第九十二話 閑話 救われた命
レイ達がノームと契約していたのと時を同じく。
所は王国首都グランソイルにて。
「ねぇ、神官様。ここは何処?」
「ここはリシュタニア教会グランソイル支部ですわよ。ユート君」
少年ユートはボーッとした頭で目の前の煌めく亜麻色髪の綺麗な女性神官に尋ねた。
「俺、なんでここに?」
「昨日、町の外で女の子と一緒に倒れているところをリシュタニアの神官長様が見つけて下さって、それで……」
「そうなんだ……女の子って姉ちゃん?」
「さぁ?まだ眠っておりますから。会ってみまして?」
「うん」
ユートは霞が掛かった様にスッキリしない頭を抱えながら、笑顔の女性神官に手を引かれた。
ちょっと喋り方が貴族っぽいけど、悪い人ではなさそうだ。
「ユート君、こっちですわよ」
女性神官はニコニコと笑いながら、ベッドに横たわる少女の下へとユートを案内した。
「姉ちゃん……」
辿り着いた何の変哲もない病室にあったのは、いつもの見慣れた寝顔。
少しやつれて見えるけど、それ意外な何一つ変わった所の無い安らかな寝顔。
「ねぇ……ちゃん……」
何故だろう?
何の変哲もない見飽きた寝顔なのに、ボロボロと溢れる涙が止まらない。
「ユート君?どうされましたか?」
「分かんない!なんか分かんないけど……なんか怖い夢を見てたみたいで……」
何の変哲もない日常のはずなのに、それが酷く儚く脆いモノの様に思えて……
「ユート君。悪い夢なら思い出す必要はありませんわ」
そう言って、女性神官がユートの頭を優しく撫でた。
「うん……」
ユートは嗚咽を押さえながら、震える声で応えた。
「ユート君。貴方も疲れているでしょうし、今日はもう休みになられては?」
「うん」
ユートは女性神官に手を引かれ、その場を後にした。
「ねぇ、ユート君。今日は何日?」
自分の病室に戻ったユートに女性神官が投げかけたのはそんな問いだった。
「……六月三十日?」
自分は寝てたので正確な日付は分からなかったけど、反射的にそう答えた。
「そう、ありがとう。もうすぐしたらご飯が参りますので、ゆっくり休んでいらして」
女性神官は艶やかな亜麻色髪を楽しげに揺らしながら、その場を後にした。
「申し訳ありません。あのような子供の世話に御身を煩わせてしまいまして」
豪奢な法衣を纏った中年神官が恭しく女性神官に礼を執る。
その様子に女性神官は眉をひそめた。
「お止しになってくださいませ。あの子供達を丁重に看病する様にと、『翼星の神官』『神の薬』麗しの神官長クオン=アスター様から仰せつかっておりましてよ」
「ですが、リシュタニアの重鎮たる御身に下女の様な真似を……」
「あ~ら?病人を看病するのは神官の立派な勤めでしてよ。それに職業に貴賤はございませんわ。貴方が下女と蔑んだ方々も立派に社会の一員として勤めを果たしておりましてよ」
「ひぃ!申し訳ありません!シュタッドフェルド司教様」
女性神官……モニク=シュタッドフェルドがげんなりした表情で一睨み。
権威主義の中年神官は短い悲鳴と共にブンブンと頭を下げる。
(はぁ~、神官の特権意識。リシュタニア教会の悪い癖ですわね)
神官とは医療と司法の両方を司る社会的地位が最も高い職業。
民から尊敬され、憧れられる人気ナンバーワンのまさに勝ち組。
だが、民衆にチヤホヤされ、権力者から尻尾を振られる内に腐敗してしまう者も少なからず出てしまう危険な役職。
シュターデンと大公を同格とするリシュタニア教会は他の宗派に比べて、特にこの傾向が強く見られる。
兄をグランソイルに送り届けるついでに、こちらの教会を視察しておいて正解だったようだ。
モニクは苦いモノを噛みしめながら思った。
「シュタッドフェルド司教。考え事かな?」
不意にモニクの背後から威厳に満ちた老人の声。
振り返るとそこには一見普通の好々爺のようだが、溢れ出るオーラが隠しきれていない老人の姿。
「大公閣下。どうされたのですか?そのような恰好で?」
「これ!今はその名を出すでない。見ての通りお忍び中じゃ」
一般人とほとんど変わらない毛織物の衣装をまとった大公トライスが、察しの悪い部下に小言を漏らす。
「これは失礼しました。トライスお爺様。もうお済になりまして?」
「うむ、これから『神の薬』を拾ってリシュタニアに戻るぞぃ」
「御意」
どうやら、無事に和平交渉は済んだようだ。
モニクは緩む頬を必死に抑えながら、胸に拳を当てる公国式敬礼で応じる。
「モニクや、そんなに兄と会うのが嬉しいか?」
「お爺様。そういう意地悪は好きではありませんわ」
ニヤニヤとイタズラな笑みを浮かべるトライスにモニクがそっぽを向く。
「すまんすまん。久しぶりに肩意地張らなくていい外遊だった故にな」
「……まぁ、いいですわ。久しぶりにお兄様の手並みも拝見出来ましたし」
ふくれ面のモニクがうっとりした表情に百面相。
「どうじゃった?」
「感嘆の一言でございましたわ」
モニクがまるで自分の事の様に誇らしげに語る。
「欠損した四肢及び内臓の再生。一ヶ月分の記憶消去による精神のケア。大天使ラファエルの権能を完全に使いこなす手腕。完璧の一言に尽きますわね」
「そうか……」
「それに加えて、つい先日大天使ウリエルの権能も授かったとか。あぁ~、お兄様がどんどん遠くに行ってしまう様で嬉しくもあり、寂しくもありますわ」
「…………」
悦に浸るモニクをトライスが生暖かい目で眺める。
「……ラファエルに加えてウリエル。それもたったの三日で力を授かりおった。才能か?それとも運命か?」
能天気に兄を称える妹とは裏腹に、トライスはクオンの成長の背後に大いなる意思の存在を感じずにはいられなかった。




