第八十九話 向き合う心
「いじめられるのは……もういやだぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ!」
迫りくる巨大多脚戦車。
それは『拷問狂』ファラリスの最後の悪あがきだった。
歪に混ぜ合わさった残骸は明らかに強度不足。
巨体に耐えられず、自らの重量で足が崩れ落ちる。
倒れ込む巨大ヘルスパイダーを躱して、フォトンガンを乱射するだけで止めを刺せただろう。
だが……
「…………」
この時レイは重大なミスを犯した。
少女の泣き叫ぶ声に一瞬身体が硬直した。
悲痛な声はレイの心に突き刺さり、その足を縫い留めた。
「潰れろぉぉおおおおおおおおお!『シュターデンの種ぇえええええええええええ』!!」
ファラリスの絶叫にレイが我に返る。
敵の合体は失敗などではなかった。
膨大な質量で圧殺する自爆特攻。
少女はレイを道連れに死ぬつもりだ。
「お前がいなければ!お前のせいだ!お前なんか大嫌いだぁぁああああああああああああ!!」
少女の怨嗟が、レイの身体を再び拘束した。
今までだって犯罪者や宇宙海賊の怨嗟の声はいくらでも浴びてきた。
だが、この少女が発する呪いの声はレイが心の奥底に封印したとある想いを刺激した。
(杏……)
一四、五歳の少女からの呪詛。
それはまるで地球に残して来た病気の妹、杏に言われている様だった。
(警告!超大質量接近中。マスターレイ、至急退避を!)
鳴り響く緊急警報。
緊迫するアスの機械音声にも身体が反応しない。
「うぁああああああああああああぁん!みんな!みんな大嫌いだぁあああああああああああああああああああああ!!」
黒と銀の巨体がガラガラと爆音を轟かせ崩れ落ちる。
少女の呪いは、巨大なハンマーとなってレイの身体を粉々に粉砕……
……そしてレイの意識は暗転した。
『……きて下……い』
暗い空間。
何もない空間。
光も音も空気も無い空間。
そして、聞き覚えのある少女の声。
「あ……ん」
少女の声は紛れもなく自分の妹、杏のモノ。
『寝惚けてないで起きて下さい!マスター!』
それは紛れも無く杏の声だった。
だが、この声は杏のモノではなかった。
この声で、自分をマスターと呼ぶモノはこの世でただ一人。
「観測者か?」
レイは痛む頭を抱えながら、フラフラと立ちあがる。
目の前には杏の形をした漆黒の少女。
『観測者か?ではありません!なんですか!今の体たらくは!』
漆黒の少女は金切り声を上げて、レイを叱責した。
それはまるで……
『どうかしましたか?マスター?』
「いや……随分杏の物真似が上手くなったな、と思ってな」
まるで杏の生き写しの様だった。
『物真似ではありません!あなたの記憶を頼りに極限まで杏をシミュレーションしたんです。今ならこんな事だって……』
そういうと、黒一色だった杏の身体が色付いた。
母親ゆずりの可愛らしい顔立ち。
クリッとした黒真珠の様な瞳と絹の様にしなやかな黒のショートヘア。
少し日に焼けた健康的で瑞々しい肌に、バラ色のほっぺ。
病気になる前の杏がそのまま成長した様な溌溂とした姿。
イタズラが成功した時に浮かべる無邪気な笑顔は杏そのもの。
「なんの……つもりだ」
レイは言葉を詰まらせた。
もう二度と見る事が無いと諦めていた笑顔がそこにあった。
『嫌だった?』
首を傾げて、上目遣いで問いかける姿も杏そのもの。
「いや……」
レイは首を横に振った。
以前の自分なら不快感に眉をひそめていただろう。
だが、今は偽物の杏の言葉が心地良かった。
『良かった!嫌われてなくって』
杏の姿をした観測者が破顔する。
