった館内がざわめき始めた。
少しして、開いた近くの扉から、何の警戒もなく顔を出した男がいた。
次の瞬間──脳髄が壁を汚し、床に滴り落ちる。
銃声と鮮血が異常を告げ、館内は一気に戦闘状態へと突入した。
「なんだ!?」「廊下だ!」
その騒乱の中、リュウジは無人の一室へ滑り込み、窓から裏手へと身を抜ける。
鉄製の欄干や配管を手がかりに、静かに、しかし着実に上階への侵入を開始した。
「早く降りろ!」「入り口の方か?」「そうだよ早く来い!」
2階にいる敵は、1階とは異なる焦燥感を滲ませながら、階段へ殺到していた。
無人の部屋から2階に侵入したリュウジは、フラググレネードを取り出し、足音を殺して同じ方向へ向かう。
『階段を爆破する』
『オッケー。俺は近くには居ねぇから好きなタイミングで吹き飛ばしてやれ』
『わかった、2秒で設定する』
ニューロリンクでデズモンドに報せたリュウジは、起爆時間をセットしたフラグを──敵が密集する階段へ投げ込み、遮蔽物に身を隠す。
きっかり2秒の後、耳を劈く爆発音と、ホテルを揺らす衝撃が一瞬にして走った。
リュウジは銃を抜き、遮蔽物から身体を離すと、素早く構えて階段を確認した。
臓物と焼けた血肉の匂いが立ち込め、リュウジは顔を顰めて嗅覚センサーを切った。デズモンドにはバカにされたが、悪臭を気にせず作業できる機能は極めて有用である。
不意に彼の背後から扉が開く音がした。リュウジはすぐさまそれに反応し、向かう。
N2で感覚を鈍らせ、銃声には無反応だった奴らも、爆発音にはさすがに反応した。
廊下の中ほどにある一室から三人、銃を手に、まだニュートラルな脳みそでふらつきながら出てくる。
すでに至近距離にまで接近していたリュウジは、少々虚ろな目の敵と目が合うなり、相手の太ももを撃ち抜いた。
「がッ」──短い悲鳴。
その隙にリュウジは間合いを詰め、これを蹴り上げて、状況を把握できていない他の2名にぶつけた。彼らはバランスを崩しつつも目の前の襲撃者へ銃を向ける。
リュウジは手前の敵の腕を左手で掴み、そのまま身体を捻って背後に回り込む。人間盾にした。
味方を盾にされた敵は一瞬、動揺する。
その反応を待っていたリュウジは、隙をついて後ろ手にその敵の腹を撃ち、先ほどとは逆に体を捻って盾の頭を撃ち抜いた。残った身悶える2名の頭を撃ち、廊下に静寂が戻る。
リュウジは、ひとつ、深く息を吐いた。
残弾を確認し、警戒しながら209号室を目指す。
その頃、デズモンドは暇をしていた。
何せ雑魚の相手である。相棒のリュウジが階段にフラグをぶち込んだ頃には、1階に居る奴で爆発に巻き込まれて困るようなのはもう居なかった。
口笛を吹きながら、自分の愛銃である大口径ハンドガン──マグラス社製オートマチックハンドガンS98MR .45──の簡易的な点検を始める。
敵拠点のど真ん中でやることではない。だが彼の勘が、もうここでは戦闘は終わったと告げていた。
そして、その勘を裏付けるように、リュウジが箱を手に戻ってくる。
ちょうど点検を終えたタイミングである。
デズモンドはリュウジから箱を受け取り、助手席に座る。
追手はなし。依頼は拍子抜けするほど簡単で、緊張感はとっくに底を打っていた。
「にしても、なんだろうな、これ」
その興味は、手元の箱に向いていた。
彼は箱をひっくり返し、振り、角度を変えて覗き込む。
“箱”と呼ばれてはいるが、実態は20センチ四方の金属製ハードキャリングケースだ。
「なんでもいいさ。ロクでもないモノなのは確かだしな。」
「何でそんなこと判るんだよ」
「箱見てたろ?ハワード社のロゴが描いてあるだろうが」
「おぉ確かに」
溜息を吐くリュウジをよそに、デズモンドはさらに観察を重ねる。
「絶対に開けるなよ。確実に面倒なことにな──」
「あ?」
素っ頓狂な声を上げるデズモンドに、薄々何をしたか把握しつつも、リュウジはチラリと助手席を見る。
そこには、案の定空いた箱を持つデズモンドの姿があった。
「おー最高だぜこの馬鹿野郎、やりやがったなテメェ」
「何だよ、ロックもかかってねぇし、ハナから開いてたっぽいぜ?」
確かに、今開いたにしては警報などは響いていない。しかもこじ開けた証拠に──リュウジは回収した際にはホテルが薄暗くて気付かなかったが──ロックの部分が破損していた。
目の前の信号機が赤になる。
車を停めたリュウジは、助手席の箱に視線を落とす。
企業ロゴがある以外は、どこにでもある量産型のケースだ。
ただ、その中身。
中には、一枚のデータスパイン。大げさなほど丁寧に格納されていた。
「仰々しいよな。なんかあるぜ、コレ」
デズモンドもただ事ではない何かを感じ取っていた。
「とりあえず閉めとけ。何か言われてもめんどくせぇ」
信号が青に変わる。
「俺たちは箱が開くことは知らないし、箱の中身も知らない」
リュウジが車を発進させながら言った。
「ニールは切ろう。アイツはあや──」
衝突音が会話を切り裂く。タイヤが地面を削る音が重なる。
彼らの車は、左から突っ込んできた多目的装甲車に側面を砕かれた。形が歪み、回転し、止まった。
装甲車が停まると、外骨格に身を包んだ兵が数名、音もなく降りてくる。
その肩章、車体、装備──全てに、箱と同じロゴ。ハワード社のロゴが刻まれていた。
「こちら第一班、パッケージを回収。……外装破損、中身は無傷。……運び屋2名、片方死亡、もう片方は生存。……了解、回収して帰投する。
おい、聞いてたな!そこのカスを回収して戻るぞ!後は特殊処理班に任せて撤収!」
█セクター:02 サクラ街区█
ネオンの残光が、舗装の剥げた路肩に滲む。
車を止めた男は、ドアにもたれてタバコを吹かしていた。
ニューラルリンクに着信が入る。
「まいどー。
……おー、回収できました? そりゃよかった。
ほんで、情報は正確やったやろ? 裏切り者の方も?
……へへ、せやったら、報酬、よろしゅうお願いしますよ?
……仕事が速くて助かりますわ! おーきに。
そんじゃまた、次もよろしゅう! ほな!」
通話を切ると、ニールは舌打ち混じりに笑い、車に乗り込む。
「……ほんま、ちょろいわ」
発進と同時に、バックミラーに映る街の光が歪んでいった。




