第八十六話 騙し合い
「それじゃ救出作戦を始めるが、くれぐれも勝手な真似すんじゃねぇぞ」
ヘルスパイダー製造プラント前にて。
苛立たしげなセツナの声とギスギスした空気の中、救出作戦は開始された。
因みにここに来る前に全員に〈サイレンス〉を掛けているので、セツナの声は外には漏れていない。
セツナはお互いにそっぽを向くガキンチョと神官にため息を吐きながら、プラント内に歩を進めると……
「あなた……あれ……」
「あぁ、分かってる」
それは胸糞悪い光景だった。
両手足の爪をはがされ、あちこち殴られた少年が天井にロープで吊るされていた。
「ひでぇ事しやがる。差し詰め俺達を釣る為のエサってわけか」
喉の奥が焼け、口の中を酸っぱいモノが支配する。
怒りで胃液が逆流しそうになる中、頭の冷静な部分で敵の意図を読み取り歯ぎしりする。
「二手に分かれるしかないな。神官殿、悪いがお嬢ちゃんとここに残って吊られた子供を下ろしてくれ」
「……分かりました」
「俺とカリンとガキンチョは予定通り子供の救出。牢屋には三人で間違いないな」
「……はい」
「よし、じゃあ行くぞ」
こうしてセツナは神官をその場に残し、プラントの奥へと進むのであった。
「それではまずはあの子を助ける所からですね」
「うん!早く助けてあげましょう!」
神官は懐からナイフを取り出し、少年が縛られたロープに投げつけた。
鋭い刃は音も無くロープを切り裂き、少年は自然落下。
神官はそれを柔らかくキャッチ。
少し遅れて、天井にナイフが刺さる音が洞窟内に響く。
「さて、急いで逃げましょう。まだ見つかっていないでしょうが、時間の問題です」
「うん!」
神官はファラリスを一瞥しながら呟く。
それに少女は満面の笑みで答える。
「うぅ……に……にげ」
神官の腕の中から少年の呻き声。
どうやら意識はあるようだ。
神官と少女が少年に顔を近づけると……
……少年の顔がみるみる青ざめた。
「逃げて!!そいつは!そいつは!!」
絶叫する少年の視線の先には、醜悪な笑みで顔を歪めたファラリスの顔。
「せっかく面白れぇ所だったのに、邪魔してんじゃねぇよ!クソガキがぁぁあああ!」
ファラリスが少年の襟首を乱暴に掴み、地面に叩きつける。
「ファラリス!一体何を!」
神官は叩きつけられた少年を庇うようにファラリスの前に立ち塞がる。
「こういう事だよぉぉおおおお!マヌケがぁあああああ!」
見た目通りの少女らしさが一切感じられない強烈な蹴りが神官の腹を打ち抜く。
「ウッ!」
神官は身体をくの字に曲げ、苦悶の声と共に崩れ落ちる。
「あぁ~、もうちょっと美少女やってたかったんだけど、バレたんじゃ仕方ないね」
「……お前は」
ファラリスはケラケラと笑いながら、地に臥す神官をまるで潰した後の虫けらでも見る様に見下す。
「そうよ。私こそがこの巣の支配者。女王蜘蛛のファラリス様よ」
神官達を取り囲むヘルスパイダーが、歓声を上げているかの様に蠢く。
ファラリスは神官の腹を足蹴にしながら、高らかに、心底愉快そうに、醜悪に笑う。
琥珀色の瞳をらんらんとギラつかせ、バラ色の唇を歪めた笑顔は残酷で美しい。
「さぁて、もうちょっと遊んでやろうと思ったけど潮時かな。まぁ、人質は一人いれば充分だし……でもせっかくやって来た活きのいい玩具で遊ばないのも勿体ないしなぁ……」
ファラリスは恋する乙女の様に頬を紅潮させながら、恐怖で震える少年の方へにじり寄る。
「ねぇ、花占いって知ってる?道端に咲く花を摘み取って、花びらを一枚一枚剥がしながらこういうの。好き、嫌い、好き、嫌い、ってね」