あれほど嫌っていた観測者の物真似が今はとても愛おしかった。
『お兄ちゃんはいっつも無理し過ぎるから心配だったんだ。さっきだってほら、眉間にしわを寄せちゃって』
眉間にしわを寄せようとするが上手く出来ない仕草までそっくりだ。
「これは……思い出か?」
『うん、やっぱり分かっちゃう』
レイの問いに、観測者が喜色満面の杏の顔で答える。
観測者は周藤嶺の記憶を読み取って、周藤杏を再現している。
レイの記憶で作られたモノだから、レイの認識とズレるはずもない。
『お兄ちゃん。ゲイリーおじさんと戦うんだってね。勝てそう?』
「いや……」
『そうだよね~。おじさん、お兄ちゃんよりずっと強いもんね』
レイが目を伏せて弱々しく呟くと、観測者がケラケラと笑う。
『でも、お兄ちゃんが戦えない理由はまた別。お兄ちゃん、憶えてる?私が大きい子にイジメられている時に助けてくれた事』
懐かしそうにはにかむ杏の顔に、レイは小さく頷いた。
勿論憶えている……いや、思い出した。
これは自分の奥底に眠っていた記憶。
『お兄ちゃん、自分よりずっと身体が大きい男の子三人相手に喧嘩して、ボロボロになって、でも最後はその子達を追い払って……』
杏の顔が目を細めニコリと笑う。
『お兄ちゃんがゲイリーおじさんと戦えないのは私がいるから。だって、ゲイリーおじさんやっつけちゃったら、誰も私の面倒見れなくなるもんね』
全てを見透かされているようだった。
いや、記憶を読み取られているのだから当たり前なのだが……
レイにとってルミナスでの生活は基本的には楽しいモノだった。
だが、唯一の心残りは杏。
妹を残して遠い外宇宙の惑星で自由に生きていく事に罪悪感を覚えていた。
しかもこれから戦うのは、自分と杏の後見人であるゲイリー=アークライト。
自分がゲイリーを倒せば、杏は本当の意味で天涯孤独になってしまう。
いや、それどころか、病気の治療費を払う事ができなくなるので、生命の危機すらあり得る。
レイにとって、ゲイリーを倒す事は杏を殺す事と同義だった。
ファラリスの杏とは似ても似つかない怨嗟の声に動揺したのも、レイ自身の心が知らず知らずの内に疲弊していたからだろう。
観測者は杏の姿を借りて、レイが自身の心と向き合う機会を与えてくれたのだ。
『お兄ちゃん。みんなで一緒に考えよう。ルミナスの事も、私の事も、ゲイリーおじさんの事も』
「……あぁ」
俯くレイの頭を、杏の姿をした観測者がそっと抱きしめた。
想像していたよりもずっと柔らかくて、いい匂いがして、そして温かかった。
『お兄ちゃん、今は自分が生き残る事を考えて。お兄ちゃんには、待っている人が沢山いるから』
儚げな笑顔と優しい声を残して観測者が姿を消す。
レイが名残惜しさを感じていると目の前に無数の映像スクリーンが姿を現す。
その中には今までレイが出会った人々の姿が映し出されていた。
グラーフ族の集落の人達。
グランツのハンターギルドのマスター達。
リシュタニアのブライとミリア。
白い馬車で空を駆けるモニク。
国王に保護され研究に戻るリシャルトとリーフ。
会議室で険しい顔を浮かべて議論するグェインとトライス。
そして……
『ただいまじっちゃん!アヤメ=スズバヤシ!朱山にて火行の聖獣朱雀との契約を完了し、帰還しました!』
『頭領と呼ばんかい!この馬鹿娘!』
スクリーンの一つに映るのは、長身でアジアンビューティーのくノ一陰陽師アヤメ。
ボンキュッボンの大人びた容姿とはかけ離れた子供っぽい笑顔に思わず頬が緩む。
『じっちゃん、次は黄山にて黄龍との契約に行って参ります。あたいが抜けた穴の埋め合わせは頼んだよ』