花が綻ぶ様な笑顔のファラリスが足音を響かせるたびに、少年の身体がビクンと跳ねる。
「爪は全部剥いじゃったけど、まだ代わりが二十本もあるし」
「あっ……あぁ……たす……たすけ……」
ファラリスは蹲る神官を無視し、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で、少年の血だらけの手をそっと持ち上げる。
「傷も治せない神官さん……私の二つ名を教えてあげる」
口からはみ出した艶めかしい小さな舌が、唇の周りを淫靡に這いずり回る。
「私はファラリス……『拷問狂』ファラリス」
勝利を確信して高笑いするファラリスが、己の欲求のままに少年の指に力を込める。
そして……
「エッ……」
白磁の様な滑らかなファラリスの右手が……落ちた。
「ハッ!どうなってんのよぉぉぉおおおおおおおおおおおお!」
手首から先が無くなり、配線が剥き出しになった手を凝視しながら、ファラリスが絶叫する。
「まんまと引っ掛かったな。間抜けめ」
ファラリスは振り返り、声の発生源に視線を向ける。
そこには先ほどまで甚振られていた神官がピンピンした姿で立っていた。
そして何より、その右手に握られているのはビームブレイド。
「貴様……なんで……貴様は……」
「ホログラフ解除」
ファラリスは狼狽し、恐怖と困惑が入り混じった表情で、神官《《だった》》男の顔を凝視した。
それは宇宙艦隊のパイロットスーツ姿の男。
「貴様ぁあああ!『シュターデンの種』かぁあああああああああ!」
レイの登場にファラリスは再び絶叫した。
神官を人質にしてから嬲り殺しにしようとでも思っていたのだろう。
レイは怒り狂うファラリスに見向きもせず、少年へと駆け寄る。
「殺せ!!皆殺しだ!!人質も仲間も!全て殺せぇぇぇええええええええええええええええええ!」
絶叫と共にヘルスパイダーの全砲門がレイへと向く。
放たれる無数の閃光。
レイはそれを一足飛びで躱し、入口へと舞い降りる。
「はん!それで逃げたつもりぃいいい?こっちにはまだ人質が……」
ファラリスは殺し文句を言い終わる前に固まった。
彼女の視線が向いた先はプラントの出入り口。
血走った琥珀色の瞳には、人質を抱えて逃げおおせようとするクオン達の姿が映っていた。
「クオンさん、この子を」
「分かりました」
レイはズタボロの少年をそっとクオンに託す。
クオンの顔には強い安堵の感情が浮かんでいた。
「カリン!クオン殿!逃げるぞ!」
「はい!行きましょう、クオンさん」
「レイ様、後はお願いします」
クオン達はレイに一礼した後、一目散にその場を駆け出す。
「逃がすかよぉお!」
当然、怒り狂ったファラリスはヘルスパイダーを差し向ける。
「ノーム!」
『承知!』
レイの叫びに呼応する様に響き渡る威厳に満ちた老人の声。
同時にプラントの出入り口が巨大な岩の壁によって塞がれる。
土の四大精霊ノームの力により、プラント内は完全に密室。
お互いどこにも逃げ場はない。
「さて……ようやく戦場が整ったな」
「アッ……アァ…………」
レイはクルクルと肩を回し、無様に腰を抜かす女王蜘蛛を睨み付ける。
「オーバーリミットモードカスタム起動!」
パイロットスーツが淡い青白色に光る。
迸るエネルギー。
自身の身体能力を極限まで高めつつ、肉体への負荷は最小限に調整した新モード。
強化量こそ通常のオーバーリミットモードには劣るが、継続戦闘能力は格段に向上。
「さぁ、決着の時だ」
レイは右手にビームブレイド、左手にフォトンガンを携えて飛び出した。
人知れず、子供達を拐し、非業の死に追いやった悪しき鋼鉄の蟻とその女王を完全に駆除する為に……