『なんじゃ、もう行くのか。契約で疲れておるじゃろうて』
『うん!さっさと済ませて早くレイ君達と合流したいから』
『お前なぁ~。本来聖獣との契約は年単位で行うモンじゃろが……』
『分かってるさね。でも、ちょっとくらい無理を通さないと……ほら、レイ君ってすぐ無茶するでしょう。ほっとけなくって』
『……そうじゃな。だが、せめて札ぐらい補充していけ。中途半端な状態で乗り越えられるほど黄龍の試練は甘くないぞぃ』
『……そうさね。じっちゃん、ありがとう!危うく呪符の補充忘れるとこだったよ』
『…………やっぱり忘れとったんかい』
アヤメは相変わらずアヤメだった。
底抜けに元気な所も、どこか抜けているところも、仲間想いで真っ直ぐな所も……
今も力を付けて自分の助けになろうとしてくれている。
アヤメの想いに触れ、レイの胸の奥から温かい何かが込み上げた。
『ウンディーネ?ここどこ?』
『さぁ?多分ワルツブルクのどこかでしょうけど』
また別のスクリーンに映るのは、どこかの海岸に打ち上げられたトワと、それを呆れた表情で見下ろすウンディーネだった。
『ねぇ、なんで千キロ以上離れた連邦から王国に流されるわけ?』
『それはトワ様が力加減を間違えたからです』
『全力でやれって言ったのはウンディーネでしょう!』
『いや~、まさか息抜きに考えた波乗り訓練でこんな事になろうとは……トワ様の力を侮っていました』
『ねぇ、ウンディーネ。あなた自身の力はちゃんと加味してた?幸い陸への被害は無さそうだったけど、まさか津波が起きるなんて……』
『あっ!すみません。トワ様の本気に当てられてつい私も本気を出しちゃいました。ごめんなさいね、テヘペロ♪』
『テヘペロ♪……じゃない!』
少し目を離した隙に、トワとウンディーネはトンデモナイ事になっている様だ。
どうもウンディーネは思った以上に愉快な性格らしい。
『でもトワ様。本来、私達精霊の力はトワ様がコントロールしないといけないんですよ。私はイフリートと違って忖度は苦手ですから』
『そうみたいだね……ウンディーネに会ってから日々イフリートの優しさを感じる様になったよ』
『イフリートは完璧主義の武人肌ですからね。でも私は甘くありません!私如きをコントロールできないようではレイ様のお役に立つなんて到底叶いませんよ!』
『そうだね。お兄さんだって頑張ってるんだ。アタシだって頑張らないと……ところでなんでお兄さんの名前知ってるの?アスから(の通信を盗み聞きした)?』
『…………まぁ、そんな所です(こっそり話をしたなんて言えない)』
やっている事はハチャメチャだが、ひたむきに強さを求めるトワ達。
その真っ直ぐな姿にレイの弱った心は強く励まされた。
『レイ様!どうされましたか!返事をして下さい!』
また別のスクリーンに映し出されたのは、岩壁を殴り付けながら、血を吐きそうな声で叫ぶクオンの姿。
そのしなやかな手は血が滲み、その金色の瞳には薄っすら涙。
『まだ大丈夫!ラファエルは力を送り続けている!レイ様!返事を!レイ様!』
己の怪我を治す事すら忘れて無心に岩壁を殴る姿に、レイは胸が締め付けられる想いだった。
思えば、クオンにはいつも心配ばかりかけている。
きっと自分がこのまま帰らなかったら、彼の瞳に浮かんだ涙は零れ落ちてしまうのだろう。
それだけは嫌だな……レイは心の底からそう思った。
(起きなくては)
そう心で強く念じた瞬間、レイを取り囲むディスプレイが消え去った。
目覚めたレイの瞳に飛び込んで来た景色は黒と銀の瓦礫の山。
そして、それらに圧し潰される感覚だけだった。




